2008年12月20日土曜日

パゾリーニによるマタイ福音書 愛洲昶・編


パゾリーニによるマタイ福音書 愛洲昶・編

 
「アブラハムの子、ダヴィデの子イエス・キリストの系譜……」
 と、すべての物音に被さるように、よく徹る澄んだ声が聞える。
声はかぼそくなりながら退き、やがてついには辛じて聞取れるばかりの囁きとなる。最後にゆっくりと戻ってきて始めと同じようによく徹る澄んだ声が響き渡る。
「……それゆえなべて世を経ること、アブラハムよりダヴィデまで十四代、ダヴィデよりバビロンに移されるまで十四代、バビロン捕囚よりキリストまで十四代である」

       1

 ここはマリアの家の中、ナザレの昼下り。
 彼女はうら若い乙女なのに、眼差しだけは深みのある大人だ。敗れた者の苦しみがその眸に煌めく。農民世界で体験される苦しみが。
(パゾリーニはこうした苦しみを戦時中、フリウーリの娘たちのいくたりかの裡に見た。それはあらかじめ形成されていたかのような苦しみで、慎ましいがゆえに宿命的に入らざるをえない苦しみの状態であった)
 彼女はブルネットのヘブライ人少女で、もちろんいわゆる「民衆出」の娘だ。他の何千もの娘と同じく、色褪せた衣裳を身に纏い、「血色のよい」肌に生ける慎みにほかならぬおのれの宿命を負う乙女である。
 けれども彼女の裡には何か王にも見紛うものがある。
 そしてそれゆえにこそサンセポールクロのピエーロ・デッラ・フランチェースカ作『御孕みの聖母マリア』うら若い乙女のまま母となったあの少女、母親=少女のことをパゾリーニは想う。
 奇蹟の懐胎ゆえに微かにぷくんと膨れたお腹が、苦しみを秘めて口を噤むあの乙女に聖なる大いさを授けている。
 ヨセフはというと三十歳そこそこの職人ながら端整で素朴、丈夫なありふれた男だった。 正直で犠牲的な暮しや労働について素朴でやや窮屈な考え方をいっかな曲げぬ片田舎の家族のありきたりの「長男」ではあった。
いまでは平生の暮しの埒外の何事かが起きて、彼はそのことに「躓か」ざるをえないけれど、彼は「義しい人」つまりおのれの〈神〉への畏れにおいて男らしく振舞う分別のある男だ。
 いま彼がマリアに投げかける眼差しは「密かに縁を切る」決心を告げたばかりの者の眼差しである。
 マリアはといえば悲しみと湧き出る涙に抗いながらも、幼子の至高の気高さに包まれて、彼女は屈していない。
ヨセフのほうはいまでは悲しみにくれた沈黙が涙色に染まってゆく。
 けれども若い男だ。勇を鼓して目を伏せると背を向けて、田舎家の戸口から立ち去ってゆく。
 マリアはあの小さく迫り出たお腹を抱えてその苦しみの中でひとりぽっちだけれど、そのお腹が山のプロフィルの大いさを彼女に帯びさせている。ひとりぽっち。

 マリアの家から出てくるヨセフ。
 遠ざかってゆく彼、職人の若者が──もう少年ではなくて新しい家長、父親の男らしさが顔にくっきりと刻まれている──「許嫁」の家から遠ざかって、鄙びた世界へと踏み出してゆく。
(昼下りの悲しいばかりに強烈な太陽が眠りにも似て事物の上に照りつける)
進みゆくヨセフが野菜畑の低い壁と無花果の木立の間をゆく。地中海の田舎の世界、その真昼のしめやかな平安の中へ。
一本の樹木(オリーブの樹か?)の木陰にヨセフが横になると、あちらの下で一筋の木陰の中に臥せる彼の身体の上に長い休止が訪れる。
 小鳥たちの囀り、遠くで呼び交わす人びとの声……手桶の軋る音……
目を閉じるや、たちまち若者らしい刺のある眠りに落ち込んだヨセフ──汗にまみれた歪んだ顔や、喘ぎにも似た荒い寝息が苦しみの痕を留めている。
 すると唐突にありとある物音が途絶えてしまう。底無しの静けさが今際の際にも似てすっかり光と静寂に浸された風景の上に降りてくる。
「ダヴィデの子、ヨセフよ、躊躇うことなく妻マリアを迎え入れよ。彼女の胎の子は〈聖霊〉によって宿ったのだ。彼女は男の子を産む。その子をイエスと名づけよ。彼はまことにおのれの民をその罪から救うからだ」
 と、ヨセフに目を凝らしながら〈主の天使〉が彼に告げる。
物音や人の声がまた聞えだして、さらに一羽の小鳥の囀る歌声がひときわ高く大気に震えわたる。
目を見開くなり、唖然として眼前の光景に見入るヨセフ。あの光り溢れる、あの物音に満ちた宏大な虚ろな風景──束の間の存在の甘美な徴し、永遠の徴しに目を瞠る。
 そしてこうした風景の上に〈預言の言葉〉が高らかに響き渡る。
(これに伴ってつねに繰り返されるモチーフ、バッハの楽曲「プロフェーティカ」と共に)
「見よ、〈乙女〉が身籠もって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。〈神〉はわれらと共に、という意味である」
 起きあがるヨセフ、ついで先刻歩いてきたばかりの道程を引き返す彼。男はマリアの家めざして戻ってゆく。
マリアの姿が見える。
 いまでは彼女は庭先に出て、貧しい人びとの娘の慎ましい家事仕事に余念がない。
黙って彼女に近寄るヨセフ。
 マリアが視線を向ける。そこにいたのは、いまや余すところ無くおのれを照らしだす底無しの素朴な微笑みを浮べながら、こちらを見つめるヨセフだった。
 彼女もまた神秘的な、なおも苦しみの混ざった微笑みに少しずつ次第に照らしだされてゆくマリアだった。

 ベツレヘムのヨセフの家の中で昼下りに、 乳房を吸う幼子を抱くマリアがいる。
 この上なく無垢の母性、でも「リアリスティック」だ。
(つまり〈幼子を抱くマリア〉のイメージは磔刑図とともに、彼女の生涯の特徴を最もよく示す聖画像的イメージとして人に知られたもののひとつだが、ここでは聖人伝的あるいは先験的に聖なるものが何ひとつこのマリアにあってはならないという意味でだ。
 聖母マリアのまわりには現実の品々、貧しい花嫁の現実の暮しの品々が置かれており、そしてそれゆえにこそ感動的だし、ついには聖なるものとなるという事実の中にこそリアリズムが成り立つのだ)

 エルサレムの町並み。真昼だ。
市場がパゾリーニには見える──オリエントの町の市場が。
 二〇〇六年の今日では見るべくもないが、一九六三年の昨日ならば、まさに見かけたような市場。
 スークと言うのだろうか、幾世紀もの停滞の奥底に獣たちや子供たちや干からびた泥などの眩暈が蟠っている。
 あるいは隊商たちの「駅」が見える。
 黄色い埃の上の黄色い泥の塊みたいな駱駝たち、古風なターバンを頭に巻いた若者たち、そして現代世界では消滅してしまった用途に充てられた品々などが目につく。
 砂塵の中、炎暑の中を年端もゆかぬたくさんの少年たち、小動物みたいに最高にしなやかな身ごなしの若者たち、あるいは乞食や跛たちなどが、いま到着して群衆を掻きわけ掻きわけ進む異国の人びとめざして走り寄ってゆく。
召使の一団を後ろに従えた三人の裕福な旅人である。彼らの衣裳には際立って異国風な豪奢がある。
そして一行のひとりが土地の者たちを振り返って、
「ユダヤ人の王として生まれたお方はどこです? わたしたちは東方でそのお方の星を見たので、拝みにきたのだが」
 と、三博士のひとりが言った。

ヨルダン、ヘロデ王の宮殿では昼日中、不安を抱いた王の顔の上に非常に長い沈黙が落ちる。
(オリエントの権力者の太った残酷な顔。それはおのれの特権は傷つけられないと思う感情や実践性などによって置換えられた精神性の欠如そのものだ)
ぐるりとあたりを見渡せば、黙りこくった二十人ほどの祭司長や律法学者たちが居並んでいる。ヘロデ王の顔が眼前に迫ってきて口を開く、
「要するにどこに、キリストは生まれるというのだ?」
「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう録しています──ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの大きな町の中で決して最小の町ではない。おまえからまことにひとりの長が現れて、わが民イスラエルの牧者となるのだから」
 と、祭司長のひとりが答える。   
 バックに、バッハの「プロフェーティコ」のモチーフが低く流れて、やがて爆発し、そしてすぐに消えてゆく。

 相変らずヨルダンはヘロデ王の宮殿だが、こんどは白昼屋外で、ヘロデ王はまるでたったいま聞きおえたかのように口を噤んだまま、黙って目をやる……
彼らも待つかのように、黙り込んでいる三博士のまわりには、オリエントの王の怠惰な豪奢のさ中に蛮族風の広間が口を開けている。ヘロデ王の顔が間近に迫って、臭い息と共に言う、
「行って幼子のことを詳しく調べ、会ったならわれに知らせよ。われも行って拝もうほどに」
 
 夕映えに赤く煌めくヨルダンはベツレヘムの街道とヨセフの家、そこにこの上なく強烈な光が射す。
その光に照らしだされつつ、神秘的で楽しげな忘我に浸って、進みゆく東方の三博士の姿がある。
あの光はいまではヨセフの家から──庭先に大工道具やら農具やらの並んだ、大工の見すぼらしい家──目も眩むばかりにあたりに発しているかのように見える。
 ヨセフの家に近寄る三博士の姿がある。
 そのうちにも家の近所からは、好奇心にかられて幼い少年たちが跳びだし、はしゃぎながら一行を取り囲む。

 夕暮れを迎えたヨセフの家の中ではすでに述べた「リアリスティックな母性」の情景がある。
 マリアの幼子は乳を吸ってはおらず、ちっちゃな手足を盛んに可愛らしく動かしながら、いまは遊んでいる。ヨセフがはその傍らで大工の手仕事に一心に打ち込んでいる。
 中へ入る三博士と、戸口に人垣を作る人びと(近所の人たち、子供たち)の群れがある。
 三博士は入るなり跪いて拝むのに、幼子は喜んで小さな足で可愛らしく盛んに宙を蹴っている。
 あどけなく呆気にとられているマリアと、仕事を中断してしまったヨセフの前で、三博士が幼子を拝む。それから贈り物を土間に置き、恭しく頭を下げて祈っている。
 
 地中海の宏大な風景の上に夜明けが訪れる。
 ヨルダンはベツレヘムの街道がまっすぐに伸びている。    
 無花果の木立、オリーヴの林、遠い人の声、羊の群れの鳴き声…… 手桶の軋る音…… 遠くで鳴き交わす羊たち……
 やがてすべてが不意に静まり返る。測り知れない静けさ。あたりの風景をゆっくりと見渡す。
 すると、見よ、〈主の天使〉が街道にすっくと立っている。
 ヨセフの家を辞し、帰途につく東方の三博士の姿が見える。一行はぞろぞろと歩いてくる。 
 一行が天使の傍らにまでやって来るやいなや、天使が彼らの前に立ちふさがる。
 そうして一行を先導してゆく。
 広々とした風景の中を背を向けて遠ざかる彼ら。
 すると、朝焼けの中、そこかしこからまた物音が立ちのぼり、日々の声々が聞こえてきて、それどころか小鳥の囀りが前にも増して力強く立ちのぼって、再び目を覚ました世界の平安の中でうち震えている。

明け方、ベツレヘムのヨセフの家の中、まだ闇と、睡りに浸りきっている。
 その片隅に、大きく、無言のまま立っている〈主の天使〉の姿がある。
 そこにみな眠っている、マリアと幼子は粗末なベッドに、ヨセフもおのれの寝床に。
 犬さえ自分の隅っこで寝ている。
 事物や品々は夜明け前の蒼白さの中に失われている。  
 すると再び目の覚めたばかりの世界の物音が、和らげられて、朧気に届いてくる。
 奇蹟みたいな睡りを眠るヨセフの顔が眼前に迫る。
 睡りの中で彼に告げる〈主の天使〉の姿がある。
「起きよ! 幼子とその母親を連れてエジプトに逃れ、わたしが告げるまで彼の地に止まれ。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしている」

 さてここに、逃亡の永遠のシーン。
 慌しく積み重ねられた家財道具、黙って拾いあつめた大切な品々、形見。
 これから乗って旅する驢馬。
 溢れんばかりの慈しみをこめて厚く襤褸にくるんだ眠っている幼子。
 無用の閂をかけた住み慣れた古い家の戸口。そして旅立ち、暇乞い。
 家、麦打ち場、動かしがたく、背後に遠ざかってゆく大切な土地よ、あちらではいくどとなく迎えたいつもと変わらぬ朝の静けさ、なのに今日という日はこんなにもむごく別の朝。
 涙をこらえながら、彼らの苦しみの宿命と恩寵の中に慎ましく閉じ籠もって、後ろを振り向くヨセフの顔、そしてマリアの顔が代わる代わる間近に迫る。
 けれどもマリアの眸に湧いた涙の一滴が乾いて、あちらの失われた家を見晴るかす眸の中に、ただ一滴だけいつまでも残っている。
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が爆発する。
 預言者の言葉が響く、
「エジプトからわれはわが子を呼び出した」

 ヨルダンはベツレヘムの一帯、哮り狂って馬を駆るヘロデ王が眼前に迫る。
 辛うじて身を躱して見渡せば、哮り狂って馬を駆る一人の兵士が眼前に迫る。
 これも辛うじて身を躱して見渡せば、哮り狂って馬を駆るもう一人の兵士が眼前に迫る。
 つきまとって離れない執拗な太鼓の連打音。馬蹄の轟き。喚声。
 血に飢えた兵士たちが眼前に迫る。辛うじて身を躱してあたりを見渡す。この繰り返し。
(たとえばエイゼンシュテインなどのように「表現主義的な」手法にしたがって)
 一軒の農家に殺到する兵士の一団が見える。 次々に馬から飛び降り、哀れな家に押し入って、泣き叫ぶ女や男たちに追われながら出てくる。
 兵隊が母親の手から幼子を奪い取って、殺してゆく。
 羊の群れの間で羊飼いの群れの子供たちを殺しまくって、同じ残虐行為を繰り返す兵士たちの別の一隊、などなど。
 獣じみた叫び声、苦しみの叫び声。
 
 そしていまは底知れぬ静寂の中に、殺戮された幼子のいくつもの群れが中庭に、道端に、川原に散らばっている。
 一本の木の枝に縛り首になって吊るされている一人の幼子。小麦袋の傍らには首を刎ねられた別の幼子。
(パゾリーニ註。今次大戦中に、絶滅収容所などで起きた類似の残虐行為を思い出しながら、殺されたいたいけな身体に徴された残虐行為の痕を撮ること。)
 ゆっくりと続けて撮られる、こうした死のショットの数々、それらに被せて、絞った音から次第に強く響き渡り、ついに爆発する、バッハの楽曲「プロフェーティカ」。
「声が聞こえた、ラマで激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子たちのことで泣き、慰められようとしない。子たちはもういないからだ」
 と、預言の言葉が響き渡る。
 そして恐ろしい傷口に引き裂かれた最後のいたいけな幼子の上に静寂が舞い戻る。

 ヨルダンはヘロデ王の宮殿、大広間の王子たち、祭司長たち、律法学者たち、彼らのクロースアップ、それらに被せてゆっくりと長い移動撮影。
 一同はみな、葬儀の厳粛の中で、目を凝らす……
 死んで、王の寝台の上に横たわるヘロデ、その全身撮影。
 急速な溶暗。

       14
 
 エジプトの地。野外。昼(ヨルダン)
 臥せて眠っているヨセフ、その全身撮影。
 天使の訪れる深い睡りの中で、疲れた彼の顔、その顔のクロースアップ──その寝息は呻きにも似て。
 野良仕事に合わせて歌う農夫たちの唄声。やがて不意に歌声が途絶える。
 絶対的な静寂の中で、見よ、いまはリバースショットで、ヨセフの前に〈主の天使〉が立っている。〈主の天使〉が言う、
「起きて、幼子とその母親を連れ、イスラエルの地にゆけ。幼子の命を狙っていた者どもは死んでしまったから」
 睡りの中に神意を聴く驚愕になおも満たされたまま、目を覚ますヨセフ、そのクロースアップ。
 すると、あたりには、再び物音と人の声がする。
 歌う農夫たちの唄声。
 起きあがるヨセフ、そしてその全身撮影。ついでパン撮影。彼は歩きだして探す。する
と、見よ、あちらに。
 ほかの子供たちに囲まれて、マリアといたいけなイエス、その母と子の全身撮影。
 これもまたリアリスティックな「聖母と幼子」である。
 いまイエスは、捕えられた一羽の小鳥と戯れていて、その小鳥を撫でている。
 彼のまわりのほかの子供たちも、マリアの慈しみの眼に守られながら、その小鳥に触れて、撫でたがっている。
 急速な溶暗。

       15

 エジプトの地。野外 昼(ヨルダン)
 バッハの「プロフェーティコ」のモチーフ。
 はるか遠くで、辛うじて聞きとれるくらいにバッハの「プロフェーティコ」のモチーフが再び奏でられだす中をヨセフ、マリア、イエスがパン撮影を従えて、棕櫚などの木陰のある砂漠の風景をとおり過ぎてゆく……
 そしていま相変らずパン撮影を従えて、また相変わらずバッハの「プロフェーティコ」のモチーフを従えて、一行はイメージの奥底に埋もれたかのように、惨めな村の村外れに
さしかかる──泥、汚物、癩、塵埃で満杯の川床の腐った水、牝山羊や驢馬といり混ざって、いっしょくたに賤しいひと塊となった半裸の男たち。
 村のざわめき。
 やがていきなり一切の物音が途絶えて、見よ、あそこに〈主の天使〉がその気高い神秘の中に、細道の汚泥の上にすっくと立っている。
 バッハの「プロフェーティコ」のモチーフが強烈に爆発する。
〈主の天使〉が告げる、
「ヘロデの子アルケラオの支配するユダの地へ行ってはならない。
 ガリラヤ地方の、ナザレという町へ行け。
『彼はナザレ人と呼ばれる』と録した預言者たちの言葉が成就されるように」
  溶暗。

       16

 ヨルダン川の岸辺。野外 昼(ヨルダン)
 駱駝の毛衣を身に纏い、腰に革の帯を締めた洗礼者ヨハネ、その半身撮影。心奪われる
静寂の中で彼はおのれの前に眼を凝らす。
 水音と群衆のざわめき。
 ユダヤの砂漠を背に、ヨルダン川の岸辺沿いにヨハネのまわりに集った群衆の「幻視にも似た」ショット。
 瞳に謙遜を宿し、敬虔ではあるがいささか脅えた人びと。
 みな貧しい衣服を纏っているが、中には知識人の姿も見えるし、ヨハネの弟子たちばかりではなく、将来の使徒のふたり、ヨハネとアンデレもいる。
 洗礼者ヨハネの最大接写。
「悔い改めよ、天の国は近づいた。この者はまことに預言者イザヤによってこう言われている人である。『荒れ野で叫ぶ者の声がする──〈主〉の道を整え──その小径を真っ直ぐにせよ。』」
 ヨハネがこう告げている間に、ここに、彼の言葉に注意深く耳を傾ける群衆の新たなショット。
 そしてあたりには砂漠の、ジョルダーノの荘厳。十七世紀の神秘的幻視の大画風なその光と影……
 洗礼を施す仕度をするヨハネ、その半身撮影(彼はすでに両足を流れに漬けている)。
 最初の洗礼(ヨハネと受洗者その全身撮影 )──二番目の洗礼(前記のとおり)──三番目の洗礼(前記のとおり)
 するとここにロングショットで、川沿いの群衆や身分賤しい群衆を掻きわけて、上流階級の豪奢と優美の衣裳に身を包んだファリサイ派やサドカイ派の人びとの一団が現れる。
 経済的、精神的特権に心は頑なになり、誇りに溢れ、彼らは傲然と前に出る。
 彼らを睨むヨハネ、その最大接写。
 その両眼は苦しみに、ついで無類の怒りに燃えあがる。洗礼者ヨハネが言う、
「蝮の裔よ! 
 誰がおまえたちに来たらんとする神の怒りを免れることを教えたか? 
 おまえたちは悔い改めに相応しい実を結べ。 そして『われらの父にアブラハムあり』と心のうちに言えると思うな。
 言っておくが〈神〉はこんな石塊からでもアブラハムの子らをお造りになれる。
 斧は早や、樹の根元に置かれた。
 良い実を結ばぬ樹はみな、切り倒されて火に投げ入れられる……」
 酢の中の油にも似て、あるいは海原の中の岩礁にも似て、貧しい人びとの群れの真っ只中に留まる権力者の一団、その彼らをロングショットのフレイミング、またはパン撮影。
「……わたしはおまえたちの悔い改めに水で洗礼を施すが、わたしよりも後に来る者はわたしよりも力がある。
 わたしはその鞜をとる値打ちもない……」
 ヨルダンの流れの碧をバックに、群衆が耳を傾け、ファリサイ人が耳を傾ける。
「……彼は〈聖霊〉と火でおまえたちに洗礼を施す。
 手には箕を持って、打ち場の麦をすっかりふるい分け、その麦は倉に納め、殻は消えることのない火で焼き尽くす……」
 溶暗。

       17

 ヨルダン川の岸辺。野外 昼(ヨルダン)
 見よ、彼が来た、「〈聖霊〉と火で洗礼をほどこす」者が。
 貧しい人びとの間を歩んでくるが、その彼を群衆と見分けるものはまだ何ひとつない。
 彼は洗礼を受けにくる何千もの信者たちのひとりである。
 控え目で無名(だが言いえぬ神々しさに輝く)その彼を移動撮影、ついでクロースアップ。
 ヨルダン川の流れに漬かって洗礼を施し続けるヨハネ、その彼を移動撮影。
 歩んでくるキリスト、その彼を移動撮影、ついでクロースアップ。
 キリストに気がついて彼を見つめるヨハネ 、そのクロースアップ、ついで移動撮影。
 歩んできてヨハネの前に控え目に立ち止まるキリスト、そのクロースアップ、ついで移動撮影。
 彼に目を凝らすヨハネ、そのクロースアップ。
 キリスト、そのクロースアップ。
 キリストをその人と認めたヨハネ、そのクロースアップ。
洗礼者ヨハネ わたしこそ、きみから洗礼を受けるべきなのに、そのきみがわたしのもとへ来るとは?

 脅えたかのように、感情を抑えたキリスト 、そのクロースアップ。
キリスト いまは受けさせてくれ。正しきことをことごとく成就するのはわれらに相応しい。
 従順に、いまはもう語るのを止めて、最前ほかの身分賤しい人びとに施したのと同じように、キリストに洗礼を施すヨハネ、その全身撮影。
 長く、厳粛な、洗礼という無言の行為。
 キリストが水辺から上がると、そのとき果てしない大音響が轟く。
 みな天を見上げる。眩い光ゆえに、泣いたみたいに濡れた眸の顔という顔、その鳥瞰撮影。すると一羽の鳩が、なおも轟きわたる大空から、滑るように飛んでくる。何ひとつ変らない、奇蹟は物理現象ではないのだから。けれども不変の空に、何かひどくこのうえなく新しいものがある。雷鳴はきわめて高らかな楽曲の中に溶けてゆく。
 バッハの楽曲「いと高きもの」
天の声 これはわが〈子〉、わが心に適う悦びの〈愛しいひと〉である。
 そして空の光の上に……
 ゆっくりと溶暗。


       18

 荒れ野。カランタル山(エリコ)。野外 昼(ヨルダン)
 二度、三度あるいは四度と、通過するキリスト、そのクロースアップまたは全身撮影。 
ついでその移動撮影か、それともパン撮影かで、ゆっくりとただひとり荒れ野の中に消えてゆくキリスト。しかも荒れ野はその懐深く踏み入るにつれてますます堪えがたく荒れ果ててくる。ついには石塊と砂だけの広がりとなる。さてここに、行く手に目を凝らすキリスト、そのクロースアップ、その瞳には神秘の燈火がともっている。そしてここに、彼の目の前には荒れ野。無用の太陽の中で、大地の死だけが広がっている。
 キリストは跪いて祈りはじめる、その全身撮影。けれども、まだ祈りに集中しきれないかのように、彼を取り囲んでのしかかる戦きと静けさに気を散らされて、視線を上げる。
 あの生命のかけらひとつない土地ゆえの苦しみを湛えた瞳で、眺めるキリスト、そのクロースアップ。
 キリストの目に映るのと同じように、ゆるやかなパン撮影によって剥き出しにされてゆく、白んでゆく、死体みたいな大地の広がり、荒れ野。パン撮影は全角回し撮りを終える。
 そして──パン撮影の終りに──大地の眩い虚無の恐ろしい眺めの回し撮りを終えようというときに……
 ゆっくりと溶暗 。

       19

 荒れ野。野外 昼。(四十日後)
 悪魔だ。そこにいて、見つめる悪魔、その全身撮影。このうえなく美しい青年だ、〈主の天使たち〉のひとりみたいに。けれども彼の美しさの官能的で神秘的に厭わしい怠惰さの中には何か恐ろしいものが蛇みたいにのたくっている。優雅で、素晴らしさに茫然とするような衣裳を身に纏っている──まさしく天使みたいに、そして権力者みたいに。しかもその衣裳をそれに淫した者のように着こなしては、おのれの苦悶と、悪を欲する者の癒されがたい不満とに蝕まれている。悪魔はその怠惰な、流し目の、美しすぎる眼差しを向ける……
 祈っているキリスト、その全身撮影。彼は衰弱しきっている。(断食ゆえに骨と皮と化したその顔にはすでに磔刑の兆しが現れているのだろうか?)
 それでも彼は祈りという至高の力をまだ持っている。
 悪魔とキリストは長い間じっと見つめあう。卑しい、絶望しきった皮肉の翳が一瞬、悪魔の瞳を過る。
悪魔 おまえが〈神の子〉なら、これらの石塊にパンになれ、と命じたらどうだ。
 もう話すための声もほとんど残っていないのに、英雄的な努力で辛うじて聞きとれる嗄れ声で応えるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 人の生きるはパンのみによるにあらず、〈神〉の口より出ずるすべての言葉による。
 溶暗。

       20

 エルサレムの神殿の小尖塔。 屋外 昼(ヨルダン)
 ゆっくりとパン撮影、つれてエルサレムの街が、ゆっくりと目に曝される──大通りから大通りへ、家並みの破風から破風へ、真昼の黄金色に舞う埃の粒子の中を──全角回し撮りを終える。
 神殿の小尖塔の上の悪魔とキリスト、その全身撮影。悪魔が人を動顛させる皮肉をこめてキリストを覗き込む、そのキリストのクロースアップ。
悪魔 おまえが〈神の子〉なら、飛び降りたらどうだ。「おまえのために〈神〉が天使たちに命じて、おまえの足が石に打ち当たらぬように、天使たちは手でおまえを支える」と、録されてあるではないか。
 キリストはなおも耐え忍びつつ、嗄れ声で、動かしがたい力をもって悪魔に応える。
キリスト 「おまえの〈神〉である〈主〉を試してはならぬ」とも録されてある。
 鮮かな中断。


       21

 山の頂。野外 昼(ヨルダン)
 再びパン撮影のゆっくりとした回し撮りだが、今回は真昼の甘美な太陽の下に、見惚れるほどに実り豊かな平野の果てしない広がりが眼前にある。
 耕された畑、オリーヴ林、棕櫚の林、小さな村々、そして遠くには小尖塔がいくつも燦然と煌めく都会、それに羊の群れや河川…… 前回のシーンと同じく悪魔とキリスト、その全身撮影。
 怠惰で皮肉な……だがその誇りを癒しがたく傷つけられてはや獰猛さを剥きだした悪魔、
そのクロースアップ。
悪魔 平伏してわれを拝むなら、これらをみなおまえに与えよう。
キリストのクロースアップ(前回のシーンと同様)。
キリスト サタンよ、退け!「おまえの〈神〉である〈主〉を拝し、ひたすら〈主〉にのみ仕えよ」と、録されてある。
 悪魔のクロースアップ。憎しみの、恐ろしい、不幸せな眼差し。やがて彼は敗れて、ゆっくりと背を向ける。
 夏の火事で黒く焦げた木々や茂みの間を、もう後ろを振り返りもせずに去ってゆき、後ろ姿のまま消える悪魔、その全身撮影。
 リバースショットで、オリーヴの林のささやかな木陰、そよ風にそよぐ甘美な木々の間を、一群れの〈主の天使たち〉が讃美と愛の頌歌を歌いつつ歩みきて、その頭上には……
 天使たちの歌
(バッハの楽曲「いと高き者」)。
 ゆっくりと溶暗。

       22

 牢獄の独房。内 昼(ヨルダン)
 独房の中で鎖で繋がれている洗礼者ヨハネ、その全身撮影。断食と苦しみに窶れはてて、目を伏せたまま彼は祈りに没頭している。
 それから鉄格子から射しこむ光のほうにふと目を上げて、そとの光の中に滑空する雌鳩〈神〉の白い鳩たちを見る。
低く抑えてバッハの楽曲「プロフェーティカ」が甦る。

       23

カファルナウムの地。野外 昼(イスラエル)
……鳩たちの飛翔は空の中に消えてゆき、……を示唆するかのように……
 クレッシェンドで、バッハの楽曲「プロフェーティカ」がなおも続く。
……湖の岸辺で、太陽に照らされて、カファルナウムの街が白く輝く。
 カファルナウムに向けて歩みゆくキリスト、その全身撮影。
預言の言葉 ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖畔の街カファルナウムへ往け。これは預言者イザヤによって言われたことが成就するためである。
 陽に曝された山々に囲まれて、白い輝きを増してゆくカファルナウムの町並みを、遠くから、移動撮影。
 ……「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の町、異教徒のガリラヤ……
 道端で動かぬ(仕事の帰りか、それとも午睡をとるのか)疎らな人びとを──子供たちや、羊たちの群れと一緒に──移動撮影。 やって来る余所者を見守りながら、どの人の目も好奇心に燃えている。
……暗闇に住む民は、大いなる光を見、……
 気高く物思いに沈んで、巡礼者のように歩みゆくキリスト、その全身撮影。
……死の地と死の蔭とに坐する者に、光がのぼった」
 日々の貧しい時の中に失われたまま、眺めているつましい人たちの群れを、なおも移動
撮影。 彼らの沈黙を前に、移動撮影車が止まるまで。
 愛の笑みが溢れるばかりの底知れぬ眼差しで彼らを眺めながら、こちらも立ち止まってしまったキリスト、その最大接写。
 やがて密やかに、親しみを込めて、内面の晴れやかさに溢れつつ、彼らに告げて言う。
キリスト きみたち、悔い改めなさい。天国は近づいたのだから。
 真昼の野辺の長閑さをバックに、口を噤んで、一心に耳を澄ます人たちの窶れた顔々を、ゆっくりとパン撮影。
 鮮かな中断。

       24

 湖の畔。野外 昼(イスラエル) ゲネサレト湖
 湖面に熱心に網を打つふたりの若者を、移動撮影。ペテロとアンデレを全身撮影。
 二人ともその辛い仕事に黙々と没頭している。
 彼らを眺めながら歩みくる(移動撮影が先行して)キリスト、そのクロースアップ。やがて立ち止まり、口を開くまで。
キリスト ぼくについて来なさい。きみたちを人間を漁る者としよう。
 茫然と、しかも感動して彼を見つめる兄と弟、そのクロースアップ、ついでパン撮影。
 兄弟のように親しみをこめて彼らを見つめるキリストのクロースアップ、被せて移動撮影。
 移動撮影車に先導されて、キリストのほうへ歩みくる兄と弟、その全身撮影……
 鮮かな中断。

       25

 湖の畔。野外 昼(イスラエル)
 三人の男たち──老いたゼベダイとその息子のヤコブにヨハネ、彼らを移動撮影。彼ら
も湖の畔にいて、小船の上で落着き払って──背を丸めて、口笛吹きながら──網を繕っている。
 移動撮影に先行されつつ ──後ろにペテロとアンデレを従えて、歩みゆくキリスト、
そのクロースアップ。やがて立ち止まり、うち眺めて、相変わらず声を荒らげずに、兄弟そのものの飾り気なさで、告げて言う。
キリスト ゼベダイの子、ヤコブにヨハネ、ぼくと一緒に来なさい!
 互いに見交わして、それから老いた父親を見、またキリストを見つめるヤコブにヨハネ、
その全身撮影。
 彼らを見つめるキリスト、そのクロースアップ、被せて移動撮影。
 立ちあがるヤコブにヨハネ、移動撮影が先導して、キリストのほうへやって来る……その二人のクロースアップ。
 鮮かな中断。

       26
 
 ガリラヤの地。野外 昼(イスラエル)
 わめき、呻き吼えながら、蛇みたいに蠢く人体のもつれた塊、その移動撮影──やがてまったく人間らしさの見えない、悪鬼に憑かれた者らのひとり、そのクロースアップまで……
 まわりを四人の使徒に囲まれて、底知れぬ憐れみを込めて、この者を見つめるキリスト、
そのクロースアップ。
 そんな憐れみの眼差しに身を捩り、わめきだしたかと思うと、次第に唸り声が小さくなって──とうとう徐々に鎮まってしまうまで、悪鬼に憑かれた男の最大接写。
 悪鬼に憑かれていた男がいまは癒されて回りの者らを見分ける、その者らもいまは癒されたように見える、その男のクロースアップ、その背後から移動撮影。蛇たちのもつれた塊がほどけてゆく。すると親類や居合わせた人たちが気狂いを縛っていた鎖をほどく。
 祈りに集中するキリスト、そのクロースアップ。
 彼を見つめる人びとの顔、その顔という顔をゆっくりとパン撮影。
 鮮かな中断。

       27 

 山の頂。野外 昼(イスラエル)
 至福の丘 あるいはハッティン連峰
 山の頂で祈りに集中するキリスト、その全身撮影。孤独は絶対的だ。
 だが見よ、岸辺に打ち寄せては砕け散る海にも似て力強く、ざわめきが遠くから聞こえてくる。使徒たちに導かれて、大群衆が目を眩ませる太陽のもと、山腹の急斜面を攀じ登ってくる。登りに登って、ついには無言のまま山頂をぐるりと取り巻き、言葉が発せられるのを固唾を呑んで待っている。当のキリストはこの大群衆を黙って見つめている。
 陽に照りつけられながら、山腹に沿っていまは黙って腰を降ろす大群衆、そのパン撮影。
「口を開き、教えて言う」キリスト、そのクロースアップ。彼が言う。
キリスト 幸いなるかな、心貧しい者よ。天国はその人たちのものだから。
 幸いなるかな、泣く者よ。その人たちは慰められるだろうから。
 幸いなるかな、柔和な者よ。土地はその人たちのものとなるだろうから。
 幸いなるかな、正義に飢え渇く者、その人たちは満たされるだろうから。
 幸いなるかな、憐れみ深い者よ、その人たちは憐れみを得るだろうから。
 幸いなるかな、心の清い者よ、その人たちは〈神〉を見るだろうから。
 幸いなるかな、平和を実現する者よ、その人たちは〈神〉の子と呼ばれるだろうから。
 幸いなるかな、正義のために迫害される者。天国はその人たちのものだから。
 幸いだろう、きみたちは。ぼくのために罵られ、迫害され、詐りのあらゆる悪口を浴びせられるときには。喜び悦べ、天にはきみたちに大きな報いがあるのだから。きみたちより前の預言者たちも同じように迫害されたのだ。
 一心に話して聞かせる彼の顔、そのクロースアップの上に…
 溶明 。

       28

 山の上。野外 午後遅く
 真昼の灼けつく光のかわりに、いまは日没のやわらかな光がある。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらは地の塩だ。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられようか? 何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人びとに踏みつけられるだけだ。
 きみらは世の光だ。山の上にある町は隠れるべくもなく、また人は燈火をともして升の下におかず、燈台の上におく。そうして燈火は家の中にいる者みなを照らす。このようにきみらの光を人びとの前に輝かせ。人びとがきみらの善い行いを見て、天にあるわれらの〈父〉を崇めるように。
 そして一心に話し聞かせるキリスト、そのクロースアップの上に……
 溶明 。

       29

 山の上。野外 夜
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
 いまは夜である。彼の顔が辛うじて見えるか見えないかだ。ただ眼だけが生き生きと、光り輝いている。
キリスト ぼくの来たのは〈律法〉や〈預言者〉を毀つためだ、と思うな。
 毀つために来たのではない、それどころか成就するために来たのだ。
 断っておくが〈律法〉の一点一画までことごとく全うされるまで、天地の過ぎ往くことはない。
 それゆえこうした戒めの最も些細なひとつでも破り、みなこれにならえと人に諭す者は、天国でいと小さき者と呼ばれる。
 しかし些細な戒めをも守り、かつ人にも守れと諭す者は、天国で大いなる者と称えられる。
 言っておくが、きみらの正義が律法学者やファリサイ派の正義に勝らなければ、天国に入ることはかなわない。

 そして一心に語り聞かせるキリスト、そのクロースアップの上に……
  溶明

       30

 山の上。野外 昼
 強烈な光がいまはキリストの額を叩き、彼の顔を石灰の面みたいにしている。 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらも聞いてのとおり、昔の人は「殺すなかれ、殺す者は裁きにあうべし」と告げられている。
 しかし言っておくが、兄弟に腹を立てる者は、誰でも裁きを免れない。
 また兄弟に向かって「馬鹿」と言った者は衆議にかけられ、「痴れ者」と言った者は火の地獄に投げ込まれる。
 それゆえきみが祭壇に供物を捧げようとするまさにそのときに、兄弟に怨まれることのあるのを思い出したなら、供物は祭壇の前にそのまま残して往って、まず兄弟と仲直りし、それから帰ってきて、供え物を捧げなさい。
 きみを訴える者となお路上にいるうちに、早く和解しなさい。
 さもないと相手はきみを裁判官に引き渡し、裁判官は看守に引き渡し、きみは牢に入れられてしまうかもしれない。
 断っておくが、一文残らず支払うまでは、きみは牢から出られないことだろう。
 溶暗。

       31

 山の上。野外 夜

 夜である。しかしいまは何本も松明がともされて、その照り返しがキリストの顔のうえで疲れ知らずに踊っている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらも聞いてのとおり「姦淫するなかれ」と告げられている。
 しかし言っておくが、女を見て欲望を覚える者は誰でも、心の中ですでに彼女と姦淫したのだ。
 それゆえもし右の目がきみの罪のもとならば、抉りだして捨ててし前。身体の一部がなくなっても、全身が地獄へ投げ込まれるよりはましだ。
 またもし右の手がきみの罪のもとならば、切り捨ててし前。身体の一部がなくなっても、全身が地獄へ投げ込まれるよりはましだ。
「妻を離縁する者は、離縁状を渡せ」と告げられている。
 しかし言っておくが、淫行のゆえではなくて妻を離縁する者は誰でも、妻を姦淫に晒すことになる。離縁された女を妻にする者も姦
淫を行うことになる。
 溶暗 。

       32

 山の上。野外 昼
 雨もよいの日の悲しく、平べったい、灰色の光がキリストの顔の上に捺されている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト また、きみらも聞いてのとおり、昔の人は「詐り誓うなかれ、なんじの誓い
は〈主〉に果たすべし」と告げられている。
 しかし言っておくが、きみたちは一切誓うな。
 天を指して誓うな、そこは〈神〉の玉座だ。 地を指して誓うな、そこは〈神〉の足台だ。 エルサレムを指して誓うな、そこは大〈王〉の都だ。
 おのれの頭を指して誓うな、きみには髪の毛一本白くも黒くも出来ないのだから。
 きみらはただ「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言え。それ以上のことは、悪魔から出るのだから。
 溶暗 。

       33

 山の上。野外 昼
 またもや灼けつくような太陽がいまは、このうえなく激しく、キリストの顔に照りつけている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらも聞いてのとおり「目には目を、歯には歯を」と告げられている。
 しかし言っておくが、きみたちは悪人に手向かうな。
 誰であれ、きみの右の頬を打つなら、左の
頬も向けよ。
 きみを訴えて、下衣を取ろうとする者には、上衣をも取らせよ。
 またもし一マイル往くように強いる者があれば、彼とともに二マイル往け。
 きみに請う者に与え、借りようとする者に背を向けるな。
 きみらも聞いてのとおり「隣人を愛し、敵を憎め」と告げられている。
 しかし言っておくが、きみたちは敵を愛し、きみたちを迫害する者のために祈れ。きみたちが天にいますきみらの〈父〉の子となるように。
 天の父は太陽を悪人の上にも善人の上にも昇らせ、雨を正しい者にも正しくない者にも降らせる。
 おのれを愛する者を愛したところで、きみたちに天からどんな報いがあろうか? 取税人でも同じことをしているではないか? 兄弟にのみ挨拶したところで、何が勝っていようか? 異教徒でさえ同じことをしているではないか? それゆえきみらの天の〈父〉が全きように、きみらも全き者となれ。
 溶暗。

       34

 山の上。野外 昼
 嵐の、白目を剥くような光り。雷の轟きが聞こえる。そしてキリストの顔を引き裂くかのように、過る稲妻の煌めきが続く。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 人に見られようとて、人前で善行をせぬように注意せよ。
 さもないと、天にあるきみらの〈父〉の許で報いを得られぬだろう。
 それゆえきみは施しをするとき、偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするみたいに、おのれの前で喇叭を吹き鳴らすな。
 断っておくが、彼らはすでに報いを受けている。施しをするときには、右の手のなすことを左の手に知らすな。これはきみの施しを人目につかせぬためだ。そうすれば、隠れたことを見ている〈父〉が、きみに報いてくれる。
 溶暗 。

       35

 山の上。野外 夜
 夜になっても、嵐は続く。雷鳴はいっそう猛々しく、稲光りはいっそう目を眩ませる。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 祈るときにも、きみらは偽善者を真似るな。彼らはこれ見よがしに会堂や広
場の角に立って祈る。
 断っておくが、彼らはすでに報いを受けている。しかしきみは祈るとき、自分の部屋に入り、ドアを閉めて、隠れたことを見て報いてくれるきみの〈父〉に祈れ。
 また祈るとき、異教徒みたいに口先でくだくだしく唱えるな。彼らは言葉数さえ多ければ聞き入れられると思っている。だから彼らの真似はするな。きみらの〈父〉は、願う前から、きみらに必要なものをご存じなのだから。それゆえきみらはこう祈れ。
 雷鳴と稲妻は止んだ。いまは一羽の夜鳴き鶯の囀る甘く乳色の夜である。
「……天にいますわれらの〈父〉よ、御名が崇められますように、御国が来ますように、御心が天の如く、地にも行われますように。われらの日々のパンを今日あたえた前。われらが債務者の借金を棒引きにした如く、われらの借金も棒引きになした前。われらを誘惑に遇わせず、悪魔から救い出した前」
 きみらがもし人の罪を許すなら、天のきみらの〈父〉もきみらを許すだろう。だがもしきみらが人を許さぬのなら、きみらの〈父〉もきみらの罪を許しはせぬ。
 そして一心に話して聞かせるキリストの顔の上に……
 夜鳴き鶯の歌声が続く。
 溶明。

       36

 山の上。野外 朝
 春の朝にふさわしい優しすぎる光り。夜鳴き鶯に代わって雲雀が陽気に囀りつつ、その燦然たる快活さで大気を満たしてゆく。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらは断食するとき、偽善者のごとく、悲しげに沈んだ顔をするな。彼らは断食することを人に見せようとて、顔を見苦しくする。
 断っておくが、彼らはすでに報いを受けている。
 だがきみは断食するとき、頭に香油を塗って顔を洗え。きみの断食が人に気づかれず、隠れたところにいるきみの〈父〉に見てもらえるように。そうすれば、隠れたことを見ているきみの〈父〉が報いてくださる。
 溶暗。

       37

 山の上。野外 昼
 いまはまた真昼が戻ってきた。雲雀に代わって燕が空狭しと、幸せに鳴き交わしている……
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらは財宝を地に積むな、ここは虫と錆とが損ない、盗人が押し入ってきて盗んでゆく。きみらはおのれのために財宝を天に積め。あそこは虫と錆とが損なわず、盗人が押し入りも盗みもしない。きみらの財宝のあるところにこそ、きみたちの心もある。 
 身の燈火は目である。それゆえきみの目が澄んでいれば、きみの全身も明るい。しかしきみの目が病んでいれば全身もくらい。それゆえもしきみの内の光り、闇ならば、その闇の暗さはいかばかりか!
 人はふたりの主に兼ね仕えることは出来ない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、いずれかだ。きみたちは〈神〉と富とに兼ね仕えることは出来ない。
 溶暗 。

       38
山の上。野外 昼
 太陽が傾きはじめて、突然、遠く彼方から、甘い調べや歌声が聞こえてくる。谷間で誰かが労多い一日の終りを祝って、その貧しくも、底知れぬ陽気さを奏でている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト それゆえ言っておくが、きみらは何を食べようか、何を飲もうかと、生命のことを思い煩い、何を着ようかと身体のことを思い煩うな。
 生命は糧に勝り、身体は衣服に勝るではないか? 
 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、それでも天のきみらの〈父〉は鳥を養う。きみらは鳥よりも価値ある者ではないか?  
 それにきみらのうち誰が思い煩ったからとて、寿命を一瞬でも延ばせようか? また衣服のことで、なぜ思い煩うのか? 
 野の百合はいかにして育つかを思え。野の百合は労せず、紡がず。それでも言っておくが、栄華を極めたソロモンでさえ、その装いはこの花の一つにも及ばなかった。今日生えて明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、〈神〉はこのように装われるのなら、ましてきみらはなおさらではないか、信仰薄き者たちよ? だから何を食べようか?とか、何を飲もうか?とか、何を着ようか?とか言って思い煩うな。これらはみな異教徒が切に求めているものだ。天のきみらの〈父〉はこれらのものすべてがきみらに必要なのをご存じだ。何よりもまず〈神〉の国と〈神〉の正義とを求めよ、そうすればこれらのものすべては加えて与えられる。
 それゆえ明日のことを思い煩うな、明日は明日みずからが思い煩うことだろう。一日の苦労はその日だけでたくさんだ。
 溶暗。

       39

 山の上。野外 夜
 闇の中で、春の雨がいまは柔らかく降りそそぐ。キリストの顔はすっかり雨に濡れて、やさしさを増して光る。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみらは人を裁くな、きみらも裁かれぬようにするためだ。
 きみらはおのれの裁く裁きで裁かれ、おのれの量る秤で量られる。
 きみは、兄弟の目にある藁屑は見えるのに、
なぜおのれの目の中の梁に気がつかぬのか?
 見よ、おのれの目の中に梁があるのに、どうして兄弟に向かって言えようか、おまえの目から藁屑を取らせてくれ、などと?
 偽善者よ、まずおのれの目から梁を取り除け。そうすればよく見えて、兄弟の目から藁屑を取り除くことが出来よう。
 聖なる物を犬に与えるな、また真珠を豚の前に投げるな。足で踏みにじり、向き直ってきみらに噛みつき引き裂くことだろう。
 溶暗。

       40

 山の上。野外 昼
 昼になるにつれて雨脚が繁くなってきた。激しい横殴りの雨、また風、さらにまた雷鳴と稲妻が、雨滴の滴り落ちるキリストの顔に条をつけてゆく。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
 誰でも、求める者は得、尋ねる者は見出し、門を叩く者には開かれる。
 きみらのうち誰が、パンを欲しがるおのれの子に、石を与えるだろうか? 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか? 
 このように、きみらは出来の悪い者ながら、おのれの子らに善い物を与えることは弁えている。
 まして天にいますきみらの〈父〉は、求める者に善い物を下さるに違いない。それゆえ
人にしてもらいたいと思うことは何でも、きみらも人にしなさい。これこそ〈預言者の律法〉であるのだから。
 溶暗。

       41

 山の上。野外 夜
 月夜である。月はその黄金色の涎で、キリストの顔の輪郭に沿って軽やかなしるしを描いてゆく。遠くではまた甘い調べが奏でられはじめた。月夜の晩に、広い谷間のどこかの通りで、誰かが踊っている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者多し。
 しかし生命にいたる門はなんと狭く、その路は細く、これを見出す者のなんと少ないことか!
 溶明。

       42

 山の上。野外 昼
 太陽はキリストの背後にある、そして彼の頭の回りに一種の光のコロナを形づくっている。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。

キリスト 偽預言者に心せよ、羊の扮装をして来るけれども、内は奪い掠める豺狼だ。
 その実によって彼らを見分けることだ。茨より葡萄を、薊より無花果を採る者がいようか? 
 このようにすべて善い樹は善い実を結び、悪い樹は悪い実を結ぶ。善い樹が悪い実を結ぶことはなく、悪い樹は善い実を結べない。
 善い実を結ばぬ樹はみな伐られて火に投げ入れられる。それゆえその実によって彼らを見分けることだ。
 われに向かって「〈主〉よ〈主〉よ」と言う者みなが天国に入るわけではない。ただ天にいますわが〈父〉の御心を行う者だけが入るのだ。かの日には多くの者がわれに、「〈主〉よ〈主〉よ! われらは御名によって預言し、御名によって悪鬼を追い出し、御名によって多くの奇蹟をなしたではないか?」
 と、言うことだろう。だがそのときはきっぱりと彼らに言おう、
「おまえたちのことはまるで知らない。不法をなす者ども、われから去れ!」、と。
 溶暗

       43

 山の上。外 昼
 光りはキリストが山上の講話を始めたときと同じなのに、いまは彼の言葉のバックに、バッハの楽曲「いと高き者」が響きわたる。
 バッハの楽曲「いと高き者」。
 語り続けるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト それゆえわがこれらの言葉をききて行う者を、岩の上に家を建てた慧い人に擬えようか。
 雨降り流れ漲り、風吹き荒れてその家を襲ったが、倒れなかった。岩の上に建てられていたからだ。
 わがこれらの言葉をききて行わぬ者を、砂の上に家を建てた愚かな人に擬えようか。
 雨降り流れ漲り、風吹き荒れてその家に打ちかかると、崩れてしまい、その崩れ方が甚だしかった。
 そうして山腹で耳を傾ける大群衆の上に……
 溶暗。



       44

ガリラヤの地(2)。野外 昼(イスラエル)
 歩みくるひとりの男、その移動撮影、ついでクロースアップ。ひとりの男? 身の毛の
よだつ顔だ、皮が剥がれ落ち、鼻の在るべき所に穴が空いて、疥癬の膿んだ傷口が頬の肉を蝕んでいる……
 相変わらずクロースアップのまま、男は歩みきて跪く、ついでパン撮影。男はキリストを仰ぎ見る。落着き払って歩みくるキリスト、後には使徒たちと大群衆が続く──移動撮影 が先導する。癩病人のぞっとするクロースアップ、被せて移動撮影。
癩病人 〈主〉よ、あなたが望めば、わたしを清くすることが出来る。
 いまはじっと佇んで、彼を見つめるキリスト、そのクロースアップ。底知れぬ憐れみを
込めて。癒す力は憐れみにある。卑しいぼくらの憐れみの何千倍もの憐れみを込めねばならない。
キリスト ぼくは望む、清くなれ。
 癒されて立ちあがるが、なおもおのれの幸せを理解できずにいる癩病人、そのクロースアップ、ついで全身撮影。
 (最前は病に、いまは癒しに)慈しみと憐愍に溢れんばかりのキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 気をつけて誰にも話さぬように。ただ行って、司祭に身体を見せ、モーゼの定めた供物を捧げて、彼らへの証拠となさい。
 キリストの顔の上に……
 急速な溶明。

       45

 カファルナウム。外 昼(イスラエル)
 歩みくるひとりの男、その移動撮影、ついでクロースアップ。彼は兵士、百卒長で、健
やかで逞しい男の眼差しでキリストを眺める。落着き払って歩みくるキリスト、後には使徒たちと大群衆が続く──移動撮影が先導する。百卒長の顔を、移動撮影。
百卒長 〈主〉よ、わが従卒、家に寝込んで中風を病み、ひどく苦しんでます……
 いまはじっと佇んで、彼を見つめているキリスト、そのクロースアップ 。
キリスト ぼくが行って、癒そう。
 百卒長、そのクロースアップ 。
百卒長 〈主〉よ、自分は〈主〉をわが屋根の下に入れるに相応しからぬ者であります。ただ一言のみ賜れば、わが従卒は癒されます。自分も上官をもつ身ではありますが、わが下にも兵があり、甲に「往け」と命じれば甲は往き、乙に「来い」と命じれば乙は来ます。またわが従卒に「これせい」と命じれば彼はそれをします。
 キリストのクロースアップ、その顔にはいまや気高い快活さの光がある(眸の奥で光り
輝く神秘的な「ユーモア」の光)。
キリスト はっきりと断っておく、イスラエルじゅうの誰にもこれほどの信仰は見なかった。言っておくが、多くの人が東からも西からも来て、天国でアブラハム、イサク、ヤコブとともに宴に列なるであろうが……
 彼が話している間、一心にその言葉に耳を傾けている顔々の列、それをゆっくりと パン撮影。
 ……御国の子らは外の闇のなかへ追い出されて、そこで泣いて歯噛みすることがあるであろう。
 いまは「癒す憐れみ」に鼓吹されて、頬を紅潮させたキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 往け、きみの信ずるごとくなれ。
 急速な溶暗。

       46

 ぺテロの家。屋内 昼(イスラエル)
 移動撮影、全身撮影、そしてクロースアップ。小さなベッドの老婆は苦しみ呻いて、もう臨終の苦悶が始まったかのようだ。彼女は何も見ず、何も聞かず、病の闇の底深く沈み込んでいる。
 危篤の人の粗末な部屋へ入るキリスト、その全身撮影。そして彼女に近寄る彼、その後
からパン撮影。
 憐れみを込めて見守るキリスト、そのクロースアップ。それから彼女の傍らに腰を降ろ
して、その手を取る。
 苦しみから抜け出して、この世の意識を取り戻し──感謝の目でキリストを見る老婆、 
そのクロースアップ。
 やがて相変わらずクロースアップのまま、ついでパン撮影で、哀れな女は死の床から起きあがり、ショールを身に纏うと、外に出てゆく……
 粗末な空のベッド、狭い部屋の惨めな家具、惨めな中庭──あるいは湖に臨む小窓と向かい合って、ひとりぽっちのキリスト、その全身撮影。あたりに人びとの声、絶叫、歓声、笑い声が沸き起る……
 家の中に沸き起る陽気な声々。
 ほらそこに、開け放したままの戸口に、あの老婆が嬉しそうに、花々に覆われた贈物のぎっしり詰まった素焼きの大皿を両腕に抱えて持ってくる。彼女のまわりには使徒たちや、親類──女たち男たち、母親のスカートにしがみつく子供たちが、みな嬉しそうに顔を覗かせる……
 このシーンの上に、バッハの楽曲「プロフェーティカ」が沸き起り、預言の言葉が聞え
る。
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」
預言の言葉 彼は自らわれらの患いを負い、われらの病を担った。
 急速な溶暗。

       47

カファルナウムの港。野外 昼(イスラエル)
 混沌たるざわめきたつ大群衆、その移動撮影。細部はアドリブで。野宿する人びと、呻吟する病人たち、遊び回る子供たち、楽器を掻き鳴らす若者たち、それらを移動撮影。
 民衆詩を爪弾く、楽器の調べ。
 痛ましくも無定形なあの人波を、痛々しく見守るキリスト、そのクロースアップ 。心乱れて、彼は湖を眺める。
キリスト(心が晴れて) ついておいで。向う岸へ渡ろう。
 そして向きを変えると、湖の方へ歩きだす、その後を使徒たちや群衆が続く。
 羽振りのいい服を纏い、羊皮紙の大きな包みを小脇に抱えた律法学者が、人波に揉まれて、あたふたとキリストと肩を並べに小走りにくる、その移動撮影、ついで全身撮影。キリストの脇を歩みくる律法学者、その移動撮影、ついでクロースアップ。
律法学者 師よ、師の往かれるところへは何処へでもお供します……
 歩みくるキリスト、その移動撮影 、ついでクロースアップ。
キリスト 狐には穴があり、空の鳥には塒がある、だが人の〈子〉には枕する所さえな
い。
 群衆の間を歩いていたのに、つと離れたもうひとりを、いまは移動撮影、ついでフレイミングして全身撮影 。内心の躊躇いが切なく顔に出ていた、あの名も知れぬ弟子である。彼は足を速めて、キリストと並ぶ。
 キリストの脇を歩みくる弟子、その移動撮影、ついでクロースアップ。
弟子 師よ、まず父を葬りに往かせてください……
 歩み来ながら、厳しく、応えるキリスト、 その移動撮影、ついでクロースアップ。
キリスト われに従え、死者は死者たちに葬らせるがいい。

       48

 カファルナウムの港。野外(イスラエル)
 渚に引き揚げられた小舟、その移動撮影。
 キリスト、その後を使徒の一団が続く、さらに遅れて、小舟めざしてやって来る群衆、 これらのパン撮影。
 彼方で使徒たちが舟を湖に押し出す、そのロングショット。
 すると群衆も我がちに犇めきながら、些か熱の嵩じ過ぎたその熱狂ぶりを省みるまもあらばこそ、ほかの舟に飛びついて、大声で喚きながら舟を湖へ押し出す。
 空は、俄に掻き曇った。
 凄まじい雷鳴。
 急速な溶暗。

       49

 湖の真っ只中。野外 昼。湖
 索具とタール塗りの板に凭れて、安らかに熟睡するキリスト、そのクロースアップ。
あたりは大時化。
 時化のアドリブのシークエンス──これと交互に無邪気に眠りこけるキリストのクロースアップ。ついに何人かの弟子がたまらずキリストに駆け寄って、彼を揺り動かし、起こそうとした。
使徒 〈主〉よ、お救いください。みな死んでしまいます。
 キリストのクロースアップ、そして起きあがるキリストのパン撮影
キリスト なぜ臆するか、信仰薄い者たちよ?
 そして湖を眺める。すると、いまは波穏やかに湖は凪いで、雲ひとつない空のもと、甘美な湖水が広がる。あたりにはいまはほかの舟も穏やかに、こちらを眺める群衆を乗せて、走っている。
遠くの声(ほかの舟からの) いったいあのお方はいかなるお方か、風や湖まで従うとは?
 舟の板は心地好く軋り、舳先に当たる波音も耳に快い。
 一叟の舟の甲板で、群衆のひとりが楽器を引き寄せて、いまはその調べが太陽と湖水の平安の中に甘く響きわたる。
 溶暗。

       50

 ガダラ付近の湖畔。野外 昼(ヨルダン)
 岩だらけの斜面の上の山肌に、ガダラの町が遙か遠くに見える。
 遠くの喚き声。
 麓に、豚の群れがいて、豚飼いたちがいる。そこは日溜まりの墓地だ。そしてまさにそこから獣染みたわめき声が、鳥肌が立つくらい、凄まじく聞えてきた。
 ずっと近くの喚き声。
 耳朶を打つ、凶暴な喚き声。
 二人の男というよりも、二匹の獣が、墓石の間から身をこごめて走り出て、叫びながら群衆に跳びかかる──人々は算を乱して、石だらけの岸辺に引き揚げたばかりの舟のほうへ逃げ帰った。二匹の獣はいまやキリストの眼の前にいる。
悪鬼に憑かれて喚く男の内なる声 〈神の子〉よ、われらとおまえと何の関わりがある?
 時到らぬのに此処へ来てわれらを苦しめるのか?
 底知れぬ憐れみに衝き動かされて、キリストは彼らめがけて踏み出す。二匹の哀れな生き物は、われを忘れて、歯を剥きだしながらキリストの足元で転げ回り、絶え間なく喚き呻く。と、彼らの内からまた声がする。
悪鬼に憑かれた男の内なる声 もしわれらを追い出すのなら、あの豚の群れのなかに送り
込んでくれ!
 群れのほうを見やるキリスト、そのクロースアップ。
 見よ、彼方に、乾いた山肌に豚たちが群れをなし、長閑に鼻を鳴らしている。
キリスト 往け!
 たちまち群れは沸き返って、等々。豚飼いの制止もものかは、豚たちは湖岸の断崖に突進して、喉を掻き切られたみたいに鳴きながら、等々。
 獣と人間の叫び声がいっしょくたになって、物凄い喚き声のコーラス。蛇の堀にも似つかわしい絶叫。
 砂塵の中に押し寄せる毛深い背中の波や恐ろしい鼻面、等々の、それから、湖面に降り注ぐ肉体の雨の、アドリブのフレイミング。
 穏やかな水面に鳴き喚きながら身を投げた群れ全体の壊滅のあとに、砂塵が消え去り、喚き声も弱まって……
 徐々にか細くなってついには消えてゆく喚き声。
 ……見よ、彼方で、こんどは豚飼いたちが叫び交わしつつ、遠く微かにしか聞えぬが、ガダラの町の人々を呼んでいる。
 キリストはいま、晴々とした憐れみを込めて、悪鬼に憑かれた二人の男を見つめる。その二人も、人生の晴朗さに打たれて唖然としてキリストを見つめている。そして彼らのひとりが跪いて祈る。
 だがそのときガダラの町から、白茶けた山肌を麓へ──豚飼いたちに率いられて──一群の男たちが下ってくる。声の届く距離までくると立ち止まり、一同の中の一人、見違えようもなく親方であろう老耄、あの田舎町の暴君が──下男たちに囲まれ、野蛮なほど豪奢な衣裳に身を固めて──キリストに向かって怒鳴る。
ガダラの老人 おまえさんに頼むんじゃが、われらの土地から出ていってくれ。
 大人しく背を向けて、舟のほうへ下ってゆくキリスト、その全身撮影、その後に続く使
徒たち。そして無言のうちに、舟という舟はまたもや湖に押し出される。
 溶暗。

       51

 カファルナウムの街道。野外 昼(イスラエル)
 さてカファルナウムの「パノラマ」を新たに移動撮影(キリストの最初の到着時にすで
に見たのと同じように)。
 そして、見すぼらしい田舎道で──切れ目なしに──新たな移動撮影、半ば崩れかかっ
た窓、その窓の奥にハンモックに臥す中風病みが見える。
 信奉者たちの間を歩みくるキリスト、 その移動撮影、ついでクロースアップ。彼は
立ち止まって、骨と皮ばかりの黙りこくった病人を見つめる。
 見つめ返す病人の二つの眼、あの顔の中でたったひとつ生きているもの、そのディテール撮影。
 底知れぬ憐れみに沈むキリスト、その最大接写。
キリスト(とても低い声で、心の裡に言うみたいに) 子よ、心安かれ、おまえの罪はゆ
るされた。
 全景のロングショット。キリスト、中風病み、群衆、そしてずっと後ろに離れてひと固まりの律法学者。
 会堂の広間を背に──群衆の中でひときわ目立つ権力者の衣裳を纏った学者らを切離しつぶさに映し出す移動撮影。
 彼らの一人がこの男もごく小声で、心の裡に言うみたいに呟く。
律法学者 この男は涜している……
 全景の全景撮影。キリストはそれが聞えたかのように、病人をハンモックに残したまま人込みを掻き分けて、律法学者たちのほうへ往き、呟いた男の前に立ち止まる。
 叱りはするが、憎しみや恨みや酷しさをまじえずに、律法学者に話して聞かせるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト なぜ心に悪しきことを思うのか?「おまえの罪はゆるされた」と言うのと、「起きて歩め」と言うのと、いづれがたやすいか?
 喧嘩腰で無言でキリストを睨むが、敢えて言い返そうとはしない律法学者たち、そのクロースアップに被せてパン撮影。
 このシーンの新たな全景撮影。そしてキリストは律法学者らから中風病みの許へ、来た道を取って返す。
 中風病みの前に立つキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 起きよ、床を払って、おまえの家へ帰れ。
 哀れな骨と皮ばかりの男は起きあがり、キリストのほうを見つめる。涙と喜びに煌めく彼の眸、そのディテール撮影。
 溶暗。

       52

 湖畔のカファルナウムの城門。野外
 昼(ベトサイダ)
 雑踏と、広場と、牝山羊と駱駝などのごった返すカファルナウムの城門、その全景撮影から、税関ベンチに坐って記帳を続けるマタイの全身撮影のディテールに至るまで、移動撮影。一大「定番」で、このシーンでは決まって(当時も今も)都市の玄関の日常生活の現実が、イタリア絵画の偉大な伝統である構成眼をとおして見られている(このフィルムのあらゆるスペクタクルな部分や周辺の部分と同様に)。
 これらの悉くがキリストによって「見守られた」ことと同じで、その彼はマタイに目を止めた、そのキリストのクロースアップ。
 とうとうマタイはあの眼差しに何となく惹かれて、取税人としての記帳を中途で止めて──あそこ、塵埃や、幼い少年たちや雑踏の中で──自分も目を上げて、問いたげに見つめ返す。
 キリストのクロースアップ。
キリスト われに従え!
 立ち上がって彼のほうへ来るマタイ、その全身撮影。

       53

 カファルナウムの宴会場と街中。
 屋内=屋外 昼(イスラエル)
 鮮やかな齣移動、一方呆れるほどに楽しげにモーツァルトの曲が炸裂する(曲中では聖なるものと俗なるものが奇蹟的に混淆する)……
 モーツァルトの楽しげな曲。
 ……さてここにもう一つ、「定番」の「リアリスティック」な一大シーン。それはある正餐の全景撮影で、大絵画を前にしたかのように撮影レンズはじっと動かない。
 見よ、御馳走を──ルネッサンスの大フレスコ画向きの美的豪華さと、同時に、カファルナウムという湖畔の小世界の未開の神秘をもって──並べた食卓の後ろに、キリスト、マタイ、ほかの最も敬虔な使徒たちがいる。
 しかし、彼らと一緒に、その元来荒削りな人間性のゆえに卑俗でがさつな、マタイの若い友人たち、宗教問題にはまったく疎遠な「世俗の」人たちがいる。
 しかも彼らと一緒に彼らの女たち、その明白な職業ゆえに卑俗なうわべの優雅さに満ちた女たちがいる。けれどもキリストが身近にいるので些か気後れしてか、控え目で行儀がよい。女たちの間には、たしか、マグダラのマリアもいるかもしれない。
 まわりには、乞食たちや、貧乏人の子たちや、楽士たちがいる。
 するとそこに、何人かファリサイ派が歩みくる、その全身撮影、ついでパン撮影。
 あの陽気な宴会の前を、彼らは立ち止まりもせずに、通り過ぎる、その後を相変らずパン撮影。
 歩みゆきつつ、会食中の使徒たちを振返って、ファリサイ派のひとりが言う、そのクロースアップ、ついでパン撮影。
ファリサイ派(皮肉に) いったいなぜあんたらの師は取税人や罪人と一緒に食事をする
のかね?
 眼で彼らの通過を追いながら、応えるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 健やかな者に医者は要らぬが、病む者には必要だ。それゆえきみらは行って学ぶがよい。「われの欲するは憐れみにて、生贄にあらず……」とはどういう意味かを。
 立ち止まりもせずに通り過ぎながら、もうほとんど肩ごしに、皮肉に見返すファリサイ派、その全身撮影に被せてパン撮影。
キリスト(言い聞かせようと、初めて声を高めながら) 実際、われの来たるは、正しき
者を招かんとてにあらず、罪人を招かんとてなり!
 通り過ぎて、いまは背を見せつつ、立ち去ってゆくファリサイ人たち、その全身撮影、被せてパン撮影。
 空に舞う雌鳩たち(これと同じ飛翔をヨハネは監獄で見守ったのだった)そしてあの飛翔の下を、敬虔な様子の男たちが宴会場へと、リバースショットで、歩みゆく。
 彼らは歩み来て、その全身撮影、ご馳走を並べた食卓の前で立止まる。ヨハネの弟子のクロースアップ。
ヨハネの弟子 われらとファリサイ人とは断食しているというのに、なぜあなたの弟子たちは断食しないのか?
 モーツァルトの曲が一段と楽しげに響きわたる。
キリスト 花婿の子ら、花婿と共にある間は、どうして喪に服すことが出来ようか?
 にわかに音楽が途絶える。

キリスト 花婿が子らから奪い取られる日々が来るだろう、そのときこそは彼らも断食す
るであろう。
 継ぎの当った服を纏った下男が話に耳を澄ませている、その全身撮影。

 ……誰も新しい布切れで古き衣を継ぎはせぬ。そんなことをすれば、補った新しい布切れが古い衣を引っ張って、綻びは一層酷くなってしまう。
 召使たちがそのまわりに集まって、葡萄酒を注ぎ入れる支度をした何袋かの革袋、その全体撮影。
 ……また新しい葡萄酒を古き革袋に入れもしない。そんなことをすれば、袋は破れて酒はこぼれ落ち、革袋も使い物にならなくなってしまう。だから新しい酒は新しい革袋に入れて、両ながら長持ちさせるのだ。
 彼がこのように話している間に、画面外で絶望しきった声が聞える。
会堂の司の声 〈主〉よ、〈主〉よ!
 駆け入ってきて、その後からパン撮影、宴会の前に立つ会堂の司、その全身撮影。
 それから相変らず後からパン撮影、キリストの前に立ち止まるまでクロースアップ。
会堂の司 わたしの娘がたったいま死にました。ですがいらして、御手を娘の上に置いて下さい、そうすれば娘は生き返ります。
 キリストは立ちあがり、その全身撮影、弟子たちとともにその後からパン撮影、ご馳走の並んだ食卓を後にして、みな後ろ姿をロングショットで撮られつつ、日の照りつける街道をゆく。
 しかしひとりの病んだ女が埃の中にうずくまって、ぱくりと裂けた低い壁に凭れ、顔は蠅に覆われたまま、一行の通るのを見守っている、その全身撮影。
 一行は、その後からパン撮影、彼女の前を通り、はや後ろ姿となる。
 女の目、恐ろしく血の気の引いた、蠅だらけのあの顔の中で、たった一つ活き活きしている、その目のディテール撮影
女 彼の外衣の裾にでも触れることが出来たなら、あたしは治るのに……
 そして残るわずかな力を振り絞って女は立ちあがり、キリストの外衣に手を触れる、その女の全身撮影。そのときキリストは早や後ろ姿だったが、彼女のほうに向き直る。
 キリストのクロースアップ。
キリスト 娘よ、しっかりおし、おまえの信仰がおまえを救ったのだ。
 涙と喜びの漲る──明るく清められて晴々とした顔から──見あげる女の二つの瞳、そのディテール撮影。
 死者の家を見やりながら、無言で歩みくるキリスト、使徒たち、会堂の司、その全身を捉えつつ移動撮影。その家に向けられた移動撮影車の撮影レンズが葬式を映し出す。楽士たちが葬送の曲を奏で、女たちが金切り声を立てて泣いている(「定番の」新たな一大ショット、など)。
 じっと動かず、厳しい顔のキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 退け、少女は死んだのではない、眠っているのだ。
 信じられずに、誰もが口を噤む、そのロングショット。
 キリストが家へ入る、その全身撮影。

       54

 会堂の司の家。屋内 昼(イスラエル)
 死の静寂の中を、死んだ乙女の横たわる身体をゆっくりと移動撮影。
 彼女に近寄って、死の中に失われたそのあどけない美しすぎる顔を、憐れみを込めて見つめるキリスト、その前からの移動撮影。
 彼女の手を取るキリスト、その全身撮影。
 目を開ける乙女、そのクロースアップ。
 驚きと笑いの漲る眸、そのディテール撮影。

       55

 カファルナウムの街中。野外 昼(イスラエル)
 会堂の司の家から遠ざかりゆくキリストと使徒たち、その全身撮影、被せてパン撮影。
 彼のほうへ、必死に手探りしつつ、躓きつつ、親類たちに支えられて、走ってくる二人の盲、
盲 ダヴィデの子よ! わたしらを憐れみたまえ。
キリストのクロースアップ。
キリスト きみらはぼくにそれが出来ると信ずるのか?
盲 はい、〈主〉よ!
 キリストが彼らの目に手を触れる、その全身撮影。
キリスト きみらの信仰のごとく、なれ。
 喜びにきらきらと輝く、盲たちの開かれた目、そのディテール撮影。
 キリストのクロースアップ。
キリスト 気をつけて、誰にも知られるな。
 群衆の間を狂喜して駆け抜ける二人の盲、その後を親類たちが追う。その盲たちの全身撮影。
盲たち ダヴィデの子が、わたしらの目を治された!
 さてここに、リバースショットで、一行が会堂のポーチ前に通りかかると、律法学者やファリサイ派が羊皮紙を手に屯していたが、そこへ一団の人びとが野獣にも似て荒れ狂う気狂いをやっとのことで曳きずってくる。
 この一団の人たちはパン撮影を後に連れ、 キリストのほうへ、全身撮影でやって来る。
 教養人の家である彼らの会堂から、このシーンを眼で追っている権力者の顔という顔、 その顔々をパン撮影。
 見よ、あちらにキリスト、その全身撮影、 の前に気狂いを引き据えた一団がいる。
 すると、見よ、気狂いが段々鎮まってきて、向こう向きのままじっとしている。それから、
感謝するかのようにキリストの前に跪く。
 うわべから見るかぎり、権力者たちの顔には別に卑しむべきところも邪悪なところも見当らない。
 それどころか彼らはおのれの信仰と慣例を信じかつ守る、知識人の知的顔立ちをしている。
 そしてこのような奇蹟を目の当りにしても、無知な人びとの迷信を前にした教養人の態度を、彼らは崩そうとしない。
 ほかの者よりも粗野で頑迷、あるいは狂信的なひとりのファリサイ人、そのクロースアップ。
ファリサイ人 悪鬼どもの頭の力で、彼は悪鬼を追い出すのだ。
 溶暗。

       56

 ガリラヤの街。野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 さてここに、ゆっくりとした移動撮影に映し出されて──雑踏の中を歩みゆくキリストが見たのと同じ──絶望しきった哀れな群衆が街中の塵埃の中に泥濘の中にいる。
 悪鬼に取り憑かれた人たち、その移動撮影。 盲いた人びと、その移動撮影。中風病みたち、その移動撮影。歩みくるキリスト、そのクロースアップと代わる代わるに、前から移動撮影、辺りを眺めてゆく。いまやキリストはじっと立ちつくす。
キリスト(心の裡に言うかのように) 彼らは羊飼いなき羊たちみたいだ……
 ……それからまわりを見回して、弟子たちに……
 ……そして彼が話しだすのを待つ弟子たち、そのパン撮影。
キリスト 刈り入れるべき穂は多いのに、働き手が少ない。それゆえ刈り入れの主にその収穫のための働き手を遣わしてくださるよう祈れ。
 途中で言い止めて、おのれの弟子たちを見やるキリスト、そのクロースアップ。
 息をひそめて師の言葉を一心に待つ弟子たちの顔という顔、そのパン撮影。
 キリスト、そのクロースアップ。
キリスト ペテロ……アンデレ、ヤコブとヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスとマタイ、アルファイの子ヤコブ、タダイ、シモン、イスカリオテのユダ……
 次々と名前が響きわたるごとに、選ばれた弟子たちひとりひとりをクロースアップ。
 キリストのクロースアップ。
キリスト きみたちが刈り入れの働き手となろう。
 そして歩きだす、全身撮影の移動撮影に先導させて。彼の後には一団となって十二人の使徒が歩みゆく。
 非常に長い、果てしない移動撮影、その 移動撮影が、歩みゆく一行に先行して、後方に彼らの往く道を露わにしてゆく、果てしない事物と人びとの慎ましい多様性。
 一方には下水漲る溝、他方には小さな家々の上塗りの剥がれ落ちた低い壁、そして思いがけなく草木と花々が生い茂り咲き誇っているかと思えば、塵芥の山、そして半裸の楽しげな少年たち、老婆に老人、乳飲み子を抱く母親たち、牝山羊、羊の群れ、通り過ぎる金持たち……
 あたりの暮らしはいつもと変わらずに繰り広げられている。なぜなら対話はいまはキリストとその使徒たちの間だけで、密やかにひたむきになされているからだ。
 それゆえ惨めな街道を往くキリストと使徒たち、その全身撮影、先行する移動撮影。
キリスト 異教徒の通りを往くな、またサマリア人の町にも入るな。むしろイスラエル人の家の失われた羊たちのもとに行け。
 そして行って述べ伝えるのだ、天国は近づいた、と。
 病む者を癒し、死者を甦らせ、癩病みを清め、悪鬼を追い出せ。
 きみらの力はただで授かったのだから、ただで与えよ。きみらの帯の中に金も、銀も、銭も溜めこむな。
 旅の袋も、二枚の下衣も、鞜も、杖も持つな。なぜなら労する者に食物の権利はあるのだから。
 どの町、どの村に入るとも、その中に相応しい者を尋ねだして、発つ日まではそこに留まれ。
 その家に入る際には平安を祈れ。その家がこれに相応しければ、きみらの祈る平安はその家の上に宿る。もし相応しくなければ、その平安はきみらのもとに戻るだろう。
 そしてもし誰かきみらを泊めず、きみらの言葉を聞かぬ者があれば、その家を出る際、またその町を出る際にはきみらの足の塵を払え。
「そしてもし誰かきみらを泊めず云々」の言葉あたりから、低く流れ出して広がってゆく……
 …… バッハの「いと高き者」の楽曲が最後の言葉まで強く鳴り響く。
 歩みゆきながら話して聞かせるキリスト、 そのキリストに先行して移動撮影しながら、クロースアップ。
キリスト 断っておくが、審判の日にはその町よりもソドムやゴモラの地のほうが軽い罰で済むことだろう。
 再び移動撮影に先導されて進みゆく一行、その全身撮影。いまはキリストは短い沈黙の中に思いを凝らしている──バッハの「いと高き者」の楽曲が消え失せた。やがてまた語りはじめる。
キリスト 見よ、ぼくがきみたちを遣わすのは、羊を狼の群れの中に入れるにも似る。
 それゆえきみらは蛇のように用心深く、鳩のように純真になれ。
 人びとには注意せよ、きみらを地方法院に引き渡し、彼らの会堂できみらは鞭打たれるだろうから。
 そしてぼくゆえにきみらは総督や王の前に引き出されて、彼らや異教徒に証言を迫られることだろう。
 だが彼らの手に落ちたからとて、何をいかに話そうかと思い煩うな。
 そのときには言うべきことは授けられるのだから。
 実際は話すのはきみらではなく、きみらの中で語る〈きみらの父〉の〈霊〉なのだ。
 バッハの「いと高き者」の楽曲が再び低く奏でられだす。
キリスト ……兄弟は兄弟を死に引き渡し、息子たちは両親に抗いたって死に追いやるこ
とだろう。
 そしてきみらはわが名のゆえにすべての人に憎まれることだろう。
 けれども最後まで辛抱強く続けた者だけが救われるのだ。
 だからこの町にて迫害されるときにはあの町に逃げよ。
 バッハの「いと高き者」の楽曲が力強く爆発する。
 移動撮影に先行されてキリストのクロースアップ、彼がいっそう力強く語りかけながら歩みくる。
キリスト ……なぜなら断っておくが、きみたちがイスラエルの町という町を巡りつくさないうちに、人の〈子〉がくるであろうから。
 音楽が止む。

 再び執拗に移動撮影が先行して、キリストと使徒たちの全身撮影、一行はますます荒れ果てた街道を進みゆく。キリストは黙って思いに沈む。やがてすぐにまた語りだす。
キリスト 師にまさる弟子はなく、主人にまさる僕はいない。
弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで足りる。
 もし家の主人を悪鬼の頭ベルゼブルと呼ぶのであれば、その家の者はいっそうひどく言われることだろう! 
 だから彼らを恐れるな、隠れたもので知られないものはなく、覆われたもので露われないものはないのだから。
 闇の中でぼくがきみらに語ることを、きみらは光の中で語れ。そして耳打ちされたことを、屋根の上から言い広めよ。
 また身体は殺せても魂を殺せない者どもを恐れるな。むしろ魂も身体も地獄で滅ぼしうる者を恐れよ。
 二羽の雀は一銭で売っているではないか? 
 それでもその一羽でさえ、きみらの〈父〉の許しがなければ、地に落ちはしない。
 きみらの頭の髪の毛さえみな数えられている。だから恐れるな。きみらはあまたの雀たちよりもはるかに勝っているのだから。
 それゆえ人びとの前でぼくを知っているという者を、ぼくもまた天にいますわが〈父〉
の前でその者を知っていると言おう。
 だが人びとの前でぼくを知らないと言う者は、ぼくも天にいますわが〈父〉の前でその者を知らないと言おう。
 バッハの「いと高き者」が強烈に爆発する。
キリスト ぼくが地に平和をもたらしに来たと思うな。平和にあらず、剣をもたらしにき
たのだ。
 ぼくが来たのは人をその父から、娘をその母から、嫁をその姑から分つためなのだから 
 こうして人の敵はその家の者となるだろう。
 ぼくよりも父や母を愛する者はぼくに相応
しくない。そしてぼくよりも息子または娘を愛する者はぼくに相応しくない。
 おのれの生命を得る者はこれを失い、ぼくゆえに生命を失う者はこれを得るだろう。
 バッハの「いと高き者」がいままた低く始まり、話の終りに消えてゆく。
 最前のこのうえなく気高い言葉のあと、ずっと落ち着いた小声で再び語りだすキリスト、
そのクロースアップ(相変わらず移動撮影 が先行して前へ進みながら)。
キリスト きみらを迎え入れる者はぼくを迎え入れ、ぼくを迎え入れる者はぼくを遣わした方を迎え入れる者だ。
 預言者を預言者として迎え入れる者は預言者と同じ報いを受け、正しい人を正しい人として迎え入れる者は正しい人と同じ報いを受ける。
 そしてぼくの弟子だからという理由で、これら小さき者のひとりに冷たい水一杯にても渇きを癒させる者は、断っておくが、必ずその報いを受け取ることだろう。
 そして歩みゆくキリストの霊感を受けた顔の上に……
 溶明

       57

 空。野外 昼
(マケロンテ。ヨルダン、死海)
 中空を曰くありげに、旋回する雌鳩たちの飛行。

       58
 
 独房。屋内(ヨルダン)
 監獄の薄暗がりの中で鎖に繋がれているヨハネ、そこに一条の光が差し込む。彼は祈りに精神を集中している。蓬髪の頭を胸の上にうなだれて。
 しかしやがて頭を起こしながら、おのれの前を見据える。何事かに苦悶して顔を曇らせながら確信の持てぬままに、悩んでいるように見える。
ヨハネの内心の声 来るべき者は彼だろうか、それともわれらはまだほかの者を待たねばならないのだろうか?

       59

 ガリラヤのある町の広場。野外
 昼(イスラエルかヨルダン)
 見よ、ここに──ヨハネの齣についで鮮やかな齣移動──眼を凝らすキリスト、その全身撮影。彼のまわりにはいつもよりも人が少ない。そして群衆はおのれの日々の生業に忙
しい。キリストは眼を凝らす……
 広場の全景撮影。またも一大《リアリスティックなシーン》
 市でごった返す時刻を外れた埃っぽい広場……乾燥しきった大気の中に貧しい木立……襤褸と豪奢……牝山羊、駱駝たち……崩れかけた昔の城壁の下で一群の幼い少年たちが悪ふざけして遊んでいる。即席の楽器を奏でる者もいれば、お道化た仕草で踊る者もいる。
 そんな広場を横切って、ヨハネのふたりの弟子がキリストとその弟子たちのほうへやって来る。彼らはキリストの前で立ち止まる。
ヨハネの弟子 ヨハネがぼくらを遣わしてきみに尋ねるのだが、来たるべき者はきみだろうか、それともぼくらはほかの者を待たねばならないのだろうか?
キリスト きみらが見聞きしたことを、行ってヨハネに告げよ、盲は見、跛は歩き、癩病人は清められ、聾は聞き、死人は甦り、貧しい者には福音が説かれた、ぼくに躓かぬ者は幸いなるかな、と。
 空ににわかに鳩が飛ぶ。そしてその飛行に視線が運ばれたかのように、見よ、再び城門外の広場の全景撮影。
 陽射しに麻痺した活発な群衆、あちらで幼い少年たちがお道化て歌ったり踊ったりしている。
 ヨハネのふたりの弟子がその真ん中を通り抜けて、彼らの師のもとへ帰ってゆく。
 さっと真っ白にする、翼の羽ばたき。眼を眩ませる空に鳩たちの有頂天の飛翔。そしてヨハネの思い出とその俤にわれを忘れて想いに耽るキリスト、そのクロースアップ。
キリスト(愛の認知に溢れて燃えるように) 
 きみらは何を眺めようとして荒れ野に出たのか?
 風にそよぐ葦をか? 
 ならば、何を見ようとして出たのか? 
 柔らかな衣を纏った男をか? 柔らかな衣を纏った男たちなら、王の宮殿にいる。
 ならば、何のために出たのか? 
 預言者を見ようとしてか? そうだ、言っておくが、きみらは見たが預言者以上の者は見なかったのだ。彼についてはこう録されている。
「見よ、わが使いをおまえの前に使わし、おまえのために道を整えさせよう……」
 こうした最後の言葉のバックに非情に微かに、しかもたちまち消え失せるバッハの「プロフェーティカ」の調べ。
 誰に話しているのかキリストは? わずかばかりの人だかりに。
 なのにこの埃っぽい広場でいま彼の話に耳を貸している人たちはうわのそらで、無関心なうえに誰か立ち止まったかと思ううちにまた立ち去ってゆく。
キリスト はっきりと言っておくが、女たちから生れた者の中で洗礼者ヨハネよりも大いなる者は現れなかった。
 それでも天国の中で最も小さい者でも彼よりは大きい。洗礼者ヨハネの日々より今日まで天国は烈しく攻められ、攻める者は嵩にかかって脅かす。
 すべての〈預言者〉と〈律法〉の予言したのは予言者ヨハネの時までのことである。
 きみらに聞く耳があるのならば、彼こそは来るべきエリヤなのだ。耳ある者は聞くがよい。
 彼はあたりを見回す、目に入るのは、眠たげでうわのそらのわずかな人だかり……陽射しの照りつける大きい広場……あちらで子供たちが奏でたり歌ったりしている。
キリスト それではぼくはこの世を何に譬えようか? 
 いまの世は、広場にいるあの子らが仲間に呼びかけて、
「横笛を吹いたのに、きみらは踊らなかった。歎きの声をぼくらが上げたのに、きみらは泣かなかった」
 と言うのに似ている。
 ヨハネが来て飲み食いしないと「悪鬼に取り憑かれている」と言い、人の〈子〉が来て飲み食いすると「見よ、大食いの大酒のみ、取税人や罪人の輩だ」と口々に言う。
 しかし〈叡智〉はまさにその成した業によって正しいと認められるのだ。
 人だかりの大半は散ってゆく、みなおのおのの暮らしの日常のつましい必要亊にかまけて、あるいは疲れかそれとも陽射しの荒んだ烈しさに拉がれて。
 ぱっと立ちあがり、気高く抑えた怒りに震えるキリスト、そのキリストを相変わらずクロースアップ、ついでパン撮影。
キリスト 禍なるかな、おまえたち、町という町よ、おまえたちの中でわが奇蹟を起したのに、おまえたちは悔い改めなかった! 
 おまえたちの町中で起した奇蹟の数々がティルスやシドンで成されていたなら、これらの町はとうの昔に粗布を纏い灰を被って悔い改めていたに違いない。
 それゆえ言っておくが〈裁き〉の日にはティルスやシドンのほうがおまえたちよりはまだ軽い罰で済むことだろう。
 そしておまえ、カファルナウムよ、おまえは天にまで挙げられるとでも思っているのか? 地獄までおまえは突き落とされることだろう。おまえの街中でなした奇蹟をソドムで成していたなら、あの町は今日もあったことだろう。
 それゆえ言っておくが〈裁き〉の日にはソドムの地のほうがおまえよりまだ軽い罰で済むことだろう。

       60

 ガリラヤのある野辺。野外
 昼(イスラエルかヨルダン)
 真昼の太陽の深みに落ちた畑や牧場の光景をゆっくりと移動撮影。深く落ちこむ静けさの中に、小鳥たちの神秘的な震える歌声──そして野辺が太陽の平安の餌食となるこんな時刻に──遙か遠くで呼んでは応えるさらに神秘な声々。
 あの畑、あの平安に向けて歩みゆくキリストとわずかな弟子たち、彼らに先行して移動撮影。
 歩みゆくキリスト、彼は心の底からの神秘な悲しみに浸りきって、われを忘れている、 その彼のクロースアップ、それに先行して移動撮影。
 しかしやがて歩きながら眼を上げて立ち止まる。
 眼には喜びと優しさの俄の光を宿して、深く波うつ麦の穂を背に道の縁に立つ貧しい人びとの一団を見守っている。
 野良仕事を終えた家族全員なのかもしれない。老いた祖父……小柄な老婆……赤ん坊を片腕に抱えた若い女……農具を誇らしげに担いでいる十五歳くらいの少年……その傍らのずっと小さな弟……そして少し離れて、男の無愛想な寡黙さの中に閉じ籠もった父親……
 けれどもキリストのあの喜びに満ちた眼差しに照らされると、あの無辜の人びとのどの眸も感染して圧倒されて、慎ましく喜びに満たされる。
 キリストのクロースアップ。
キリスト 〈父〉よ、ぼくはあなたを讃える、天と地の〈主〉よ、あなたはこれらのことを学者や賢者らからは隠して、純真な人たちに顕わされた。
 しかり〈父〉よ、かくあるこそ、御心に適う。
 何事もわが〈父〉よりぼくに与えられ、〈子〉を知る者は〈父〉のほかになく、
〈子〉と〈子〉が明かしたく思う者たちのほかに〈父〉を知る者はない。
 彼は天を見あげて、楽しげに語った。
 けれどいまはまた目を落として、あの農民一家を眺める、彼らはなおも心を奪われたまま無邪気に彼を見つめ返している。彼が一家に近寄る。
キリスト 疲れた者、虐げられた者、きみたちみなぼくのもとにおいで。休ませてあげよう。
 ぼくは心穏やかで慎ましいのだから、ぼくの軛をきみらが負い、ぼくから学べ。
 そうすればきみらの魂に安らぎが得られるだろう……
 全身撮影の中、彼は数歩あるいて若い母親の両手の中から赤ん坊をそっと取りあげて、優しく毬みたいに揺すりながら、幼児と戯れては人みなするように、高々と天に差しあげる。
キリスト ……ぼくの軛は心地よく、ぼくの荷は軽いのだから!
 彼の弟子たちは見守りながら、彼らも笑っている。やがて誰かが腹を空かせて道沿いの畑に入り込むと、麦の穂を摘んでその粒を食べはじめる。
 するとほかの弟子たちも腹を空かせて彼に倣う。
 そして見よ、彼らはあそこで立ったまま、あるいは埃っぽい木のかぼそい木蔭に腰を降ろして、その憐れな食事を摂る。
 埃の雲の中を一台の馬車がいまそこにさしかかる。
 何頭もの馬に曵かれて下男たちの小行列まで後ろに従えている。不意に停まった馬車の小窓から金持の服を着た二人の「教養ある知的な男」が顔を出してその場の光景を観察する。彼らは腹を空かせて咀嚼する憐れな弟子たちの姿を見、少し離れたところでその慎ましい友らとあるキリストを見る。
ファリサイ派 見よ、おまえの弟子たちは安息の土曜日にすまじきことをしている。
キリスト ダヴィデがその伴う人びとと飢えたとき、なしたことをきみらは読まなかったのか? 
〈神〉の家に入りこみ〈供え〉のパンを食べたではないか、祭司のほかは、彼もその伴う人びとも食べてはならなかったのに。
 また、土曜日に〈神殿〉の祭司たちは境内で安息日を侵しても罪にはならない、と〈律法〉にあるのをきみらは読まなかったのか?
 いまはっきりと言っておくが〈神殿〉よりも大いなる者がここにいる。
「われは憐れみを欲し、生贄を欲さず」とはどういう意味かを、もしもきみらが分っていたなら、きみらは無辜の者たちを罪に貶めはしなかったことだろう。
 まことに人の〈子〉は安息日の主であるのだから。

       61
 
 会堂。屋内 昼(イスラエル)
 中風病みの硬直した片手のディテール撮影。一群のファリサイ派に囲まれて狼えている中風病みを映し出すまで後退しながら移動撮影。
 彼らの前に立つキリスト、そのクロースアップ。
ファリサイ派 安息日に人を癒すは合法か?
キリスト きみらの内にたった一匹の羊を持つ者がいるとして、もし安息日にその羊が穴に落ちたら、これを引っ張りだして助けないだろうか?
 人は羊よりもはるかに大切だ。それゆえ安息の土曜日に良いことをするは正しい。
 黙って、切に眼を凝らす中風病み、 7そのクロースアップ。
キリスト きみの手を伸ばせ。
 開いて、動く、片手のディテール撮影。
 なおもおのれの幸せを理解できずにいる、癒された中風病みの全身撮影。
 幸せに満ちた眸のディテール撮影。
 ゆっくりと、パン撮影に追われて、会堂を出てゆくファリサイ派の人びと、その全身撮影。
 ファリサイ派がおし黙って遠ざかってゆく一方で、キリストは親しげな軽い笑みを浮かべて中風病みに向き直る。
キリスト 誰にもきみが治ったことを知らせてはいけない。預言者イザヤによって録されたことが成就するように……
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が爆発する。
キリスト 見よ、わが選びたるわが僕、わが心の悦ぶ、わが〈愛しいひと〉……
 キリストの声に追われて遠ざかってゆくファリサイ派の人びとの後ろ姿、その全身撮影。
キリストの声 われわが〈霊〉を彼の上に置く、そして彼は諸国の民に正義を告げ示すであろう。
 そして見よ、再びキリストの光り溢れる顔。
キリスト 彼は争わず、叫ばず、その声を広場で聞く者はいないであろう。
 早や門扉に着いたファリサイ人の後ろ姿、 前記のように、その全身撮影。
キリストの声 彼は罅割れた葦を折らず、けぶる灯心を消さないであろう。
 恍惚としたキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 正義が勝利を占めるその日までは。そして彼の名に諸国の民はその望みを託すことであろう。

       62

 会堂前の広場。野外 昼
 会堂前の広場は無人で、太陽に食い尽くされている。
 退出してくるファリサイ派の人びと、一方、バッハの「プロフェーティカ」の調べは消えてゆく。そこでいまは静けさが極まる。
 ただたまに烏が啼く。間が抜けて鋭い啼き声があちらこちらに真昼の炎熱の中、埃の上に谺する。
 ファリサイ人が輪になって集まって、黙り込んでいる。
 敗北に強張る彼らの顔という顔、そのパン撮影、その敗北から無慈悲な考えが大きく根
を張ってゆく。
(〈信仰〉に対して宗教の既成制度を守り抜こうとする盲た獰猛さが)
ファリサイ派 彼を死なせる手立てを見つけねばならない。

       63

 ガリラヤのとある町の街中。野外
 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 喚き、呻き、身を捩る気狂いの顔、そのクロースアップ。
 後退しながら移動撮影して全身撮影で気狂いと、彼のまわりに犇めく憐れな群衆を映し
出すまで。
 気狂いの喚き声と呻き声。
 憐れみをこめて気狂いを見つめるキリスト、そのクロースアップ。
 少しずつ鎮まる気狂い、そのクロースアップ。
 感謝の笑みがこぼれる、癒された気狂いの眸、そのディテール撮影。
 全景撮影。貧しい人びとの汚れて埃だらけの見すぼらしい街中の向う、あちらの奥に、洗練された庭の木蔭に何人かのファリサイ人が召使や犬たちを従えて腰を降ろしている。
 彼らに向けて移動撮影してゆくと、十五世紀もしくは十七世紀の画家たちがそのリアリスティックな空想力をもって思い描くような彼らの「パーティー」が映し出される……
 ひとりの若者が主人たちに給仕しながら、あの下のほうの人だかりと、キリストと、奇蹟を眺める。
召使(おのれに向けて) あの人は〈ダヴィデの子〉だろうか?
ファリサイ人(召使に向かって、激怒して) 
 あやつは悪鬼の頭ベルゼブルの力によらなくては悪鬼を追い出すことはない!
 全景撮影。群衆を割って、土埃の上、牝山羊や牝牛の糞の上、塵の上を歩いて庭の涼しくて爽かなその一隅へと歩みくるキリスト。彼が金持たちの前に立ち止まる。
キリスト どんな国でも内で別れて争えば滅び、どんな町や家でも内で別れて争えば立ち行かない。
 そしてもしサタンがサタンを追い出せば、それは内で別れて争うことだ。
 ならば、どうしてサタンの国は立ち行こうか? 
 それにもしぼくがベルゼブルの力によって悪鬼を追い出すのなら、きみらの子は何の力で追い出すのか? 
 それゆえ彼らがきみらを裁く者となろう。
 しかしもしぼくが〈神〉の霊の力で悪鬼を追い出しているのであれば、きみらのところまで〈神〉の国はやって来ているのだ。
 また、まず強い者を縛らないで、どうしてその家に押し入って家財道具を奪うことが出来ようか? 強い者をまず縛ってこそ、その家を奪えるのだ。
 ファリサイ人は曖昧に関心を紛らせつつ、彼の話に耳を傾ける。
キリスト ぼくとともにある者のほかはぼくに背き、ぼくとともに集めない者は散らしている。
 全身撮影のキリストのまわりにはその弟子たちもやって来て、奇蹟に立ち会った群衆もこれに加わる。
 いまはキリストは全身撮影で話し、そしてそれは裁き、罰するキリストだ。彼の優しさ、彼の小声、彼の疲れを知らぬ教えさとす力はいまは影をひそめて震えを帯びた烈しさを内に籠めた声となる。
キリスト それゆえきみらに断っておくが、どんな罪、どんな罵りも人には許されるが、〈霊〉に対する罵りは許されない。
 そして人の〈子〉に逆らって言う者は許されるが〈聖霊〉に逆らって言う者はこの世でも後の世でも許されない。
 あるいはきみらは木を善しとするならその実も善しとし、木を悪しとするならその実も悪しとせよ。
 木の善し悪しはじつにその実から知れる。
 召使たちは控えめに、肝を潰して、魅せられつつ彼を見つめる。
 しかしファリサイ人はそうはいかない、教養人としての彼らの意識の不信の中に閉じ籠もる。
キリスト 蝮の裔よ、どうして善いことを言えようか、おまえたちが悪しき者ならば?
 口はまさしく心から溢れ出ることを語る。
 善い人は善い蔵から善い物を取りだし、悪しき人は悪しき蔵から悪しき物を取りだす。
 言っておくが、人の語るどんな無為の言葉も〈裁き〉の日には糺されることだろう。
 きわめて長い沈黙。召使の顔という顔……ひとりの下女が乳飲み子を胸に抱き締めている……
 ファリサイ人が食卓の上の一本の花を指の間で圧し潰す……
 ……まことにおまえたちはおのれの言葉によって義とされ、おのれの言葉によって罪せられる。
 またもきわめて長い沈黙が群衆の上に、金持の一団の上に訪れる。
ファリサイ人 師よ、われらはあなたの徴を見たいのだが……
キリスト 邪な不義の世の者どもよ! 徴が欲しいとか、だがいかなる徴も与えられはしない、〈預言者ヨナ〉の徴のほかには。
 ヨナが三日三晩、鯨の腹の中にいたように、人の〈子〉も三日三晩、地の懐に留まることだろう……
 こう彼が話す間に遠くから叫びや驚きや呼ぶ声が聞えてくる。何か思いがけないことに、気もそぞろとなった群衆のざわめきだ。二、三人少年が走ってくる、そしてずっと後ろの遠くから、新たな人びとの群れが歩みくる。 
 撮影レンズがこうしたこと一切を映し出している、そのうちにもキリストは泰然として語り続ける。
画面外のキリストの声 ニネヴェの人びとは〈裁き〉のとき再び立ちあがり、いまの世の人びとに対してその罪を定めるだろう。
 なぜなら彼らはヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
 見よ、ヨナよりも勝る者がここにいる。
 南の女王は〈裁き〉のときに立ちあがり、いまの世の人びとに対してその罪を定めるだろう。
 なぜなら彼女はソロモンの智慧を聴こうと
して地の果てから来たからである。
 見よ、ソロモンよりも勝る者がここにいる。
 少年たちはいまはキリストの間近に来た。彼らの眸は悦びに輝いている、ニュースを、善いニュースを持ってきたからだ…… 彼らのひとりがキリストの衣裳の裾襞を引く。
少年 あんたの母さんとあんたの兄弟たちがあっちの外にきて、あんたと話したがっているよ……
 けれどもキリストは中断せずに、ファリサイ人に向かって頑として語り続ける。
キリスト 汚れた霊が人から出たときには、水なき処を彷徨い歩いて休もうとする……
 見よ、ロングショットで、列をなして道を開ける群衆の間をキリストの親類たちが歩みくる。
 マリアはとても慎み深く気後れして度を失ったかのようにあたりを見回している。あそこまでマリアを連れてきたのは親類連中だった。これほど度外れたあの彼らの従兄弟に敵対的で疑い深い親類連中だ。
画面外のキリストの声 ……が、見つからない。すると言う、
「出てきたおのれの家に帰ろう」
 と、そして帰ってみればその家は空いていて、掃き清められ、飾りたてられている。そこで往って、おのれより悪しきほかの七つの霊を連れてきて……
 マリアの上にバッハの「死のモチーフ」が気高く、深い悲しみを誘って爆発する。
 マリアのまわりにはキリストのほかの親類たち、若い「弟や妹」たちがいたが、彼らも怖じ気づき、いくらか恐がっている……
画面外のキリストの声(続き) ……一緒に入って、そこに棲みつく。だからその人の後の様は前よりも悪しくなる。邪ないまの世のおまえたちもまたこのようになることだろう。
 ファリサイ人に向いたまま、キリストが語りおえたそのときに、やや気落ちした少年はあんなにも悦びに溢れていた眸にいまは悲しみのヴェールを被せて、再びキリストの袖を引く。
少年 あんたの母さんがいるし……あんたの弟たちもいる……
 そのとき、キリストは振り向く。そして見つめる…… するとそこ、彼の目の前に、慎ましく聖なるマリアが彼女も彼を見つめ返している、このうえなく優しいその眸のほかではあえて話しかけようともせずに。
 キリストのクロースアップ。彼の眸もまた底知れぬ悲劇的なやさしさに溢れている。
キリスト ぼくの母親とは誰か、またぼくの兄弟たちとは誰か?
 それから彼はその弟子たちのほうを振り向く。ゆっくりとパン撮影、彼らを──そして
マリアをも。
キリスト 見よ、ここにぼくの母親とぼくの兄弟たちがいる。誰であれ、天にいますわが〈父〉の意志を行う者はすなわちわが兄弟、わが姉妹、わが母親である。
 バッハの「死のモチーフ」がこのうえなく高らかに鳴り渡り、消えてゆく。
 溶暗 。

       64 

 ガリラヤの野辺。野外 昼
(イスラエルまたはヨルダン)
 畑の広がりをゆっくりとパン撮影、黄金色の麦畑がそよぐ風に忘れっぽく音を立ててい
る。そして忘れっぽく、ひとりの農夫が家畜を怒鳴りつけながら働いている。
 思いを凝らしてから語りはじめたキリスト、そのクロースアップから、弟子たちと一緒
に、湖畔で彼の話を聴きに彼のまわりに出来た小さな人だかりを映し出すまで、移動撮影。
キリスト さて、種を蒔く人が種を蒔こうと出かけた。
 そして蒔くとき種の一部は道端に落ちた。鳥たちが来てその種を啄んだ。
 ほかの一部は土の薄い石地に落ちた。土が深くなかったからすぐに萌え出たけれど、太陽が昇ると灼けて、根がないので枯れてしまった。
 ほかの種は茨の間に落ち、茨が育つと塞がれてしまった。
 またほかの種は良い地に落ちて、実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍となった。
 耳ある者は聴くがよい。
ひとりの弟子 なぜ彼らには譬えで話すのか?
 キリストは彼を見つめて微笑んだ。それからゆっくりと腰を上げて歩きだし、湖畔を行く。片側は湖、反対側は麦畑の乾いた花咲く畑ばかり。弟子たちと群衆が彼についてゆく。
 長い移動撮影が先行して、キリストと群衆が進むにつれて次第に街道と新たな人たち──一般民衆、少年たち、若い女たち──彼らも彼についてゆく、を映し出してゆく。
 やがてしばしの間、キリストはほぼ使徒たちだけと歩みゆき、彼らに声を低めて話しかける。
キリスト きみたちには天国の秘密を知ることはゆるされているが、あの人たちにはゆるされなかった。
 実際、持っている人はさらに与えられて有り余るほどになるが、持たない人はその持っているものまで取りあげられてしまう。
 それゆえ彼らには譬えで話すのだ。なぜなら彼らは見ても見ず、聞いても聴かず、また悟らないから。
 こうしてイザヤの預言は彼らの上に成就する。曰く、
「おまえたちは耳で聞くが悟らず、目で見るが悟らない。なぜならこの民の心は鈍く……」
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が預言の最初の言葉とともに広がりだしていたのだが、いまは一段と力強く鳴り渡る。
 少しずつキリストが語るにつれて、新たな登場人物たちが、貧しく無邪気な人たちが後方に映し出されてゆく、歩みくるキリストに先行する移動撮影によって。
キリスト ……耳は聞くに懶く、目は閉じられたからだ。目で見、耳で聴き……
 クロースアップで歩みくるキリストをいまは移動撮影が先導する。
 ……心で悟って、改宗して、ぼくに癒されることがないように。
 移動撮影を前にして、クロースアップで、相変わらず歩みきながらキリストはしばしの間おし黙り、目を閉じて思いを凝らしていたが、やがてまた目を上げる。その眸は甘く
愛しい陽気さに溢れている。
キリスト しかし幸いなるかな、きみたちの目よ、見るゆえに……
 いまは再び全身撮影で、相変わらず歩みきながら──相変わらず移動撮影に先導されながら──語りかけながら、頭を撫でるかと思えば、腕を締めつけたり、手に取ったりする、いまは少しずつ彼と肩を並べてきた無知な人たち、信仰篤い人たち、賤民たちの頭や腕や
手を。
 ……きみたちの耳よ、聞くゆえに。まことに断っておくが、多くの預言者と正しき人たちは、きみらの見るものを見たいと切に願ったが見ず、きみらの聞くものを聴きたいと切に願ったが聞かなかった。
 人影のない畑、鳥たちの囀りの下で、眠たそうな微かな葉擦れの音を立てている麦畑の上をゆっくりとパン撮影。
 真昼の底知れない平安の中を、全身撮影で 歩みくるキリストと、その話し聞かせる群衆、彼らに先行して果てしない移動撮影をまた再開する。
キリスト 天国は良き種を畑に蒔いた人に似る。
 みなが眠っている間に敵が来て、麦畑の中に毒麦を蒔いて立ち去った。そして小麦が萌え出て穂を立てたそのとき、毒麦も現れた。作男たちが家の主人の許に行って尋ねた。「主よ、あなたの畑に蒔いたのは良い種ではなかったのか? どうして毒麦が生えているのか?」
 すると主人が彼らに応えた。
「敵の仕業だ」
 そこで作男たちが訊いた。
「それではおれらが行って毒麦を引っこ抜けばいいのか?」
 すると主人。
「いやだめだ、毒麦を抜きながら、おまえたちは小麦も抜いてしまうことだろう……
 いまはキリストのクロースアップから後退しながら移動撮影。

  ……ふたつながら刈り入れのときまで育つにまかせよ。そして刈り入れのときに刈り入れ人に言うことにしよう、
「まず毒麦を集めて束に束ねてこれを焼
き、麦のほうはわが蔵におさめよ」
 、と。
 昔ながらの優しい夏の風に揺さぶられる乾いた芒をかすめながら、麦畑をゆっくりとパ
ン撮影。
 後に従う群衆に説いて聞かせながら全身撮影で歩みくるキリスト、 7彼らに先行して
移動撮影をまた再開する。
キリスト 天国はひと粒の芥子種に似る、人これを取ってその畑に蒔く。芥子の種はどんな種よりも小さい。だが育つとどんな野菜よりも大きくなって、樹となって、空の鳥たちが来てその枝の上で休むほどだ。
 天国はパン種に似る、女これを取って三桝の小麦粉の中に隠す、するとやがてひと塊になって醗酵した。
 穏やかな厳かな光の中、麦畑の上をもう一度パン撮影。
 そして前記のように、説いて聞かせながら歩みくるキリストに先行してもう一度移動撮影。
キリスト 天国は畑に隠された宝に似る。人、それを見つけ、また隠しおき、すっかり喜んで往って、持てるものを売り払い、その畑を買う。
 いまはパン撮影が湖を映し出す、その波に洗われる浅瀬、その瞬く煌めき、遠くの漁師
たち、小舟……
 前記のように、キリストを移動撮影。
キリスト また、天国は美しい真珠を探す商人に似る。そして高価な真珠ひとつが見つかれば、往って持てるものを悉く売り、彼はその真珠を買う。
 湖と、浜辺を新たにパン撮影。
 そして前記のようにキリストを最後の移動撮影。
キリスト 天国は湖面に投げ入れられた網にも似る。網はどんな類の魚でも集め入れる。網が一杯になると、漁師たちは網を岸に引き寄せて、腰を降ろして、良い魚は籠に入れ、悪い魚は捨てる。このように世の終りもなるであろう。天使たちが来て、正しい人から悪しき者を分ち、彼らを燃え盛る窯に投げ入れ、窯は歎きと歯軋りに満ちることであろう。きみらはこれらのことがみな分ったか?
弟子たち はい。
 いまは移動撮影が先行してクロースアップで歩みくるキリストは疲れを知らぬ声でほとんど一息に説き聞かせるのを終える。
キリスト それゆえに天国の弟子となったどんな学者も新しい物と古い物をその蔵から出す家の主人に似る。
 溶暗。

       65

 ナザレの家とナザレ。野外 昼(イスラエル)
 全シーンをとおしてバッハの「死のモチーフ」が甘く、底知れずに深く鳴り渡ることになる。
 キリストが暮らしたナザレの家の全景撮影。 家のまわりには(そしてあの下のほうの埃
に埋もれた村の白茶けた最後の家並みのあたりには)太陽しかない午後の時分だ。
(ここでは女たちはその最もひっそりとした家事にかまけていて、男たちは野良に出て働いている)太陽。
そして光の乾いた烈しさの中に、たまに烏が不安をそそるように啼く。
 わずかな弟子たちの間で、感動して家を眺めるキリスト、その全身撮影。それから短い沈黙ののち、家のほうに歩みだす。
 人けがなく、よそよそしくその平安のうちに閉じている家に向けて、ゆっくりと移動撮影。
 だが見よ、どこかの囲い壁の陰から、あるいは何かの農具の下から幼い子供が現れる。
キリストの幼い従兄弟のひとりだ、確かに小犬みたいに小さくて襤褸を纏っている。
あのよそ者たちを見かけると、幼子はじっと見つめながら、衣裳の裾をしゃぶっている。
 キリストは微笑みながら近寄って抱き寄せようとする。けれども男の子はそんな見知らない男を前に、逃げだして小走りに家に駆けこむ。
 寂しそうに彼を見つめるキリスト、そのクロースアップ。
 するとそこに家から女が──若い母親が──あの子を両腕に抱き締めて出てくる。
 そして立ち止まり、遠くから、脅えて敵意をこめてよそ者たちを睨んでいる。
 そこでキリストは踵を返してまたナザレへと歩きだすが、その家並みが埃の中にすれすれに現われる、太陽に貪り喰われた無花果林とオリーヴ林の裏手に。
 だが見よ、いまあの下のほうで、あの同じ戸口からマリアが出てくる。
 いまはバッハの「死のモチーフ」が一段と力強く、胸が張り裂けるように鳴り響く。
 キリストは目に愛しさの翳を滲ませて彼女を見やり、立ち去る。
 後ろ向きに移動撮影、まずあの下のほうで、戸口に立つマリアの全身撮影に被せて、ついで家の全景撮影に被せて、家は遠く後方に残されて、暇乞いを告げているかのようだ。
 そしていまは前向きに移動撮影、ナザレの貧しい家並みの最初のひと塊、その〈城門〉
近くにはすでに人びとが屯している、きっと一行の来ることを知らされたのだ。
 人数はわずかなものだ。炎暑の中、石灰を撒いたような白い光の中で、暗く集まっている。キリストはそうした人たちに向けて歩みゆく。彼らは好意も敵意もなしに彼を眺めるが、その陰気な日々の無関心の中に失われている。
ナザレの人びと いったいどこで彼はそんな知恵や奇蹟の力を授かったのか?
 ──大工の息子というのは彼のことではないかしら?
 ──彼の母親の名はマリアで、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか? 彼の姉妹たちはみなわたしらのとこにいるではないか?
 ──いったいどこから彼はこれらすべてのことを授かったのか?
 故郷の村がおのれを迎えるこの無関心の壁を前にして、キリストは立ち止まり、やがて小声で内心の溜め息のように、
キリスト 預言者はおのが郷、おのが家のほかでは侮られることはない。
 憂いを深めた彼の顔の上に……
 ……その上にバッハの「死のモチーフ」が消えてゆく……
 ゆっくりと溶暗。
       
       66

 空。野外 昼(マケロンテ、ヨルダン)
 鳩が飛ぶ、〈神〉の白い雌鳩たちが有頂天に取り乱した羽ばたきで。

       67

 独房。屋内 昼(ヨルダン)
 恍惚として祈りに集中する、鎖に繋がれたヨハネ、そのクロースアップ。
 楽の音、楽器の和音、ダンスのテンポで、リハーサルのためみたいに掻き鳴らされる曲(「テレマンのアダージョ」)
 彼のまわりでは宵の祭を準備する人びとの声、音響、楽器の和音。

       68

 王宮の中庭。野外 昼(ヨルダン)
 見よ、あそこに実際、楽士たちがその楽器を試しに弾きながら、笑ったり冗談を言ったりしている。
 和音、ダンスのリズムで曲の短い音だし(「テレマンのアダージョ」)
 だが見よ、召使たちが、そして少年たちが大皿を掲げて、羅紗を翳して通り過ぎてゆく……

       69

 王宮の一室。屋内 昼
 そして見よ、ヘロディアの娘が母親の介添えで祭の衣裳を身につけている。その着付けには何か不吉なものがある。沈黙の中で行われて、女たちの顔はどれも少しも祭らしくない。夢中になって、不安にかられて、邪な、母親と、娘のクロースアップ。まわりでは、あたりでは祭を告げる声々や小楽節が弾けるように飛び交い続けている。
 祭の声々や小楽節。

       70

 独房。屋内 昼
 そして鎖に繋がれた洗礼者ヨハネは、この世から取り除かれる予感にとり憑かれたかのように、相変わらず祈りに没頭する。
 ダンスに中断される声々、小楽節(「テレマンのアダージョ」)

       71
 
 王宮の広間。屋内 夜
「テレマンのアダージョ」。
 祭はいまや闌だ。
 テレマンの素晴らしさに茫然とする「アダージョ」の楽音にあわせて、サロメはすでに舞踏の軽やかなリズムで踊りつつある。サロメのダンスには少しも涜神的なところや官能的なところや淫らなところがない。彼女は首から踝まで全身隈無く、ボッティチェッリの天使──あるいは彼の〈春の美神〉が着ても可笑しくない優雅な衣裳を身に纏っている。それどころか彼女はまさしくフィリッポ・リッピがその厳格なフレスコ画において想像した如く装っている。
 ヘロデⅡ世の宮廷の祭は大饗宴的なところが少しもない。公式の祭であって、極めて洗練されている。
 じっと動かずに全景撮影、そこにはただサロメのダンスだけがある。それはいつものこ
の種の一大シーンを映し出すが、そのリアリズムには構図にある何か聖なるものから幾ばくかと、古典作品の大いなる造形的創造力の記憶から幾ばくかを減じてある。
 内側に、食卓は節度ある奢侈で整えられ、招待客は輪になって、中央にヘロデとヘロディアが坐り、召使たちは食卓の端にじっと立っている。そして踊るサロメはその洗練された舞踏で、様式的にはオリエント舞踊の所作を仄かに漂わせている。テレマンの無上の「アダージョ」が止み、ダンスも終わる。
 ヘロデのクロースアップ。
ヘロデⅡ世 おまえのこのダンスの褒美に、望みのものを言うがよい、何でもとらせようぞ。
 尻込むサロメ、そのクロースアップ。
 示し合わせの恐ろしい眼差しを投げつけるヘロディア、そのクロースアップ。
サロメ 洗礼者ヨハネの首を盆に載せ、ここに賜れ。
 逡巡し、震えあがったヘロデⅡ世、そのクロースアップ。
 憎しみの渇望漲るヘロディア、そのクロースアップ。
 その未熟な青春の残酷な無関心に浸るサロメ、そのクロースアップ
ヘロデⅡ世 おまえにとらす。

       72

 独房。屋内 夜
 洗礼者ヨハネはその寝床に臥して、鎖に繋がれたまま、苦しみの無垢の睡りを眠っている。
 王宮の広間で再開された舞踏の調べの谺するのが、遠くで聞えている。
 テレマンの「アダージョ」。
 見よ、獄舎の扉が不意に開いて、松明を翳した二つの黒ぐろとした影が入ってくる。ヨハネは掴まれ、起され、うつ伏せにされる。刃が立ちあがり、沈む。
 ヨハネの首は床に転がる、死と血に塗れて恐ろしく。

       73

 空。野外 昼(マケロンテ、ヨルダン)
 光の中に雌鳩たちの喘ぐような、方向を見失った飛翔。

       74

 湖畔。野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 両手で顔を覆っているキリスト、そのクロースアップ。彼の背後には砕ける波と、渚に
引き揚げられた小舟が幾叟か見える。少しずつキリストは顔の前から両手を退けて、苦しみの刻まれた顔を見せる。涙に燃えあがる眸でおのれの前を見つめている。
 ヨハネの二人の弟子たちが、彼らが彼に訃報を齎したのだが、泣いている、そのクロースアップ。
 やがてキリストは彼らから目を逸らすと、相変らず悲嘆に震えながら、群衆に目を転じる、相変らず彼に従いきて、いまは湖畔に犇めく群衆に。
 石だらけの浜辺をその野宿の仕度で一杯にしている、結局は無関心で、無情な群衆をパン撮影。
 ほんとうに彼を理解することの叶わぬあの群衆ゆえに、キリストは落胆のあまり焦れた短い仕草をする、そのクロースアップ。しかしそれでも彼らに憐れみを覚えて、悲嘆に震える小声で言う。
キリスト ここを離れて、ぼくらだけで、どこか人けのないところへ行こう。
 向きを変える。そしてパン撮影を従えて全身撮影で、小舟のほうへ行く。
 彼の弟子たちは彼のあとを着いてゆき、追いつくと、小舟を湖に押し出す。
 群衆は、全景撮影で、押し合って、方角が分からずに、がっかりして、彼らを置いてき
ぼりにしたキリストのほうを見晴るかす。

       75

 湖の反対岸。野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 キリストと使徒たちの乗った小舟は開けた浜に着く、そして弟子たちが船を渚に引き揚げる。キリストが降り──相変らず全景撮影で──弟子たちがそれに続いて歩みくる、そのクロースアップ。
 立ち止まる、何か心を乱すものを見たかのように、実際全景撮影で、彼の前には群衆がいる──どうしてあそこに着いたのか、ほかの船によってか、陸を歩いてか、それは分らないが……
 見つめるキリスト、そのクロースアップ。 彼の顔には少しずつ当惑の表情に変って、憐れみの情け深く優しい光が広がる。キリストと群衆の間の無言の対話、それは希望と憐憫の間の対話だ。
 ついにキリストが声を低めて、弟子たちにそっと言う、そのクロースアップ。 。
キリスト 彼らが哀れだ、ぼくは彼らといて、彼らの病む者を癒そう。
 全身撮影で、弟子たちを従え、移動撮影を先行させて、無言の群衆のほうへ歩みくる。
 群衆に向かって移動撮影、担架に臥せた病人たちの一人を全身撮影で、ついでクロースアップで、フレイミングするまで。
 希望に燃えあがって、見つめるその眸、そのディテール撮影……
 溶暗。

       76 

 同じ場所。野外 夜
 夜の帷が降りた、その松明の悲しい煌めきとともに。
 闇の中に犇めく群衆をゆっくりとパン撮影。
 祈りの恍惚の中で、労りをこめて群衆を眺めるキリスト、そのクロースアップ。
 パン撮影で、近寄るひとりの弟子、そのクロースアップ。
弟子 ここは寂しい場所だし、はや時刻も晩い。それゆえ群衆を去らせて、村々に往か
せて、おのが食物を買わせてはいかがか。
キリスト 往かせるにはおよばない。きみらがかれらに食べ物を与えよ。
弟子 ぼくらにはパン五個と二匹の魚しかないが。
キリスト ここに持っておいで。
 その弟子は、素直に遠ざかる。
キリスト(群衆に向かって) さあ、きみたち草地に腰を降ろしなさい。
 彼のまわりに車座に坐る群衆、その全景撮影。
 パン五個と二匹の魚を持って戻ってきて、 パン撮影に追われながら、それらをキリスト
に差し出す弟子、その全身撮影。
 目を上げて天を仰ぎ、それからパン五個と二匹の魚の上に目を伏せながら、それらを祝福するキリスト、そのクロースアップ。ついで、それらを弟子に与えながら、両手を顔の前に組んで祈りに集中する。
  声々、叫び、笑い。
 少しずつ顔の前から手を退けて、おのれの前の群衆を優しく見つめる、全景撮影で、
 彼らは幸せそうに、笑いながら、食べている。友だちの群れ、親類の群れ、みな食べている……幾家族も、子供たちと病人たちと、みな食べている、独り者の男たちも、また年寄りたちも、また非常に若い者たちも、みな食べている。キリストは黙って、長い間眺めている。しまいにみな満腹したろうと考えたときに、クロースアップ、ついでパン撮影で、立ちあがる。
キリスト(固まって食べている弟子たちに) 
 小舟に乗って、ぼくより先に湖の反対岸に
往くがよい。
(群衆に向かって) さて、きみたち、いまは立ちあがって、往きなさい。
 こう言いおえると、全身撮影で、パン撮影を従えて、彼は群衆とは反対の方角に遠ざか
る。
 キリストの往く径はますます嶮しくひっそりしている。
 ついにとある山の頂に着く。そしてそこで跪いて彼は一心に祈る。
 雷鳴が轟き渡る。
 短い溶暗。

       77

 湖の真只中。野外 夜(海)
 嵐が湖を覆して、荒波が弟子たちの小舟にぶち当たる。
 雷鳴と嵐の凄まじい音響。
 弟子たちは小舟の中で恐慌を来している、すると見よ、キリストがやって来る、全身撮影で、湖水の真只中を歩みくる。
弟子 幽霊だ……
 恐れ戦いて眺める弟子たち、そのクロースアップ。
 沸き立つ湖面を歩みくるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 安心しろ、ぼくだよ! 恐がるんじゃない!
 小舟の上のペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ 主よ、もしきみならば、水の上のきみのところまで来いと命じたまえ!
キリスト 来い。
 全身撮影でペテロが小舟を降りてよろめきながらキリストのほうへ歩みゆく。湖水はまわりで恐ろしげに波打ち騒ぎ立つ。
 俄の恐怖によって動揺したペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ 主よ、助けて!
 キリストはクロースアップで真っ暗な湖水の黙示録風のバックの前をパン撮影を従えて歩みきて、ペテロの片腕を掴まえる。
キリスト 信仰薄き者よ、なぜ疑った?
 そして一緒に小舟のほうにクロースアップでパン撮影を従えて歩みきて、舟に乗る。キリストがペテロを支えながら。
 いまや湖は、あたりは凪いで滑らかに月の光の青さの中に失われている。
 ペテロのクロースアップ、ついでパン撮影、彼は跪く。
ペテロ ほんとうにきみは〈神の子〉だ!
 急速な溶暗。

       78

 湖畔。カファルナウムの港。野外 昼(イスラエル)
 全景撮影。湖畔に降りてキリストの上陸を待つ、エルサレムからやって来た学者やファリサイ派の人びと。「指導階級」の知識人や司祭である彼らの顔という顔、そのパン撮影、
善意にしろ悪意にしろ、明快にあるいは不可解に「言伝え」とその形式主義の擁護者である彼ら。
 リバースショットで相変らず全景撮影で、キリストが下船して、歩みゆき、弟子たちが後を追う。
一人のファリサイ人(喧嘩腰の得意顔の青白さの中にヒステリーの赤い染みが浮んでいる) なぜおまえの弟子たちは古人の言い伝えに背くのか? 食事のときに手を洗わないとは!
 見よ、いまキリストはクロースアップで、 ファリサイ人を眺める。正しいことの確信と
こやつを、そのヒステリックな怒りをたやすく言い負かせることが、おのれの晴れやかさの妨げとはならない。その答の極端な、やや厚かましいほどの清澄さの中にあっても。
キリスト ではなぜおまえたちも、おまえたちの言伝えのゆえに〈神〉の掟に背くのか? まことに〈神〉は言われた、
「父と母を敬え、父または母を呪う者は死罪」
 と。
 それなのにおまえたちは言う、
「あなたを扶くべき金銭は〈神殿〉の供物にする、と父または母に告げる者はその父と母をもう扶ける義務はない」
 と。
 こうしておまえたちの言伝えのゆえに〈神〉の言葉を空しくしている。
 さっき近寄ってキリストを呼びとめたファリサイ人は、そのヒステリックな憤懣のやりばもなく、死人みたいに土気色になって、いまにも立ち去ろう、いまにも理はおのれにあるとの盲信に屈しようとしている。ほかの者たちは彼を宥めながら、おのれの憎しみを議論の形式的な受容で装い隠さざるをえない。
キリスト 偽善者よ! いかにもイザヤはおまえたちについて見事に預言している、曰く、
「この民は唇にてわれを敬う、しかしその心はわれから遠ざかる。ただ徒にわれを拝む、人の規則に過ぎぬものをわが掟と教え」
 パン撮影を従えつつ、が終始、クロースアップで、キリストは群衆のほうへ歩みゆく、群衆はまわりに屯して、ファリサイ人のこちら側にもあちら側にもいる……
 群衆の間を歩みゆくキリスト、そのクロースアップ、ついでパン撮影。
キリスト 聴いて悟れ。口に入るものは人を汚さず、しかし口から出るものは、そう、
まさにこれが人を汚すのだ……
 弟子たちは仰天して見やる、貧しい群衆の隊列のまん中をゆくキリストの後ろ姿を。そしてファリサイ派の人びとを。彼らは仲間うちで激しく議論して、最も慎重な者たちが最も動顛した者たちを宥めようとしながら、金持の衣裳に身を包み、反対の方角に遠ざかってゆく。
 肩先までパン撮影に追われながら、キリストの後を追うペテロ、そのクロースアップ。
 移動撮影が先行して、群衆の中を歩みゆくキリスト、そのクロースアップ、これもクロースアップのペテロが彼と肩を並べるまで。
ペテロ 知っているか、ファリサイ人がきみの言葉ゆえに躓いたのを?
 移動撮影が先行して、歩みくるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 天にいますわが〈父〉の植えたのではないどんな草木も、みな根から引き抜かれるだろう。彼らは捨ておけ。盲の手を引く盲だ。いま、もし盲がもう一人の盲の手を引くならば、二人とも穴に落ちることだろう。
 移動撮影が先行して、歩みきながら、耳を傾けるペテロ、そのクロースアップ。
キリスト きみらもまだ悟らないのか? 分らないのか、すべて口に入るものは腹にゆき、下水に落ちるを? だが、口から出るものは心から出る。そしてこれが人を汚すのだ……
 前記のように耳を傾けるペテロ、そのクロースアップ。
 前記のように歩みくるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト なぜなら心から悪しき思いは出る、人殺し、姦通、不正行為、盗み、偽証、神への罵りは。これらは人を汚すものだ。だけど洗わない手で食したところで人の汚されるものか!

       79

 荒れ野。野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 希望にかられてキリストの足跡を這うように辿るいつもの群衆をパン撮影。温和で気の毒な、襤褸を着た人たちが彼らの病人を連れている。唖、盲、ちんばに跛たち。見つめるキリスト、そのクロースアップ。
 ひとりの病人を移動撮影、ついで全身撮影、 彼を見つめるキリスト、そのクロースアップまで。
 希望に燃えあがるその瞳、そのディテール撮影。
 キリストは、クロースアップで、傍らにいる弟子たちのほうを振り向く。
キリスト ぼくはこの群衆を憐れむ。もう三日もぼくの後をついて来て食べ物が何もない。それに彼らを飢えたままで帰らせたくはない、途中で倒れてしまうかもしれない。
弟子 こんな荒れ地のいったいどこで見つけられるだろうか、こんなにもたくさんの人たちを満腹させるのに足るパンを?
キリスト パンはいくつあるの?
弟子 七つと、小魚が少々。
キリスト それらをここに持ってきなさい……
 弟子は、素直に、遠ざかる。
キリスト(群衆に向かって) いまは草地に腰を降ろしなさい。
 全景撮影。群衆は黙って、彼のまわりに車座に坐る。
 パンと小魚を持って戻ってきて、パン撮影に追われながら、それらをキリストの前に置く弟子、その全身撮影。
 パンと小魚の上に祈りを凝らすキリスト、 そのクロースアップ。パンと小魚のディテール撮影。
 パンと小魚を取って、それらを弟子に与え、ついで目を天にあげて、祈りにわれを忘れるキリスト、そのクロースアップ。
 目をまた地上に戻すと……
 声々、ざわめき、笑い声。
 ……見よ、群衆が、全景撮影で、魚とパンを食べている。
 貧乏人の顔という顔が、目に優しくけものじみた満腹感を浮かべて、宥められた飢えの無垢の獣性を漂わせながら、咀嚼している……
 溶暗。

       80

 タボル山麓の野辺。野外 昼(イスラエル)
 太陽に曝された野辺を疲れて、無口に、全身撮影で、歩みゆくキリストと使徒たちを後ろ向きに移動撮影。するとそのとき、彼らの背後に、叫び声がする。
カナンの女の声 〈主〉よ、〈主〉よ!
 見よ、走ってくる、小さな蛮族の母親が、車を牽く獣みたいにずんぐりした女が、埃だらけの田舎道を絶望しきって、走りに走ってくる。そしてキリストと肩を並べながら、呻いたり喚いたりする。
カナンの女 〈主〉よ、〈ダヴィデの子〉よ、あたしを憐れんで、お願い! あたしの娘が悪鬼に憑かれてひどく苦しんでいます!
 思いに耽って無言で、彼女に気がつかないかのように歩みゆくキリスト、そのクロースアップ。
 相変らず移動撮影に先行させて、クロースアップのキリストに肩を並べる一人の弟子、 そのクロースアップ。
弟子 叶えてやって帰してくれ、叫びながらどこまでもついてくる!
 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。
キリスト ぼくはイスラエルの家の失われた羊たちにしか遣わされていない……
 前記のように歩みくる女、そのクロースアップ、そして女は鼓吹された信頼の熱情の虜となる。いまはもう叫ばずに、低いくらいの声で話す。
カナンの女 〈主〉よ、あたしを助けて……
 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 子たちのパンを取りあげて小犬に投げ与えるのは良くない。
 前記のようにカナンの女、そのクロースアップ、相変らず霊感を受けて確信し、説得上手だ。
カナンの女 はい、〈主〉よ、でも小犬だって主人の食卓から落ちるパン屑は食べるものを……
 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。
キリスト ああ女よ、おまえの信仰は大いなるかな。おまえの望みのようになれ……
 喜びのあまり容姿まで変って、立ち止まる女、そのクロースアップ。
 あの下のほうを眺める、笑みのこぼれるその眸のディテール撮影、全景撮影で、キリス
トとその使徒たちの一行が歩みゆき、歩みゆき、いまは少し立ち止まって……あたりを見回し……太陽によって喰い尽くされた野辺の中の一本の木の木陰に行って、一休みするかのように、車座に坐る。
 仲間うちで見交して、まるで沈黙の掟ゆえかのようにまごついている弟子たち、そのクロースアップ。 ようやくひとりが意を決して、口を開く。
弟子 〈主〉よ、ぼくらはパンを持ってくるのを忘れた。
 腰を降ろしたキリスト、そのクロースアップ。
キリスト(軽い、兄弟みたいな、慈しみのある「ユーモア」をこめて) きみらは目を開
いて、ファリサイ派やサドカイ派の人びとのパン種に心せよ。
 当惑して、鼻を折られた弟子たち、そのクロースアップ。
キリスト きみらは何を論じあっているのだ、信仰うすい者たちよ、パンを持ってこなかったことをか? まだ悟らないのか、五つのパンを五千人に分ち、そのあまりを幾籠集めた
か、覚えてないのか? また七つのパンを四千人に分かち、そのあまりを幾籠拾ったか? ぼくの言ったのはパンのことではないのをどうして悟らないのか? ただファリサイ人とサドカイ人のパン種に心せよ。
 長い沈黙がこうした言葉のあとに続く。あたりには野原の午後の静まり返った音ばかり。キリストは目を上げて、不思議な表情を見せ、そこでは最前の兄弟みたいな皮肉は優しく、神秘的な打ち解けた調子を帯びている。
キリスト 人の〈子〉は誰だと、人びとは言っているか?
弟子 洗礼者ヨハネだと言う者もいれば、エリヤだと言う者もあり、またエレミヤまたは〈予言者〉のひとりだと言う者もある。
 短い濃い沈黙のあとで、前記のように、キリストのクロースアップ。
キリスト だけどきみらは、ぼくが誰だと言うのか?
ペテロ(ある種の恐怖にかられたかのように、それを彼はその純真な信仰で克服したが、感動で震えながら) きみはキリストだ、生ける〈神の子〉だ!
 バッハの楽曲「いと高き者」が爆発する。
キリスト(眼差しに天上の至福をこめて) 幸いなるかな、シモン、ヨハネの子よ、きみ
にそれを明かしたのは肉や血ではなく、天にいますわが〈父〉だから。そしてぼくはきみに言う、きみはペテロだ、そしてこの石の上にわが教会を建てよう、地獄の力もこれには勝てまい。そしてきみに天国の鍵を与えよう。きみが地上で繋ぐものは天上でも繋がれ、地上で解くものは天上でも解かれるであろう。
 非常に長い沈黙。弟子たちは恍惚として見つめあう。
 この上なく澄んだ宗教音楽の調べが広がる。
 ついにキリストが再び沈黙を破る。
キリスト きみたちはぼくがキリストだと誰にも言ってはならない。
 またも短い沈黙のあとでゆっくりと立ちあがると、彼は田舎道をまた歩きだす、使徒たちを後ろに従えて後ろ姿になるまで、全身撮影、ついでパン撮影で。
 野辺の宏大な静寂の中を黙って、歩みゆくキリストと使徒たち、全身撮影で、移動撮影が先行して。
 いまは死の憂鬱に囚われて、目を伏せて歩みくるキリスト、そのクロースアップ、移動撮影が先行して。彼がまた目を上げる。
キリスト きみらも知るように、ぼくはエルサレムへ往かねばならない。そしてあちらでぼくは長老や学者や祭司長たちによって、ひどく苦しめられねばならない。そして果ては死刑の宣告を受けねばならない……
 歩みゆくペテロ、そのクロースアップ。 そしてこうした言葉に、彼の瞳は恐怖に染めあがる。彼はキリストと肩を並べ、片腕を取ると小声で話しかける。
ペテロ 〈主〉よ、そんなことは決して! きみにあってはならないこと……
 前記のようにキリスト、そのクロースアップ。
キリスト サタンよ、われより遠く退け! おまえはぼくの躓きの石だ、なぜならおまえは〈神〉のようには考えずに、人のように考えるからだ。
 再び非常に長い沈黙。そのうちにも一行は歩みゆく、全身撮影で、相変らず移動撮影が先行して、そして涙で目を灼きながら、心を奪われて、魂の底まで揺さぶられた弟子たち
……、そのクロースアップ。
 気高く、悲しみに打ち沈んだ、バッハの楽曲「いと高き者」
 やがて前記のように相変らずクロースアップで、キリストがまた語りだす。
キリスト 人もしぼくのあとに従い来ようと思うならば、おのれを捨てて、おのれの十字架を背負って、ぼくに従え。なぜならおのれの生命を救おうと思う者はこれを失うが、ぼくゆえにその生命を失う者はこれをまた見出すからだ。
 人、全世界を儲けたとて、おのれの魂を失
えば、何の益があろう? また、人はその魂の贖いに何を支払うのか? 人の〈子〉は彼の〈父〉の栄光の中にその天使たちとともに来るだろう。その時にはおのおのの行為に応じて報われることだろう。
 ほんとうに言っておくが、ここにいる者のうち何人かは、人の〈子〉がその国を携えてくるのを見るまでは死なないことだろう。

       81

 タボルの山裾とタボル山。野外 夜(イスラエル)
 宏大な野辺に夜の帳が降り、死の静寂が一緒に降りてくる。声を枯らした犬たちの吠えるのが遙か遠くに聞える。と、夜気の中を夜行動物の不可解な唸り声がする。
 キリストと使徒たちの夕食の残り物、そのディテール撮影、一枚の静物画だ、鉢が一つか二つに、何匹かの魚の骨、何かの果実に、そしてパン、各〈福音書〉にあれほど語られている、パン。
 そしてあたりには散らばって、静かに、祈りに没頭する使徒たち。
 祈りにわれを忘れたペテロ、ヤコブ、ヨハネ、そのクロースアップ。
 そして見よ、リバースショットで、彼らを見つめるキリスト、そのクロースアップ。やがて、クロースアップで、彼らを呼ぶ。
キリスト ペテロ…… ヤコブ…… ヨハネ…… ぼくと一緒においで。
 そしてパン撮影にあとをつけられて、月の光の中、甘く恐ろしい静けさの中を遠ざかってゆく。三人の使徒たちは、全身撮影で、彼の後ろを往く。
 キリストと三人の使徒たちの移動はとある山の裾に達して……
 その山の中腹をパン撮影、空の青白さの中に黒ぐろと蟠るその頂きを映し出すまで。
 ナイチンゲールの歌声
 全身撮影で、キリストと三人の使徒たちはいまや山頂にいる。キリストが前に、三人の使徒たちはその足跡の上に。
 あたりには夜の暮しのざわめきが密に漂う。嗄れ声の熱烈さで競う蛙の啼き声、心に滲みこむ蟋蟀の鳴き声、それに出会いもしなかった昔の恋の衝動を物語るあのナイチンゲールの歌声。
 夜の歌声。
 やがていきなり一切が静まり返る。
 おのれの前を見つめながら震えて、脅えながら至福に浴する三人の使徒たち、そのクロースアップ。
 バッハの楽曲「いと高き者」が爆発する。
 角膜を引っ掻くほどの白い光に輝く雲が彼らの目の前にあって、彼らの前に立つキリス
トの上では、遠く、消えてゆく。キリストは真昼の非常に強烈な光に浸されて、一筋の影もない、絹と黄金色の衣裳を纏っている。
 垂直に降りそそぐ光、その中では山頂の木々は乳のような幻にすぎないのだが、そんな光の中を彼に向かってモーセとエリヤが歩みきて、全身撮影で、遠くで共に語らっている。
 あの大いなる光を顔に受けて反射させながら、彼ら自身は夜の闇の中にいる三人の使徒たち、そのクロースアップ。彼らは恍惚としてキリスト、モーセ、エリヤがその天国の衣裳の荘厳に包まれてあの下のほうの光の中で語り合うのを眺める。
 三人の使徒、そのクロースアップ。
ペテロ 〈主〉よ、われらがここにあるは善きことです。御心ならば、ここに三つの天幕を張りましょう。一つはきみのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために。
 しかし彼は目を眩ませて、両手で庇わねばならなかった。実際、彼らの目の前で光が何もかも溶かして、鼓動しているのは大きな光り輝く雲である。
 さらに烈しく力強くバッハの楽曲「いと高き者」が雪崩込む。
雲の声 これはわが〈子〉、わが悦びの〈愛しいひと〉。彼の言を聴け。
 うつ伏せに倒れ、盲て、畏れ敬っている三使徒、その全身撮影。そして彼らは長いことその有り様だった。ついにある声が彼らの頭上に響きわたるまでは……
 バッハの「いと高き者」のモチーフは次第に消えてゆく。
キリスト 起きよ、恐れるな。
 彼らはおずおずと頭を擡げて、山の頂に、常の姿に戻ったキリストを見る。蛙や蟋蟀やナイチンゲールの歌声の中、彼は彼らに微笑みかける。やがて歩みだし、山を下りはじめる、その全身撮影。三人の使徒たちは彼のあとに従い、四人とも後ろ姿となって下ってゆく。
キリスト 誰にもいま見たことを話してはならない、人の〈子〉が死人のなかから甦るまでは。
 急速な溶暗。

       82

 タボル山麓の野辺。野外 昼(イスラエル、デブリヤリ村)
 キリストとその使徒たちのグループは疲れを知らず、止まることなく、さらに歩みゆく。そして野辺の大いなる静けさの中で、山で見たことについて語りあう(移動撮影が先行している)
 移動撮影が先行して歩みゆくペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ それならなぜ学者たちは先ずエリヤが来ると言うのだろう?
 移動撮影が先行して、歩みゆくキリスト、 そのクロースアップ。
キリスト そのとおり、エリヤが来たって悉くをあらためる。だが言っておくが、エリヤはすでに来たのだ、それなのに人びとはこれを識らず、かえって悪しき心のままにあしらった。このように人の〈子〉も、人びとによって苦しめられることだろう……
 ヨハネをまた思い出すように、数羽の鳩が──〈神〉の白い雌鳩が──あそこ、小径の日溜りに止っていたのが、見よ、いま飛び立って真っ白に光る空の中に舞いあがって消えてゆく。そして撮影レンズがあの飛翔を追っている間に、画面外で、懇願する声が聞える。
悪鬼に憑かれた子の父親 画面外で〈主〉よ! 〈主〉よ!
 太陽に貪り喰われた野辺に浸されたキリストと使徒たちの前に、とある村の石灰塗りの家並がある。そして小さな人だかりで一杯の、そのバックを背に、ひとりの男がキリストめがけて駆けてくる。
悪鬼に憑かれた子の父親 〈主〉よ、気の触れたわたしの息子を憐れんで下さい、ひどく苦しんでます。何度も火に倒れ、しばしば水に落ち……
 あの奥のほう、ロングショットで、人びとの中に実際、数人の男が暴れる少年を押さえつけている。
悪鬼に憑かれた子の父親 あの子をお弟子たちのところへ連れていったのに、治せませんでした……
 悲しみに沈む使徒たちの顔々、そのパン撮影。
 キリストのクロースアップ。
キリスト ああ、信なき邪な世よ、いつまできみらとおらねばならないのか? いつまできみらを耐えねばならないのか? その子をここに連れてきなさい。
 あの奥のほうから人びとがキリストのほうに歩みきて、その癲癇病みの子を曳きずってくる。
弟子 なぜぼくらは悪鬼を追い出せなかったのか?
キリスト きみらの信仰が薄いからだ。ほんとうに言っておくが、もしきみらに芥子種ひと粒ほどの信仰があってこの山に「ここからあちらへ移れ」と言えば、山は移るだろう、そしてきみらに不可能なことはなくなるはずだ。
 気の触れた少年はいまキリストの目の前にいる。呻くばかりで、手がつけられない。
 切望に拉がれて、震えながらその子を見る父親、そのクロースアップ。
 少年を見つめながら祈るキリスト、そのクロースアップ。
 鎮まり、盲たさまから出て、唖然としてあたりを見回し、父親を見つけて彼に駆け寄り、抱きつく少年、その全身撮影。
 涙と喜びに光り輝く父親の目、そのディテール撮影。
 溶暗。

       83

 カファルナウム目前の野辺。野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 太陽の平安の中に吸い込まれ、澄み渡ったカファルナウムの「パノラマ」をゆっくりと パン撮影。
 バッハの「死のモチーフ」が痛ましく拡がってゆく。
 このうえなくしめやかなそのモチーフに抑えられるかのように、移動撮影を先行させた
キリストと使徒たちが、全身撮影で、カファルナウムに向けて歩みゆく。
 痛ましい想念に囚われて、長い間口を噤んでいた、移動撮影を先行させたキリスト、 そのクロースアップ。やがて元気を出して、苦しみに満ちたおのれの内心の考えを大きな声で続けるかのように、
キリスト 人の〈子〉は人びとの手に引き渡されようとしている。彼らは彼を殺すことだろう、だが三日後に彼は甦ることだろう……
 移動撮影を先行させた使徒たち、そのクロースアップ。彼らは歩みゆきながら、キリストを眺める。その彼は悲嘆にくれ、目に涙を溜め、長いこと黙りこくっている。
 相変らず静けさの中を、移動撮影が先行して、グループ全体が、全身撮影で、嘆きの行列のようにカファルナウム目指して歩みゆく。
 バッハの「死のモチーフ」が消えてゆく。
 いまはカファルナウムの城門あたりを移動撮影。リアリスティックな一大シーン、税関吏たち、往き来する群衆、驢馬たち、牝山羊、駱駝、埃の中で遊ぶ少年たち、腐った水の溜池……
 イエスと使徒たちが、全身撮影で、市の城門を横切ってゆく。そこには活発な往来の中、一団の「税関吏」が集っている。
 連中の一人、そのクロースアップ。
税関吏 おまえらの〈師〉は税金を払わないのか?
 パン撮影で、通り過ぎてから立ち止まって、クロースアップの、彼を眺めるキリスト……
ペテロ 払う……
 ……そしてまた歩きだす。
 びっくりし、また少しがっかりもして彼を眺めるペテロ、そのクロースアップ。
 その優しく、かつ厳しい皮肉をこめて彼を眺め返すキリスト、そのクロースアップ。
キリスト シモン、きみはどう思う? 地上の王たちは誰から税金や貢ぎ物を受け取るのか? 王の子たちからか、それとも他人からか?
ペテロ 他人から……
キリスト ならば、子たちは税を免れるわけだ。けれど連中を躓かせぬよう、きみは湖へ行って、釣針を垂れ、最初に来た魚を釣りあげよ、そしてその魚の口を開けると、貨幣が一枚あるだろう。それを取ってぼくときみの分として連中にやるがよい……
 そして相変らず移動撮影が先行してクロースアップで歩みゆきながら「二ドラクメ銀貨を取り立てる連中」のほうに視線を投げる。彼らはあそこにいる、一団となって城門のアーチの下に「リアリスティックな偉大な構図」どおりに。
 急速な溶暗。

       84

 カファルナウムの家。屋内=屋外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 新たなリアリスティックな大きな構図。むしろ小さなと言うべきか、なぜなら「小さな者たち」の場所だから。それは一軒の食堂か、それともイエスをもてなす家かの内側の中庭である。内側の鄙びた中庭には大きな庇があって、その下にキリストは使徒たちと集って、歩きづくめの旅のあとのしばしの休息と回復にあてている。大庇の陰が燃えあがる太陽の光線から彼らを庇っている。その光は彼らの背後で中庭の埃を白熱させ、埃の上に散らばる農具や、田舎風の囲い壁や、心張り棒や、板囲いを炎暑で薔薇色に染めあげている。家畜小屋や疎らな小樹やフィキディーンディアも……
 あそこ、あの光の中でカファルナウムの「内側の」粗削りな暮しが繰り広げられている。老婆たち、子供たち、家畜たち、みな平和そのものだ。
 丸太を割った大食卓のまわりに、切株の腰掛けに腰を降ろしたキリストとその弟子たちに給仕するのは、十三、四歳の小柄な少年で、汗びっしょりで喘ぎながらも、上品にのびやかに熱心に動き回って、彼よりも大きな器を持って席の間を回っている。その後ろには衣服の裾にしがみついて、四、五歳のずっと小さな弟が小走りについてゆく。
 寂とした静けさの中で、咀嚼するキリストとその使徒たち、そのクロースアップ。
 使徒のひとりは食べずに、おのれの考えにわれを忘れたかのように、おのれの感情を揺さぶる疑問にひたっていたが、ようやく煌めく目を上げる。
使徒 誰が天国で最も偉大なのか?
 彼を見つめながら、なおしばし咀嚼し続けるキリスト、そのクロースアップ。
 それから彼は兄の服に忠実に縋りつく幼児に目を転ずる。兄のほうはすっかり息を切らせながら、大きな取っ手つき瓶を抱えていま着いたところだ。
 そのときキリストは幼児の片腕を優しく掴まえて、尻込みしてまごつくその子を膝の上に乗せる。
 それから、クロースアップで、おもむろに優しく話しだす。
キリスト ほんとうに言っておくが、もしきみたちが悔い改めて幼子のようにならなければ、きみらは天国には入れまい。それゆえこの子のように小さくなる者が天国では最も大
いなる者なのだ。
 またわが名のためにこの子のようなひとりの幼子を受け入れる者はぼくを受け入れるのである。
 微笑みながら男の子の髪の毛のもつれたうなじをそっと愛撫してから放してやる。彼はすっかり陽気に感激し、再び小柄な兄のそばで走る。その兄はまた取っ手つき瓶を抱え、疲れてなお優美な不器用さで客たちに飲物を注ぐ。
キリスト しかしぼくを信じるこれらの小さな者のひとりを躓かせる者は誰であれ、首に水車場の挽き臼を懸けられて、海の深みに真っ逆さまに投げ落とされたほうが、むしろ彼にとってはましとなろう。
 禍なるかな、この世は、躓きあるゆえに! 躓きの起るは避けがたいが、躓きをもたらす人は禍なるかな!
 一心に彼らの仕事をしている幼い少年たちを愛情をこめ、なおも見守る。それからまた語りだす。けれどもこうした言葉を読むと想像しがちな厳しさや憤懣をこめてではなくて、この世に宿命的に起ることについて忠告する者の優しさをこめて。
キリスト いま、もしきみの手、または足がきみの罪のもとであるならば、それを切り離して投げ捨ててしまえ。
 きみにとっては手、腕なしに、または跛で〈生命〉に入るほうが、両手、両足揃って永遠の火の中に投げ入れられるよりも勝るのだから。
 そしてもし目がきみの罪のもとならば、抉りだして捨ててしまえ。
 きみにとっては片目で〈生命〉に入るほうが、両眼を全うして火の地獄に投げ入れられるよりも勝るのだから。
 これら小さい者のひとりでも侮らぬように心せよ。なぜなら言っておくが、彼らの天使は天にあって、天にいますわが〈父〉の顔を
いつも見ているからだ。
 小柄な少年は食卓を回るその仕事を終え、いまはキリストの脇にきて彼に飲物を注ぐ。キリストはコップを取って一口飲むが、にわかにある考えが彼の瞳を過って、飲むのを止めて根気よくまた話しはじめた。
キリスト きみらはどう思うか? もしある男が百匹羊を持っていてその一匹が迷ったなら、他の九十九匹は山に残して、行って迷った一匹を探さないだろうか? そしてもしその一匹を見つけることが出来たなら、ほんとうに言っておくが、彼は迷わなかった他の九十九匹よりもこの一匹ゆえに喜ぶことだろう。このように天にいますきみらの〈父〉の意志はこれら小さい者のひとりとして道に迷わぬことにあるのだ。
 そうして彼は楽しげな目をしてまた飲みだす。
 いま少年は相変らず脇に彼を手伝う小さな弟を従え、自分を覆い隠すほど大きな果物籠の下に体を潜らせた可笑しな姿で現われて、大籠を曳きずりながら客たちに果物を配る。
 キリストが果実を一つ取ってそれをまさに食べようとする。けれどまたもや彼の止めようのない教える意志と善いものを伝える意志とに囚われ、果実を皿の上に置き、新たな考えにわれを忘れた遠い目をし、すぐに言い表す。
キリスト もしきみの弟がきみに対して過ちを犯したなら、往ってきみと彼のみ、さしで叱れ。
 もし聴くならその弟を得たわけだ。
 もし聴かぬなら、ほかに一人、二人連れゆき、何事も二人、三人の証言によって確かめられるようにせよ。
 それでも聴かぬなら〈教会〉に告げよ。
 そしてもし〈教会〉にても聴かぬなら、彼を異教徒または取税人ごとき者と見なせ。
 断っておくが、きみらがこの地上で繋ぐすべてのものは天上でも繋がれ、またきみらが地上で解くすべてのものは天上でも解かれることだろう……
 彼の言葉に耳を傾ける使徒たち、そのクロースアップ。
キリスト もう一つ断っておくが、もしきみたちのうち二人がこの地上で求めるものについて心を一つにするならば、何であれ求めるものは天にいますわが〈父〉によって彼らに
叶えられるだろう。
 なぜならそこ、二人、三人とわが名によって集るところには、ぼくが彼らの真ん中にいるからだ。
 ペテロのクロースアップ。
ペテロ 〈主〉よ、もし弟がぼくに対して過ちを犯したら、何度彼を許さねばならないか?七度までか?
キリスト 七度までとはいわない、七度を七十倍するまでだ。
 長い沈黙。誰もが食卓のまわりで祈るみたいに一心に考えに耽っている。
 幼い少年はすっかり汗まみれになってその義務を果たしおえると、庇の陰の大石の上に坐って、幸せに軽やかに口笛を吹きだした。そして幼い弟は嬉しそうに兄を眺める。
 やがてキリストは休みなしに真実を伝えるその霊感に囚われて、背景の石灰塗りの壁の白い光からくっきりと切り離された黒く暑い陰の中を、庇の下を食卓に沿って行ったり来たり歩きはじめた。
 半身撮影のパン撮影が彼を追う。
 彼を眺める使徒たちの顔々、その左右対称のパン撮影。
 相変らずパン撮影を従え、行ったり来たり歩きながら、キリストが話しだす。
キリスト それゆえ天国はこうも譬えられようか。
 ある王が下男どもに貸した金の決済をしようとする。さて決済を始めて、一万タラントの負債ある下男が連れてこられた。この下男には返す術もなかったから、その主人は彼とその妻子と家財一切を売り払って償うように命じた。しかしその下男が足元に平伏して、
「主よ、どうか辛抱なさって、全部返しますから」
 と、しきりに願う。そこで主人はこの下男を憐れに思って、放してやり負債を免除してやった。
 幼子みたいに一心に耳を傾ける使徒たちの顔々のパン撮影。
 行ったり来たり歩きながら、譬え話を続けるキリスト、そのパン撮影。
キリスト 外に出たとたん、この下男は自分に百デナリオンの借金をしている仲間の一人に出くわした。そこで喉を締めあげて、彼に言った。
「貸した金を返せ」
 その仲間は足元に平伏して、
「どうか辛抱してくれ、全部返すから」
 と、しきりに願った。けれどその下男は聞き入れず、それどころか往って、借金を返すまで仲間を牢屋に放り込んだ。
 使徒たちをパン撮影、またキリストをパン撮影。
キリスト 仲間たちはそのなりゆきを見ていて、あんまりだと思ったから、行って主人にその一部始終を告げ口した。そこで主人は当の下男を呼び出し、彼に言う、
「非道な下男め、おまえがしきりに願うから、おまえの借金は全部免除してやったというのに。わたしがおまえを憐れんだのと同じように、おまえも自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったのか?」
 で、怒って、主人はその下男を拷問役人に引き渡して借金を全部吐き出させた。
 こう話し聞かせて立ち止まり、深く厳粛な感動に捉えられていたが、クロースアップで、佇んだまま話を締めくくる。
 ……もしきみらの一人ひとりが心からおのれの兄弟を許さないならば、このように天の
わが〈父〉もまたきみたちになさるであろう。

       85

 エルサレムへ向かう途中のある村の広場。           野外 昼(イスラエルまたはヨルダン)
 彼らの羊皮紙、彼らの書物を手にその豊かな衣裳の襞の中に閉じ籠もった一団のファリ
サイ人が──貧しい小村の埃っぽい広場に、大木の平たく丸い木陰にじっと佇んでいる。
 人生の形ばかりの成熟に蝕まれ、純真さの微塵もない男たちの露わな顔、その顔々をパン撮影。
 太陽に灼けた広場、つましい家並、厩舎をバックに使徒たちの間を歩みくるキリスト、
そのクロースアップ。
ファリサイ人 いかなる理由であれ、おのれの妻を離縁するは法に適うか?
 彼の前に立ち止まって厳しく答えるキリスト(挑発には乗らずに、と今日なら言うところだろう)そのクロースアップ。
キリスト おまえたちは読まなかったのか? 〈創造主〉は始めから人を男と女に創り、そして言われた、
「それゆえ人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人の者は一体となるであろう」
 と。だからもう二人の者ではなくて、彼らは一体なのだ。それゆえ〈神〉が結び合わされたものを、人が分ち離してはならない。
ファリサイ人 ならばなぜモーセは離縁状を与えて追い出せ、と命じられたのか?
キリスト おまえたちの心の頑さゆえに、モーセはおまえたちがその妻を離縁することを許したのであって、始めからそうであったのではない。いまはぼくがおまえたちに言っておく、妾でもないのにその妻を離縁して他の妻を娶る者は誰であれ、姦通の罪を犯してい
る……
 ファリサイ人の小グループは後ろ姿を見せてゆっくりと立ち去ってゆく。代わってキリストに質問しだしたのはいまは使徒たちだ。
 ひとりの弟子、そのクロースアップ。
弟子 人と妻との条件がそのようなものであるなら、結婚しても割に合わない。
 広場の真ん中に立つ大木の陰のほうへ歩みだしながら、答えるキリスト、そのクロースアップ、使徒たちも彼に続く。
キリスト 誰もがこうした言葉を分るわけではない、ただ授けられた者だけがそのことを分るのだ…… 母親の胸元にあるころから生れながらの去勢者であった者もいる……
 ぽつんと立つ大木の蔭に憩って、いまはみな後ろ姿である、その全身撮影。 そして話
しおえようとする後ろ姿のキリストの声が聞える、その彼の最後の言葉あたりに村の中か
ら騒ぎが聞えだした。
 人びとの騒ぎ。
キリスト ……また人びとによって去勢者にされた者もいるし、果ては天国のためにみずから進んで去勢者となった者までいる。理解できる者は理解せよ。
 いっそう激しい人びとの騒ぎ。
 一行に届く騒ぎの音に彼らは振り返った。彼らはすでに木蔭にいて、村の白じろとした奥をバックに黒ぐろと見えたのだが、全景撮影で、村の反対側から太陽の炎の中を数十人
もの人たちが、多くは女たちだがそれに母親たちに背中を押されて、ややおずおずとやって来る、たくさんの実にたくさんの少年少女たちを見る。彼らは手に手に果物や花々の捧げ物を持っている。この小さな甘美な群れがキリストのそばまで達し、興奮と混乱をもたらす。
母親たちの声 〈主〉よ、御手を子らの上に置き、彼らのために祈ってください!
 使徒たちは、こうしたこと一切が彼らの〈主〉を煩わすと思って、これらの女たちや、大声を立てているこれらの子供たちを押し退けようとする。
使徒たち 退け、行って〈主〉をそっとしておくように!
 優しい微笑みで明るい顔のキリスト、そのクロースアップ。
キリスト 子供たちを放して、ぼくのところに来る邪魔はしないように。なぜなら天国はこのような者たちのものだから……
 使徒たちが退く。幼子たちはその母親たちとまわりを輪になって取り囲み、キリストはまず何人かの巻き毛、何人かの日に灼けたうなじを優しく撫で、ついで一心に子らのために長い間祈る、そのクロースアップ。
 信頼をこめて彼を見つめる幼子たち、そのクロースアップ。
 祈りおえ、ついに目をあげて彼らを見るキリスト、そのクロースアップ、子らの願いを聴きいれたというかのように…… すると子らはたいへん騒ぎ立って広場の彼のまわりで踊り遊び始める……
 こうした陽気な混乱のさ中に、馬に乗って、下男たちの一隊を従えながら、ひとりの若者が通りかかる。彼は美しく、着ている衣裳や身につけている金の類から金持に見える。
 キリストと彼のまわりで遊び戯れる子らを眺める若者、そのクロースアップ。
金持の若者 師よ、永遠の生命を得るためには、どんな善いことをぼくはしなければならないか?
キリスト 善いことについて、なぜぼくに訊くのか? ただひとりのみが善い者だ。それゆえきみが〈生命〉に入りたいのなら、戒めを守れ。
金持の若者 どれを?
 あたりでは騒ぎがいくぶん遠のいて嬉しげになったように見える。
キリスト その戒めとはこれだ。殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証を立つるなかれ、父と母とを敬え、またおのれのごとくなんぢの隣を愛すべし……
金持の若者 ぼくはそうしたことはみな守ってきた。このうえ何がぼくには欠けているのか?
 キリストは愛しそうに興味深く彼を見つめ、それから目をあたりに転じて見る。若者の首から手首まで、きらびやかに覆っている金の装身具を、そのディテール撮影。その下男たちを覆っている富の数々を、金の鉢、また高価な布地を、そのディテール撮影。
キリスト きみ、もし全かろうと思うのなら、往ってきみの持物を売って貧しい人びとに施せ、そうすれば宝を天で得るだろう。それから来て、ぼくに従え。
 若者は俄に自信を失い、悲しそうに彼を見つめる。それからおのれの富を見やる。彼の黄金、そのディテール撮影。彼の黒人奴隷たちによって運ばれている資産、そのディテール撮影。
 憂鬱になり、目には富への郷愁を溢れさせながら、そして彼に従いゆくことのできぬ苦しみもその目に宿しながら、なおも見つめる若者、そのクロースアップ。
 やがて無言のまま、下男たちの一隊を率いて立ち去ってゆく
 馬たちの地面を掻く蹄の音が消えてゆき、あたりの貧しい子供たちの叫び声がいっそう嬉しげに盛んになる中で、キリストが、クロースアップで、弟子たちを顧みる。
キリスト ほんとうに断っておくが、金持が天国に入ることは難しい。また言っておくが、金持が天国へ入るよりは、駱駝が針の穴を通ることのほうがかえって易しい。
使徒 それではいったい誰が救われるのか?
キリスト(彼らを眺めながら) それは人には不可能なことだが、〈神〉なら何もかも可能だ。
 ゆっくりと、全身撮影で、木の大きな木蔭の大きな石か、それとも粗末なベンチかに腰を降ろしにゆく。使徒たちが少年たちの忘れっぽいゲームの間を縫って彼に従い、彼のまわりに輪になって坐る。
ペテロ 見よ、ぼくらはすべてを捨てて、きみに従ってきた。ならば、ぼくらは何を得るのか?
キリスト ほんとうに断っておくが、ぼくに従ってきたきみたちは、世が改まって人の〈子〉がその栄光の玉座に坐るときには、きみたちもまた十二の座についてイスラエルの十二の部族を裁くことだろう……
 幼子のように魅せられて耳を傾ける使徒たちの顔という顔。
 ……また、ぼくの名のために家あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは父、あるいは母、あるいは妻、あるいは子たち、あるいは畑を捨ててきた者は誰でも百倍の報いを受け、また永遠の生命を継ぐことだろう。だが先の筈の多くの者が後回しになり、後の筈の多くの者が先になることだろう。
 語りつくす衝動に囚われた彼を使徒たちが見つめる。あたりでは子供たちがいまはいっそう密やかに遊び、母親たちは固まって話し続けている。
 休みないその思考の深みに沈んでキリストは数分間黙っていたが、やがて空に吸いこまれるように立ちあがり、全身撮影でパン撮影に追われながら、広場とつましい家並の盲た白さをバックに黒ぐろと立つ木の暑い陰の中をまた往ったり来たりしはじめた。
 新たな言葉を待つ使徒たち、その左右対称のパン撮影。
キリスト 天国はぶどう畑の労働者を雇い入れるために日の出とともに出掛けた主人にも似るか。
 そして労働者たちと一日につき一デナリオンの取決めをして、彼らをそのぶどう畑に送った。第三時の九時頃出てみると、市場に空しく立つ者たちを見て、彼らに言う、
「きみらもわたしのぶどう畑に往け、正当な賃金を払おう」と。
 そこで彼らは往った。第六時の正午と第九時の三時頃にまた出て、同じようにした。それから第十一時の五時頃に出てみると、他の者たちが立っていたので、彼等に尋ねた、
「なぜきみらは一日中何もしないでここに立っているのか?」 
 彼らが答える。
「誰もぼくらを一日の賃金では雇ってくれなかったからだ」 
 そして主人。
「きみらもわたしのぶどう畑に往け」
 耳を傾ける使徒たちの顔、その顔々をパン撮影。そしてキリストは相変らず、パン撮影で捉えられながら全身撮影で、語り続ける。
キリスト 日暮れて、ぶどう畑の主人がその農場管理人に言う、
「労働者たちを呼んで賃金を支払え、最後に来た者から始めて最初に来た者までだ」
 こうして第十一時の五時頃に来た者たちがいま来て、それぞれが一デナリオンずつ受け取った。それから最初に来た者たちが来て、彼らはもっと貰えると考えていたのに、やはり彼らもそれぞれが一デナリオンずつ受け取った。受け取る際に彼らは主人に対して呟いて言った。
「この最後に来た連中はたった一時間しか働かなかったというのに、日長一日、暑さの中を働きずくめだったおれたちと同等に扱うのか、おまえは?」
 前記のように使徒たちをパン撮影、前記のようにキリストをパン撮影。
キリスト しかし主人は彼らの一人に答えた、
「友よ、わたしはきみに不正をしてないぞ。きみはわたしと一デナリオンの取決めをしなかったか? きみの金を取って、往け。わたしはこの最後の者にもきみと同じように支払いたいのだ。わたしは自分の物をわたしの好きなようにできないのか? 妬んでいるのはきみなのか、わたしが気がよいゆえに?」
 こう話して聞かせながら、キリストは立ち止まり、クロースアップで、歌を唄うみたいに話を締めくくる。
 ……このように最後の者たちが最初になり、最初の者たちが最後になるであろう。
 溶暗

       86

 エルサレムへ向かう途中の野辺。野外 昼(ヨルダン)
 大都会エルサレムの暑熱のなか陽炎立つ遠くの眺望を非常にゆっくりと移動撮影。
 バッハの「死のモチーフ」が湧きあがり、拡がってゆく。
 キリストと使徒たちの、全身撮影で、一行に先行して非常にゆっくりと移動撮影、彼らは野辺の静けさの中を歩みきながら、エルサレムの遠くの眺望を見つめている、その上をゆっくりと移動撮影が動いてゆく……
 再びキリストと使徒たちの、一行に先行して非常にゆっくりと移動撮影、そして再び陽炎とあの町の遠い輝きを非常にゆっくりと移動撮影。
 そしていまはあの眺望の中に彷徨う目をして歩みくるキリスト、そのクロースアップ、に被せて移動撮影。彼は長い間口を噤んでいるが、やがてあの遠い宿命的な地平線から目を引き離さずに、夢の中みたいに話して長い沈黙を間に交えながら言葉を吐く。
キリスト 見よ、ぼくらはエルサレムに上る……
 移動撮影が先行して、ペテロのクロースアップ、彼は涙に目を光らせながら歩みくる……
 前記のようにキリストのクロースアップ。
キリスト ……人の〈子〉は祭司長、学者らに引き渡され……
 前記のようにもうひとりの使徒のクロースアップ、彼もまた不可解に感動して目に涙を滲ます。
 前記のようにキリストのクロースアップ。
キリスト ……彼らは彼を死に定め……
 前記のように泣きながら歩みくるペテロ、そのクロースアップ。
 前記のようにキリストのクロースアップ。
キリスト ……また彼を異教徒の権力の下に渡して嘲弄し、鞭打ち、十字架に架けさせることだろう……だが三日後に彼は甦ることだろう。
 急速な溶暗。

       87

 エルサレムへ向かう途中の野辺。野外 昼
 キリストの最後の言葉の谺がまだ残っているそのときに、太陽に貪り喰われた街道づたいに旅する人びとで一杯の荷車の列から声々や叫び声が上がる。ひとりの年寄りの女だ、六、七人の息子たちに追われて使徒たちの一団めがけて走り寄ると、ヤコブとヨハネに抱きつく。
 バッハの「死のモチーフ」が消えてゆく。
ヨハネとヤコブの母親 息子や、あたしの息子たち……
 やがて彼女はクロースアップでキリストに向き直る。無分別な、だが同時に感動的な渇望に溢れて。
キリスト 何を望むか?
ヤコブとヨハネの母親 命じてください、このあたしの二人の息子たちがあなたの国でひとりはあなたの右に、ひとりはあなたの左に坐るよう!
 キリストは彼女を厳しく見つめるが、その目は果てしなく辛抱強くもある。
キリスト きみたちは自分が何を願っているのか、分っていない。きみたちは飲めるのか、ぼくがこれから飲もうとする杯を?
 彼らの母親の右と左に立つ、ヤコブとヨハネ、そのクロースアップ。
ヤコブとヨハネ ぼくたちは飲める。
 キリストは憐れみに囚われて、彼らをほろ苦く見つめる。
キリスト きみたちはなるほどぼくの杯を飲むことだろう。だがぼくの右と左に坐ることについては、それを決めるのはぼくではない。それにはわが〈父〉がそれに備えた人たちが当てられることになる。
 立腹してヤコブとヨハネを睨む他の使徒たちの顔という顔、そのパン撮影。とりわけユダを。
キリスト きみたちも知るように、諸国の民を君主たちが支配し、権勢家たちが民衆に権力を振っている。しかしきみたちの間ではそうはなるまい。それどころか、きみたちの間で偉くなりたい者はきみたちの下男となれ、そして誰であれ、きみたちの間で一番上になりたい者はきみたちの下男となれ。
 こうした最後の言葉を言いながら、彼はゆっくりと向き直り、歩みゆく、全身撮影でついでパン撮影で、後ろに使徒たちを従えて。
 後ろ姿の全身撮影で、キリストは低い声でその言葉を締めくくる。
キリスト ……人の〈子〉が来たのは仕えられるためではなく、仕えるために来たのにも似て、また多くの人の贖いとしておのれの生命を与えるために来たのにも似て。
 歩みゆく後ろ姿たちの上に……
 溶暗。

 午前八時二十分、いち早く山口艦隊の所在を把握したスプルーアンスはワイルドキャット十六・ドーントレス二十四・デヴァステーター二十四の全力出撃を命じ、全機発艦後に真東に向けて避退を開始した。攻撃隊には、
「敵空母攻撃の終了後、被弾機および残燃料の乏しい機は、ハワイ島の基地に着陸せよ」
と、命じてあった。未明からの交戦状況から推して、ハワイ島の航空戦力はあまり期待できそうになかった。

 エルサレムへ向かう途中の野辺。(エリコの城門)野外 昼(ヨルダン)
 正面に、果てしない徒歩の旅に疲れ切って、埃の中に足を引きずりながら歩みくるキリストと使徒たちの姿。二人の盲が道端の埃の上に襤褸にくるまってそこにうずくまり、二匹のけものみたいに彼らの希望のない夜の中に失われている。押しつぶされた蛆みたいに差し延べた首、高くもたげた頭、そして盲た両の目。
画面外の声 見よ、〈主〉だ、ダヴィデの子だ!
 盲たちがいきなり起されたけものみたいに立ちあがり、手探りして進み、倒れて、また立ちあがり、探りながら走ってまた倒れ、とうとう埃の中に身を投げるようにして跪く。
盲たち 主よ、ダヴィデの子よ、ぼくらに憐れみを!
 そのうちにも人びとが集まってきて、人びとは盲たちを後ろに押し退け、突き退けしたから、彼らは手探りで進んでは倒れ続ける。
盲たち 主よ、ダヴィデの子よ、ぼくらに憐れみを!
 彼らの前に立ち止まるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみたちはぼくにどうして欲しいのか?
盲たち 主よ、ぼくらの目が開くようにしてください。
 全身撮影で、キリストが近寄り、彼らの目に手を触れる。
 涙と喜びに光り輝く開いた両の目、そのディテール撮影
 溶暗

       88

 エルサレムの城門前。野外 昼(ベトファゲ。ヨルダン)
 エルサレムの城門の全景撮影。じっと動かない広大なショット、群衆と太陽と。祭りの気配がする。優美に行き交う人びと、徒歩で、馬で駱駝で…… こうした映像の上に高く、抗しがたく、このうえなく力強く預言の成就を告げる音楽が爆発する。
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が非常に強く鳴り渡る。
 キリストと使徒たちが埃だらけの街道に立ち止まり、郊外の惨めな家並の間で貧しい人びとの最下層の蠢動の中で眺めている。
 キリストのクロースアップ
キリスト 向いの部落に往って、仔驢馬といっしょに繋がれた牝驢馬がすぐに見つかる。解いて、ぼくのところへ牽いてきなさい。そしてもし誰かが何か言ったら〈主〉が要るのだがすぐに送り返す、と答えよ。
 こうした言葉に、彼らの使命のこの最高の瞬間という熱狂にかられて、子供みたいに快活にいそいそと何人かの使徒たちが走りだし、キリストが彼らを遣わしたあちらへ向う。
 見よ、彼らが、全身撮影で、埃だらけの街道を走って下水渠の溝を跳び越え、小さな牧場の一種の臭い「肥の堆」をいくつも跳び越えて、ひと塊のあばら家の間に消えてゆく……使徒らのこうした行動と帰る道すがらの行動の上に預言者の音楽に合わせて預言の言葉が響きわたる。
預言の言葉 シオンの娘に告げよ、
「見よ、おまえの王がおまえの許に来たる。温和にして、牝驢馬に乗り、荷駄のけものの小さな若駒を牽いて」
 見よ、あの下のほうに彼らが泥だらけの粗末な家並の背後からまた現れ、相変らず走りながら牝驢馬と仔驢馬を牽いてくるが、驢馬たちは抗いお道化てだくを踏む。
 そして一群の少年たちがその後を追って騒ぎ立てながら、また小牧場を越え、溝を越え、キリストめがけて走ってくる。
 使徒たちみながそのマントを牝驢馬の背に被せて、その上にキリストが跨がるのを手伝う。そのうちにも後ろで少年たちが大勢集ってきて、口から口へと叫び声を伝えてゆく。
声々 イエスだ、ダヴィデの子だ!
 あの下のほう、町の城門のあたりにも人びとが犇めいている。キリストは、パン撮影に追われつつ、牝驢馬を御しながら、使徒たちに囲まれて進みゆく。そしてその周りでは群衆が跪きはじめる。何人かはそのマントを埃の上に投げだし、キリストが通る絨毯とした。他の者は木々の葉枝を剪りに走って、キリストのためにあの絨毯をいっそう祭りに相応しく豊かにしようとした。
 いまは群衆みながマントや葉枝をキリストの進む先に投げだし、襤褸を纏って幸せな群衆の真只中をキリストは驢馬に跨がってゆく。そのうちにも預言の言葉がこのシークエンス中ずうっと語り続け、非常に力強い成就のモチーフがそれに続く。
預言の言葉 ダヴィデの子にホザンナ!〈主〉の名によって来たる者に祝福あれ! 諸天の最も高き天にてホザンナ。
 そうしてキリストは葉枝や羅紗を打ち振る群衆の間をエルサレムの城門の中に入る。

       89

 エルサレムの城門前。野外 昼(ベトファゲ。ヨルダン)
 エルサレムの城門の全景撮影。じっと動かない広大なショット、群衆と太陽と。祭りの気配がする。優美に行き交う人びと、徒歩で、馬で駱駝で…… こうした映像の上に高く、抗しがたく、このうえなく力強く預言の成就を告げる音楽が爆発する。
 バッハの楽曲「プロフェーティカ」が非常に強く鳴り渡る。
 キリストと使徒たちが埃だらけの街道に立ち止まり、郊外の惨めな家並の間で貧しい人びとの最下層の蠢動の中で眺めている。
 キリストのクロースアップ
キリスト 向いの部落に往って、仔驢馬といっしょに繋がれた牝驢馬がすぐに見つかる。解いて、ぼくのところへ牽いてきなさい。そしてもし誰かが何か言ったら〈主〉が要るのだがすぐに送り返す、と答えよ。
 こうした言葉に、彼らの使命のこの最高の瞬間という熱狂にかられて、子供みたいに快活にいそいそと何人かの使徒たちが走りだし、キリストが彼らを遣わしたあちらへ向う。
 見よ、彼らが、全身撮影で、埃だらけの街道を走って下水渠の溝を跳び越え、小さな牧場の一種の臭い「肥の堆」をいくつも跳び越えて、ひと塊のあばら家の間に消えてゆく……使徒らのこうした行動と帰る道すがらの行動の上に預言者の音楽に合わせて預言の言葉が響きわたる。
預言の言葉 シオンの娘に告げよ、
「見よ、おまえの王がおまえの許に来たる。温和にして、牝驢馬に乗り、荷駄のけものの小さな若駒を牽いて」
 見よ、あの下のほうに彼らが泥だらけの粗末な家並の背後からまた現れ、相変らず走りながら牝驢馬と仔驢馬を牽いてくるが、驢馬たちは抗いお道化てだくを踏む。
 そして一群の少年たちがその後を追って騒ぎ立てながら、また小牧場を越え、溝を越え、キリストめがけて走ってくる。
 使徒たちみながそのマントを牝驢馬の背に被せて、その上にキリストが跨がるのを手伝う。そのうちにも後ろで少年たちが大勢集ってきて、口から口へと叫び声を伝えてゆく。
声々 イエスだ、ダヴィデの子だ!
 あの下のほう、町の城門のあたりにも人びとが犇めいている。キリストは、パン撮影に追われつつ、牝驢馬を御しながら、使徒たちに囲まれて進みゆく。そしてその周りでは群衆が跪きはじめる。何人かはそのマントを埃の上に投げだし、キリストが通る絨毯とした。他の者は木々の葉枝を剪りに走って、キリストのためにあの絨毯をいっそう祭りに相応しく豊かにしようとした。
 いまは群衆みながマントや葉枝をキリストの進む先に投げだし、襤褸を纏って幸せな群衆の真只中をキリストは驢馬に跨がってゆく。そのうちにも預言の言葉がこのシークエンス中ずうっと語り続け、非常に力強い成就のモチーフがそれに続く。
預言の言葉 ダヴィデの子にホザンナ!〈主〉の名によって来たる者に祝福あれ! 諸天の最も高き天にてホザンナ。
 そうしてキリストは葉枝や羅紗を打ち振る群衆の間をエルサレムの城門の中に入る。

       90

 神殿前。野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
 大声で叫びあう大群衆が前に犇めく神殿、 その移動撮影。
 相変らずバッハの「プロフェーティコ」のモチーフが続く。
 キリストが驢馬に乗って、全身撮影で、使徒たちに囲まれ、祭り騒ぐ群衆の間を、パン撮影に追われつつ、進みゆく。神殿の前に着くと驢馬から降りて中に入る。

       91 

 エルサレムの神殿の中庭。屋内 昼(ヨルダン)
 口を噤んで眺めるキリスト、そのクロースアップ。彼の目は次第にこのうえない怒りに漲ってくる。
 一種の市場である神殿、その全景撮影。商人たち、両替商たち、大騒ぎをする子供たち…… 何度目かのリアリスティックな一大シーン。
 すでに怒りに囚われているキリスト、そのクロースアップ。そして全身撮影、ついでパン撮影で、神殿に入り、そして見よ、なんと凄まじいことか、その力を前にしては何者もなす術を知らずただ唖然として不安げに眺めているほかはない。両替商たちの台という台
、鳩売りの腰掛けという腰掛けをひっくり返しはじめる。鳩たちは驚いて狂ったように舞いあがり、飛び去ってゆく……
 鳩たちの狂ったような乱舞飛翔のこのショットは、キリストが全身撮影で、ほかの台や、ほかの腰掛け、商人たちのほかの「露台」をひっくり返して喩え難い混乱に陥らせるショットと代わりあう……
 その場に駆けつけるファリサイ人たちのショットの中にキリストのクロースアップ、彼は叫び、恐ろしげで、何もかもひっくり返すのを止めようとはしない。
キリスト こう録されてある、
「わが家は祈りの家となるであろう。」
 と。ところがおまえたちはそれを盗人どもの巣窟にしている!
 やや鎮まった鳩たちの飛行ぶり、飛び去ってゆく……そしていまは撮影レンズが、全景撮影で、神殿に入ってくる新しい群衆をフレイミングする。盲や、跛や、病人たち、それに彼らの親類たちだ。希望に、喜びの涙に燃えあがる目、目、目のディテール撮影。少年たちの群れがいくつも彼らにも分らぬ昂奮にかられ、喜びに囚われて、パン撮影、そして全身撮影で、踊るかのように走り回る。
少年たち(童歌でのように) ダヴィデの子にホザンナ!
 憤慨したファリサイ人たち……を移動撮影。はしゃぎ回って駆け寄る子供たちの群れのいくつかを二、三回無秩序にパン撮影。

少年たち ダヴィデの子にホザンナ! ダヴィデの子にホザンナ!
 ファリサイ人の一団の中を移動撮影。
ファリサイ人 おまえは彼らの言うことが聞えるか?
 キリスト、そのクロースアップ。
キリスト 聞える。おまえたちこそあの件をまだ読んでないのか?
「幼子や乳飲み子の口からあなたは讃美の言葉を浴びる」
 とある。
 少年少女の群れがいくつも駆け寄って、輪になりながら叫ぶ。
少年少女たち ダヴィデの子にホザンナ!
 楽曲「プロフェーティカ」の至高の調べの中、祭りと祈りに溢れかえる神殿、その全景撮影 。
 溶暗。

       92

 ベタニアの家。屋外 夜(ヨルダン)
 夜である、果てしなく静かな夜、ただ神秘的な寝息ばかりが聞える。ベタニアの家、その屋外の全景撮影。
 バッハの「プロフェーティコ」のモチーフがゆっくりと消えてゆく。
 静けさの中でいまここに眠りに浸る使徒たちの身体を一人ひとり、全身撮影。中庭の草の上に寝る者もあれば、家の中に寝る者もある。何ひとつ彼らの底知れぬ深い密な眠りを妨げるものはない。
 溶暗。

       93

 ベタニアの家。屋外 昼
 いまでは太陽が戻ってきた。夜明けのとびきり新鮮な色彩の中でベタニアの家、その屋外の全景撮影。
 兎唇の老婆の門番がゆっくりと開ける。と、目の覚めたばかりのキリストが出てくる。遠くで雄鶏たちが歌っている。キリストは歩みゆき、やがてクロースアップであの下のほう、
生まれたての一日の不思議な黄金色の光の中に失われたエルサレムの眺望を眺めやる。
 底知れぬ深い悲しみに囚われて見つめるキリスト、そのクロースアップ。
 声々、滑車の軋る音。
 そのうちに彼のまわりで世界がまた目覚める。最初の声々と、井戸の中で軋る滑車の音が聞える。
 ベタニアの家の壁をバックに、全身撮影、ついでパン撮影で、また起き出したばかりの
使徒たちが着直していて──誰かが桶で顔を洗っている──キリストが家の前の庭先に立っている一本の無花果の木に近寄る。かがんで竿を取り、その竿で葉叢に小さな果実を探す。だが、一つも見つからない。実のない葉枝と葉っぱのディテール撮影。キリストは怒って竿を遠くへ投げだして木を睨む。
 立腹したキリスト、そのクロースアップ。
キリスト おまえは永遠に実を結ばぬがよい!
 すると見よ、たちまち無花果はすっかり枯れて、まるで火が一瞬のうちに木を貪り灼いてしまったみたいだ。使徒たちが、全身撮影で、枯れた木の下のキリストのほうへ歩みくる。
使徒 いったいどうしてたちどころに枯れてしまったのか?
 キリストが、全身撮影で彼らのほうを振り向く。
 キリストのクロースアップ。
キリスト 本当に断っておくが、もしきみらが信仰を持ち疑わなければ、ぼくがいま無花果の木にしたことが出来るばかりか、きみらがこの山に、
「そこを立ち退き、海に身を投げよ」
 と言えば、そのとおりになるだろう。そして祈りの中で、きみらが信仰をもって求め
ることは何もかも得られることだろう。
 やがて全身撮影で、向き直り、パン撮影に追われて、使徒たちを後に従え、エルサレムへ向けて歩みだす、その後ろ姿が遠ざかってゆくまで……
 夜明けの太陽の光の中、エルサレムの、遠くの眺望をパン撮影。

       94

 神殿の中庭。屋内 昼
 神殿の内部で祭司長や長老たちの一団を移動撮影、彼らはキリストを眺めている。キリストは、全身撮影で、使徒たちを従え、神殿に入って彼らのほうに歩みくる。
 彼らのひとり、例の一番弱いがゆえに一番狂信的な、顔にヒステリーの紅斑を浮かべた男が冷静になりたいくせに出来ぬ者の割れた声ですぐさまキリストに襲いかかる。
祭司長 なんの権威をもっておまえはこうしたことをするのか? それに誰がおまえにそういう権威を授けたのか?
キリスト ぼくもおまえたちに一つだけ訊こう。そしてもしおまえたちが答えるなら、ぼくもまたなんの権威をもってぼくがこうしたことをするのか言うとしよう。ヨハネの洗礼はどこから来たのか、天からか、それとも人からか?
 弱者の顔をいっそう醜悪にする憎しみの惨めなしかめ面をして、ひとりの司祭がその盲た確信の性急さをもって彼に答えようとしたが、もうひとりが彼を引き止める。こちらはずっと知的だし、ずっと冷静だ。
カイアファ(小声で) われらが「天から」と言えば、彼は「ならばなぜ信じなかったの
か?」と言うだろう。またわれらが「人から」と言えば、群衆を恐れねばならない……
 この言葉の決闘に無言の不安をもって立ち会う不可解にも威嚇的な群衆、そのパン撮影。
 ……なぜなら、ヨハネは預言者だとみな思っているのだから!
 それから声を高め、キリストに向き直って、
カイアファ われらは知らない!
キリスト ならばぼくもなんの権威をもってこうしたことをするのか言うまい。
 緊張を解かれて、目に笑いを浮かべている群衆、そのパン撮影。
キリスト おまえたちはどう思うか? ある男にふたりの息子がいた。長男に向かって男が言った、
「わが息子よ、今日行って、わたしのぶどう畑で働け」
 すると長男は答えた、
「主よ、往きます」
 ところが彼は往かなかった。それから男は次男に向き直って同じことを命じた。すると次男は答えた。
「いやだ。往きたくない」
 だが後で、次男は後悔して出掛けた。このふたりの息子のうちどちらが父親の意志を実行したか?
 権威者たちの自信がない、疑り深い顔という顔をパン撮影。ついに、
カイアファ 次男だ。
キリスト 本当におまえたちに断っておくが、取税人と遊び女とはおまえたちよりも先に〈神〉の国に入る。
 なぜならヨハネが来ておまえたちに〈正義〉の道を示したのに、おまえたちは彼を信じなかったから。
 けれども取税人と遊び女たちとは彼を信じたのだ。さらにそれを見たおまえたちはその後でさえ悔い改めて彼を信じようともしなかった……
 ファリサイ人の顔々。皮肉な顔、押し殺した妬みと無力な怒りの漲る顔、心乱れた顔……
 そのうちに画面外で、キリストの声がこうした顔々の上にまた語りだす。
画面外のキリストの声 もうひとつ譬え話を聴け。
 昔ある主人がいて、この者はぶどう畑を作った。ぶどう畑には垣根を巡らし、中に搾り場を掘り、櫓を建て、それからこのぶどう畑をぶどう畑の労働者たちに貸して旅に出た……
 いま撮影レンズはヘロデ党の面々をフレイミングする。彼らも様々な感情、自信のなさ、魅惑、恐怖……に囚われながら耳を傾ける。
画面外のキリストの声 収穫のときに、彼のぶどう畑の成果を回収しようとその下男たちをぶどう畑の労働者たちの許へ遣わした。だがぶどう畑の労働者たちはその下男たちを捕らえて、ひとりを棒で打ち叩き、もうひとりは殺し、三人目は石を投げつけて殺した。再びほかの下男たちを、今度は前回よりも大人数で送った。けれどもぶどう畑の労働者たちは彼らをも同じようにあしらった。ついに彼らの許に息子を遣わしながら、
「わが子は彼らも敬うだろう」
 と言った。
 そしていま撮影レンズはサドカイ派の面々の顔々をフレイミングする、彼らは深ぶかと考え込んでいる、キリストがおのれの生命を賭して権力者たちの前に引き出した問題の重大さに気がついているのだ。
画面外のキリストの声 だがぶどう畑の労働者たちは息子を見て、仲間うちで言い合った、
「見ろ、あれが跡取りだ、みんな来い、やつを殺して、跡目はわれわれのものだ。そして
彼を捕らえて、彼をぶどう畑の外へ投げだし、彼を殺した。
 さてこのぶどう畑の主人がやって来たとき、彼はこれらのぶどう畑労働者たちをどうするだろうか?
カイアファ その浅ましい連中を、浅ましく死なせることだろう。そしてぶどう畑はほかのぶどう畑労働者たちに貸して、彼らが季節ごとに成果をもたらすことだろう。
キリスト 〈聖書〉にあるのをおまえたちはまだ読んでないのか? 
「建造者たちの棄てた石が……
 いまは撮影レンズが子供たちをフレイミングする、前日にあれほど叫んだ少年少女たちかもしれない。彼らは信頼しきって口を開けたまま、キリストの話に聞き入る。
画面外のキリストの声 ……隅の親石となった。これは〈主〉の御業にてわれらの目に
は奇しきこと」
 と。
 キリストのクロースアップ。
キリスト それゆえおまえたちに言っておくが〈神〉の国はおまえたちから取りあげられて、その実を結ばせる民衆に与えられることだろう。そしてこの石の上に倒れる者は打ち
砕かれ、またこの石が倒れれば、その下敷きになった者は粉微塵になるであろう。
 恐怖をもって、憎しみをもってキリストを睨む権力者たち、そのクロースアップ。
 待ち構え、かつ無関心に眺めるひとりの武装兵士……を見やる大祭司、そのクロースアップ。
 バッハの「死のモチーフ」が力強く爆発する。
 その剣のディテール撮影。このディテール撮影に被せて、キリストの声がまた語りだす。
画面外のキリストの声 天国はある王にも譬えられようか。
 この王は王子の婚宴を催して家来たちを遣わして婚宴の招待客たちを呼ばせたが、彼らは来たがらなかった。再びほかの家来たちを遣わして招待客たちに言わせた。
「見よ、宴の用意は整った、わが牡牛も肥えさせた家畜も屠られて、すべては整った。婚宴に来たれ」
 しかし招待客たちは気にも留めずに出掛けてしまった。野良に往く者もあれば、商売に往く者もあった。さらにほかの者はその家来たちを捕らえて、彼らを凌辱し殺した。そこで王は立腹し、軍隊を急派して皆殺しにしてその町を焼き払った。それから家来たちに言った。
「婚宴は整ったが、招待客が相応しくなかった。それゆえ往来の辻々に往って立って、出会ったほどの者はみな婚宴に呼べ」
 こうした言葉の流れるうちに、撮影レンズがさまざまな兵士たちを全身撮影でフレイミングする。彼らは神殿のそこかしこに「公共の秩序の理由」で散らばり、その場に無情に、無感覚に立って、秩序の人としておのれの命令を遂行することに注意を傾けている。
 ……そこで家来たちは町中に出て、遇うほどの者はみな悪人も善人も集めたので、広間は会食者たちで溢れた。会食者たちを見に入った王はひとりの男が礼服を着てないことに気がついた。そして彼に王が言った、
「友よ、どうしてきみは礼服なしにここへ入ったのか?」
 男はそこに、無言のままでいた。そこで王が家来たちに命じた、
「こやつの手足を縛って、外の闇の中に放り出せ。あちらで泣いて歯噛みするがよい」
 こうした言葉の流れるうちに、再びカイアファと第一のヘロデ党員、それに第一のサド
カイ人が耳を傾ける。
キリスト なぜなら招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。
 無言。カイアファが第一のヘロデ党員に視線を向けると、この男がその視線を返し、やがて偽善者的にキリストに向き直り、有能な弁護士然として平然と言う。
ヘロデ党員 師よ、われらは知る、きみは真摯にして〈神〉の道を率直に教え、だれ憚ることがない。人間の条件を顧みないのだから。それゆえどう思うのか、言いたまえ、
「貢をカエサルに納めるのは、律法に適うか、それとも否か?」
キリスト 偽善者たちよ、なぜぼくを陥れる?貢の金をぼくに見せよ
 ヘロデ党員は財布から銀貨を一枚取り出し、手のひらに載せて差し出す。
キリスト これは誰の肖像、誰の銘か?
ヘロデ党員 カエサルのだ。
キリスト ならばカエサルのものはカエサルに、〈神〉のものは〈神〉に納めよ。
 ひとりの兵士の剣のディテール撮影、一方で……
「死のモチーフ」が非常に強烈に響きわたる。
 第一のサドカイ人を唆すかのようにちらと横目で見るカイアファ、そのクロースアップ。するとこの男もカイアファをちらと横目で見てから、キリストに向き直って言う。
第一のサドカイ人 師よ、モーセ曰く、
「人もし子なくして死なば、その兄弟かれの未亡人を娶りて兄弟のために跡継ぎをもうけねばならぬ」
 と。さて、われらのところに七人兄弟がいた。長男が妻を娶ったが死に、子がなかったので、その妻を兄弟に残した。次男、三男も、
ついに七男まで同じ仕儀となった。最後に兄弟みな死んだのちに、その女も死んだ。ならば復活のときに、その女は七人兄弟のうち誰の妻となるのか?
キリスト おまえたちは誤っている、〈聖書〉を理解せず、〈神〉の力も悟らないからだ……
 キリストの返事の終るのを待って、信頼しきって縺れあっている子供たちの顔という顔、
そのパン撮影。
 ……復活のときには実際、娶らず、嫁がない。復活した人たちは天にいます〈神〉の天使たちにも似る。
 彼らの〈主〉の哲理の勝利を共に味わいつつ、参加して、微笑み交わしている少年少女の顔という顔、そのパン撮影。
キリスト 死人の復活については〈神〉がおまえたちに告げた言葉をおまえたちは読まなかったのか?
「われはアブラハムの〈神〉、イサクの〈神〉、ヤコブの〈神〉である」
 とある。彼は死者の〈神〉ではなくて生者の〈神〉なのだ。
 ひとりの兵士の剣のディテール撮影。
 再びさらに強烈にバッハの「死のモチーフ」が響きわたる。
 横目の視線をその剣からつと外し、キリストを睨むカイアファ、そのクロースアップ。
カイアファ 師よ、〈律法〉のうちいずれの掟が最も大いなるか?
キリスト おまえは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、おまえの〈神〉である〈主〉を愛すべし……
 貧しい人びとの埃っぽい縺れた髪の頭を傾けて、熱心に聴く少年たちをパン撮影。
キリスト これが最も大いなる第一の掟である。第二もまたこれに似て大いなる掟である、「おのれのごとく、おまえの隣を愛すべし」
〈律法〉全体と〈預言者〉たちはこの二つの掟に基づいている。
 口を噤んで、感心しきって味方する子供たちの顔という顔、そのパン撮影。彼らの上にまた語りだすキリストの声が画面外で響きわたる。
キリスト おまえたちはキリストについてどう思うか? 誰の子か?
カイアファ ダヴィデの子だ。
キリスト ならばどうしてダヴィデは聖霊に感じてキリストを〈主〉と呼んでいるのか? 曰く、
「〈主〉がわが〈主〉に言った、
『わが右に坐せよ、われがおまえの敵をおまえの足の下に置くまでは』
 と」
 このようにダヴィデがキリストを〈主〉と呼んでいるのであれば、どうしてキリストがダヴィデの子でありうるのか?
 ファリサイ派の人びと……をパン撮影。ヘロデ党の人びと……をパン撮影 。サドカイ派の人びと……をパン撮影。少年たち……を パン撮影。誰もかも黙り込んでしまい、彼を見つめている。その一方、彼らの沈黙の上に「死のモチーフ」が鳴り渡りながら、消えてゆく。
「死のモチーフ」が消えてゆく。
 溶暗

       95

 エルサレムの広場。野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
(このシークエンスでは、また今後のすべてのシークエンスでは──〈最後の晩餐〉まで──撮影レンズは気が触れたかのようだ。これまで従ってきた単純さという全規範は左右対称や様式的正面性といったそこから決して逸脱することのなかった規範共ども、粉微塵になってしまったかのようだ。そして撮影カメラのバロック風の動きによって、壊れた斜めの左右非対称の様式が始まる。これはキリストがその公然たる説教の最高潮の日々に街中に巻き起こした「混乱」を強調するためである。いまは彼に耳を傾けているのは「大衆」であり、その混乱とその渾沌とした熱望をこめて聞き入っている。それはもはや人と人との間の単純で無垢の対話ではない)
 端から端まで続けて映し出される一団の兵士たち。ふつうのショット、ついでリバースショットで彼らをじっくり見ると、その武器とその配置は不自然に公平だが、実は党派的なものである。
 群衆の最高潮の喧騒が鎮まってゆく。
 ……を眺めているローマ軍の兵士たちの横顔を斜めからクロースアップ。より間近な群衆のうなじのクロースアップによって断ち切られた遠くの人たちの全身撮影までの陽炎たつ全景撮影。
 遠くのあの下のほうで、石の小山か踏み均らされた地面の「こぶ」か、小高いところにキリストがいて話している。静かになる。
 クロースアップの隅で欠伸を漏らす、ひとりの悪相の兵隊。
 非常に遠くで話しているキリスト、その全身撮影。
キリスト(初めてのことに高声で、叫ぶみたいに) モーセの座を学者とファリサイ人が
占めている。それゆえきみたちは連中の言うことは何もかも守って行え。だが彼らの行いは見習うな。
 なぜなら連中は言うだけで実行しないからだ。
 彼らは重くて背負いきれない荷を括りはするが、それを人びとの肩に載せて、自分は指一本動かそうとしない。
 連中のすることなすことみな人びとに見られようとしてのことばかりだ。やに幅広の聖句箱を持ち歩き、ケープの房を長くする。宴会では上座に坐り、会堂では上席に腰掛け、町中ではお辞儀をされ、人びとにはラビと呼ばれることを好む……
 彼の足下で、地面に押し潰されたみたいに蹲って聞き入る人びとの上向いた顔々をキリストが話している小山の天辺からのように俯瞰パン撮影。
 ……だがきみたちはラビと呼ばれるな。なぜならきみたちの〈師〉はただひとりだけだ
から。そしてきみたちはみな兄弟なのだから……
 彼の足下から空をバックにキリストを虫瞰 クロースアップ。
キリスト そして地にある者を父と呼ぶな、なぜならきみたちの〈父〉はただひとり、天にいます者だけだから。
 非常に遠くで話すキリストを前記のように全景撮影。
 ……また、きみたちは導師と呼ばれるな。なぜならきみたちの〈導師〉はただひとり、このキリストだけだから。
 退屈して陰気に眺める兵隊の斜めからのクロースアップ。
 きみたちのうち年長者がきみらの下男となれ。
 空をバックに極めて低くからまさに虫瞰図的にイエスをクロースアップ。
 ……誰であれ、思い上がる者は鼻を折られ、おのれを低くする者は高められる。
 溶暗。

       96

 エルサレムの下の盆地状の牧場。 野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
 ドリーに追われ、群衆の間をジグザグに進みつつ、一隊の兵士たちが到着する。その身体の上に武器が鉄の音を立てながら打ち当る。
キリストの声 だが禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは人びとの目の前で天国を閉ざして自ら入らず、入ろうとする者の入るのも許さないのだから……
 兵士の一隊はいまは停止し、その持場に立っている。
 何人かの兵士たちの列をなした横顔をクロースアップ。彼らは無言で退屈し、気短になって見つめている……
 ファリサイ人たちの半ば隠した顔々…… そのパン撮影。
 ……パン撮影に映し出される広大な牧場、そこに数百人の人びとが集り、その大半は腰を下ろしている。牧場は不規則な円を描いてその真ん中が窪み、鉢状をなしている。
 あの下のほうの底に遠くキリストが見える。俄仕立ての台がわりに荷車の上に木々の葉枝を敷き詰めた、その上で説教している。
キリスト 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちはひとりの改宗者を得ようとして海を渡り陸を経巡るが、すでに得られたなら、これをおのれに倍する地獄の子にしてしまうのだから。
 地面に押し潰されたみたいに見えるキリストの上からの俯瞰クロースアップ。
キリスト 禍なるかな、盲た案内人よ、おまえたちは言う、
「人もし〈聖堂〉をさして誓えば、その誓いは無効だ。だが〈聖堂〉の上の黄金をさして誓えば、それは果たさねばならない」
 と。
 キリストの足下から牧場を上のほうに、そこには太陽が揺らめく陽炎の中に兵士たちが集っている遠くの縁まで映し出してゆく虫瞰 パン撮影。
 ……愚かな盲よ! いずれが尊いのか、黄金か、それとも黄金を聖ならしめている〈聖堂〉か? おまえたちはまた言う。
 さらに上の遠くにいる聴衆たちの顔々を下から虫瞰パン撮影。
「人もし祭壇をさして誓えば、その誓いは無効だ。だがその上の供物をさして誓えば、それは果たさねばならない。」と。盲ども!
 地面に押し潰されたみたいに見えるキリストの俯瞰クロースアップ。
 ……いずれが尊いのか、供物か、それとも供物を聖ならしめている祭壇か? それゆえ祭壇をさして誓った者は祭壇とその上のすべての物をさして誓うのだ。
 また〈聖堂〉をさして誓った者は……
 画面の端のほうに半身撮影、ついでクロースアップで何隊かの兵士たち、彼らは牧場の底のほうを見下ろしている。一人の兵士が撮影レンズのほうを振り向き、唾をひと吐きする……
 ……〈聖堂〉とそこに住まう者をさして誓うのだ。天をさして誓った者は〈神〉の玉座とそこに坐したまう者をさして誓うのだ。
 下卑た盗賊の仕草で唾を垂らしたあと、兵士はまた向き直って見下ろす……
 ……禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは薄荷、茴香、クミンの十分の一は納めるくせに〈律法〉のうちで最も大切なことはなおざりにしているのだから。すなわち正義と、憐れみと、真摯とをだ。
 牧場を、聞き入る人びとをパン撮影、キリストを俯瞰クロースアップ。
 ……これこそ行うべきことであり、十分の一の納め物のほうはないがしろにせぬがよいほどのものだ。盲た案内人よ、おまえたちは蚋は漉して除くくせに、駱駝を呑み込んでいる!
 急速な溶暗。

       97

 神殿前の広場。野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
 波打ち、叫び、要求し、気が触れたみたいにあちらこちら走り回る群衆の凄まじい騒擾。
 群衆の喧騒。
 駆けつける一団の悪相のローマ軍兵士たち……をパン撮影。駆けつける一団のヘロデ党、対ローマ協力者の兵士たち……をパン撮影。逃げる、あるいは駆けつける群衆の数グループ……をパン撮影。斜めの鳥瞰、虫瞰フレイミング、ふつうのショットについでリバースショットでの繰り返し。群衆に対する「警察の攻撃」…… アドリブでフレイミング。
 騒擾の中で使徒たちと一緒に揉みくちゃにされるキリスト、そのクロースアップ。
 兵士たち(斜めの左右非対象の反復されたフレイミングなど)によって運び去られたキ
リスト信奉者の一グループの「拘留」フレイミング。
 全景撮影。あの下のほうで、キリストがどうにか神殿の小階段に登って、静かにさせる
かのように両手を上げる。その静けさがゆっくりと広場にのしかかってくる。
 ほとんどその口と目だけが映るキリストの 最大接写。
キリスト 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは杯や皿の外側は綺麗にするくせに、その内側は強奪と放恣に満ち満ちているのだから。
 盲たファリサイ人よ! まず杯の内側を清めよ、そうすれば外側も綺麗になるだろう。
 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちは白く石灰を塗った墓に似ているのだから。その外は輝いてみえるが、内は死人の骨やあるゆる汚れで満ちているのだから。
 このようにおまえたちも外は人の目に正しく映るくせに、内は偽善と不正で溢れるばかりだ。
 禍なるかな、偽善なる学者、ファリサイ人よ、おまえたちが預言者たちの墓を建て、正しい人たちの墓を飾るのだから。そしておまえたちは叫ぶ、
「われらもし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す共犯者にはならなかったものを」
 と。こうしておまえたちはおのれが預言者たちを殺した者の子孫であることを自ら証言している。
 こうした言葉によって昂奮し、キリストに反対する群衆の多くが叫んで非難しだした。
キリスト(声を張りあげ、喧騒を凌ぎながら) ……おまえたちはおのれの先祖の悪行の度を越えている。蛇よ、蝮の裔よ、どうしておまえたちが地獄の罰を免れられようか? 
 このゆえに見よ、ぼくがおまえたちに預言者や智者や学者らを遣わすのに……
 再び騒擾が持ちあがり、兵隊が介入して、彼らによれば最も騒ぎ立てている者たちの両腕を捻じあげて、荒々しく曳きずって往く……
 キリストのクロースアップ。
 バッハの「死のモチーフ」がまた爆発する。
キリスト ……そのうち何人かをおまえたちは殺し、十字架につけて、ほかの者たちはおまえたちの会堂で鞭打って……
 俄の感動に囚われ、目に涙を溢れさせている使徒たちのクロースアップに被せてパン撮影。
キリスト ……町から町へと追い回して迫害することだろう、おまえたちみなの上に地上で流された無辜の者たちの血がすべてまた降りそそぐまでは……
 キリストの最大接写
 ……正しい人アベルの血から〈聖堂〉と祭壇の間でおまえたちが殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで……
 遠くで語るキリストを恍惚として聴く全群衆をおさめて全景撮影。
 本当に断っておくが、こうしたこと一切はみないまの時代の者たちに降りかかってくるであろう!
 無言の全景撮影の上に長い沈黙。
 パン撮影が映し出すエルサレムの家並を見回すキリスト、そのクロースアップ。
 キリストの最大接写
 エルサレム、エルサレムよ、預言者たちを殺し、おのれに遣わされた人びとを石で撃ち殺す町よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、ぼくはおまえの子らを何度集めようとしたことか、だがおまえたちはそれを望まなかった……
 うわの空で蔑んで聞き流す兵士たちの最大接写。
 ……見よ、おまえたちの家は見捨てられて無人のままにおまえたちに残ることだろう。実際、言っておくが、おまえたちは、
「祝福あれ〈主〉の名によって来たる者!」 
 と、おまえたちが言うそのときが来るまではいまからのち決してぼくを見ることはないであろう。
 そして虫瞰全身撮影、ついでパン撮影に追われて、神殿の小階段から下りて群衆の間を縫いながら立ち去ってゆく。
 息を切らせて、彼のあとを追う使徒たちの 半身撮影に被せてパン撮影、そのうちにもあ
たりにはまた騒擾と喧騒が持ちあがり、遙か高みから死のモチーフが鳴り渡る。
 群衆の喧騒。
 空の高みで、バッハの「死のモチーフ」

 群衆の間を歩みゆくキリストのクロースアップ、ついでパン撮影。彼があたりを見回す……
 エルサレムの町並みと邸宅群……の不規則なパン撮影。
 人波に押されてすぐ脇を歩む使徒たちに向かってキリストが言う、そのクロースアップ。
キリスト きみたちはこうした一切のものを見たか? 本当に断っておくが、ここにはひっくり返されないような石はひとつとして石の上に残るまい。

       98

 オリーヴ山。野外 昼(ヨルダン)
 思いがけなく頼もしいオリーヴ畑の平和の中で、キリストは草地に腰を下ろし、まわりに使徒たちがいる。みな口を噤んでいま起ったばかりのことについて思いを巡らしては、問いが湧きあがる。ついにひとりの使徒が意を決し、言葉に出して言う。
使徒 ぼくらに聞かせてほしい、こうしたことが起るのはいつなのか、また世の終りの徴とは何なのか?
 キリストのクロースアップ。
キリスト きみたちは人に惑わされぬように心せよ。なぜなら多くの者がぼくの名を騙って現れ、言うことだろう、
「わたしはキリストだ」
 ──そして多くの者が惑わされることだろうから。
 きみたちは戦争が話題となり、戦争の噂を聞くことだろうが、そのときには心を乱さぬように気をつけよ。
 そうしたことは起らねばならないだろうが、それはまだ世の終りではあるまい。実際、諸国の民が民に対して立ち上がり……
 使徒たちのひとりの顔を移動撮影、その目は無の中に失われ、その震撼され強制された幻想の中に、彼は見る。
 使徒の想像。
(A)戦闘、争闘の映像、それに歯ぎしりする人びと……のクロースアップ。
 ……国が国に対して立ち上がることがあるだろう。また方々に飢饉とペストと地震が起ることだろう。しかしそうしたことすべてはまだ数々の苦痛の端緒に過ぎまい……
(B)見捨てられ腐ってゆく死体の山また山……殺戮の映像、殉教者たちの映像……
(C)十字架に釘で打ちつけられたひとりの殉教者……を移動撮影。
(D)首を吊られたひとりの殉教者……を移動撮影。
(E)首を切り落とされたひとりの殉教者……を移動撮影。
(F)鞭で打たれたひとりの殉教者……を移動撮影。
(G)後ろ姿を見せて歩みゆく使徒たちを移動撮影。
 ……そのとき人びとはきみたちに拷問を受けさせ、また殺すことだろう。きみたちはぼくの名のために諸国の民に憎まれることだろう。そして多くの人はそのときに屈伏して、互いに裏切りあい、互いに憎みあうことだろう。数多くの偽預言者が湧き出て、多くの人を惑わすことだろう。
 キリストのクロースアップの移動撮影。
キリスト だが終りまで執拗に続けた者、この者たちは救われる。そして御国のこの〈福音〉はあらゆる民への証拠として、全世界に宣べ伝えられることだろう。そのときこそ世
の終りが来るだろう。

       99

 オリーヴ山。野外 夜
(「山上の垂訓」のそれと似たシークエンスが始まる。とめどない講話にわれを忘れたキ
リストの顔の上に溶明してゆく同じ技術、毎回異なる光の状況。夜、昼、嵐、夕暮れなどなど、まるで果てしなく時が流れたかのように。ただし今回はクロースアップでキリストが語った講話のさまざまな断片はひとりの使徒の移動撮影によって中断される。その使徒は聞き入って、いくつもの幻視の厳粛さの中にキリストが物語る歴史の断片のいくつかを「想い描く」。こうしたこと一切が文体論的には前に言及したあの劇的でバロック的な形式的「動揺」の一部をなす)
 語り聞かせるキリストのクロースアップに被せてパン撮影。いまは夜である、ナイチン
ゲールと木の葉木菟が歌っている。
キリスト それゆえきみたちは預言者ダニエルの言った「荒廃の忌むべき者」が聖なる処に立つのを見たなら──読む者は悟れ──そのときにはユダヤにいる人びとは……
 ひとりの使徒のクロースアップに被せて移動撮影、彼は大きく見張った目で見る。
 その使徒の想像。
(A)叫びながら逃げる……人びとの映像。
 ……山に逃れよ。またテラスにいる者はその家の物を取り出そうと下へ降りるな……
(B)家財道具を括って泣きながら逃げる……人びとの映像。
 ……また野良に出ている者はマントを取りに帰るな。そして禍なるかな、その日々に孕んだ女と乳飲み子を抱える女たちよ……
(C)恐怖に口を噤んで逃げてゆく……身重の女たちや乳飲み子を抱える女たちの映像。
 話を締め括るキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト きみたちの逃げるのが冬や安息日ではないように祈れ……
 急速な溶明。

       100

 オリーヴ山。野外 夜明け
 ナイチンゲールたちは空の静けさを雲雀たちに譲り渡した。そして青白い光がキリストの顔に襲いかかる、そのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト なぜならそのときには大いなる苦難が来るだろうから。それほどの苦難は世界の始めからいままでになく、また後にも決してないだろう。
 そしてもしそれらの日々が短くされなかったなら、誰ひとり救われまい。しかし選ばれた者たちには、それらの日々は短くされることだろう。
 そのときにきみたちに「見よ、ここにキリストがいる」あるいは「あそこにいる」と言う者があっても信ずるな。
 なぜなら偽キリストたちや偽預言者たちが湧き出て大いなる徴と奇跡を現し、出来ることなら選ばれた者たちをも惑わそうとするだろうから。
 見よ、予めそのことをきみたちに告げておく。
 ひとりの使徒、そのクロースアップに被せて移動撮影、彼は目を無の中に見開いて見る。
 その使徒の想像。
(A)大声を立てながら指さす……人びとの映像。
 だからもし人が「見よ、彼は荒れ野にいる」と言っても、きみたちは出てゆくな……
(B)荒れ野……の映像。
 ……「見よ、彼は家の中だ」と言おうが、信ずるな……
(C)大声を立てながら指さす……人びとの映像。
(D)その上を稲妻が走り、長々と雷が轟く、嵐の光の中の一軒家……その映像。
 実際、稲妻が東に煌めき跳ねて、西にまで閃きわたる。そのように人の〈子〉もまた来たるのだから。
(E)空に鷲たちの舞う……死体の映像。
 どこであれ、死体のあるところなら、そこに禿鷹たちは集まってくるだろう……
 聖なる恐怖の虜となって相変らずじっと無に見入る使徒を再び移動撮影
 そうした日々の苦難ののち、俄に太陽は暗くなり、月はもうその光を投げかけず、星々は空から落ちて、諸天の天使たちは身を震わせることだろう……
 使徒の想像。
(F)身を平伏して涙をこぼす……群衆また群衆を移動撮影。
 そのとき空に人の〈子〉の徴が現れて、地上のすべての人びとは涙をこぼし、人の〈子〉
が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来たるのを見ることだろう……
(G)走りゆく雲……を移動撮影
 ……そして人の〈子〉はその天使たちを……
(H)喇叭を吹き鳴らす天使たち……をパン撮影の上に大いなる光の映像
 ……喇叭の力強く鳴り響くのを合図に遣すだろう、そしてその選ばれた者たちを天使たちは四方から、諸天のこの果てからあの果てまでから集めて来ることだろう。
 キリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト 無花果の木からの譬えを学べ……
 あそこ、オリーヴ畑の中に立つ一本の無花果の木……をゆっくりと移動撮影。
 ……その枝すでに柔らかくなって葉を芽ぐめば、夏の近いのを知る。このようにきみたちもこれらのことすべてを見たときに、人の〈子〉すでに近づいて門辺に至るを知れ……
 キリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト 本当に言っておくが、これらのことが悉く起こってしまうまではいまの世は過ぎてゆくまい。
 天と地は過ぎてゆくであろうが、しかしぼくの言葉は過ぎてゆくことはないであろう。
 急速な溶暗。

       101

 オリーヴ山。野外 昼
 雨まじりの突風に見舞われ、底知れぬ深みから轟く雷鳴に妨げられた暗い昼間である。
 雨でずぶ濡れのキリスト、そのクロースアップ。
キリスト それにその日その時を知る者はいない、天の天使たちも知りはしない。知るのはただ〈父〉のみだ。ノアの時に起きたのと同じように、人の〈子〉も来たるであろう。実際、大洪水の前の日々には……
 前記のように使徒を移動撮影。
 その使徒の想像。
(A)宴会を催す……人びとの映像。
 ……人びとは食べかつ飲み、妻を娶ったり嫁いだりしていた……
(B)愉快な音楽が切れぎれに流れる中、若くて愉快な人たちが飲み食いしている……映像。
(C)若い母親と父親がその幼子をあやしている……
(D)思春期に入ったばかりの少年と少女がキッスしあっている……
 ……ノアが方舟に入るその時まで。そして人びとは何ひとつ気がつかなかった、大洪水が襲ってきて何もかもひっくり返して曳きずり去るまでは。
 このようにして、人の〈子〉も来たるであろう。
 キリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト そのとき野良に男が二人いれば、一人は取られ、一人は残される。
 二人の女が粉挽き場で臼をひいていれば、一人は取られ、一人は残される。
 それゆえ目を覚ましておれ、いつの日に〈主〉が来たるのか、きみたちは知らないのだから。
 まあ考えてもみるがよい。
 家の主人がもし夜のいつごろ泥棒がやって来るのかを知ったなら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
 だからきみたちも用意しておれ……
 前記のように使徒のクロースアップに被せて移動撮影。
 ……なぜなら人の〈子〉はきみたちの思いも寄らないときに来たるのだから……
 使徒の想像。
(E)雷鳴の凄まじい轟にあわせて、何もかも倒して引きずり去る洪水の恐ろしい猛威……
 キリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト 誠実で慎重な僕とはいったい誰だろうか?
 主人がその家の使用人たちの上に立てて、時に及べば彼らに食物を与えさせることにした、その僕とは?
 前記のように使徒の移動撮影。
 使徒の想像。
(F)ありとあらゆる御馳走を山盛りにした大皿を捧げつつ歩みゆく僕、その後からは僕たちの行列が笑いさざめきながら、巻き毛を揺らしながら彼らも整然と山盛りの盆、盃、羅紗を捧げつつ……
 主人の来たるとき、そのようになしているのを見られる僕は幸いである。
 断っておくが、主人は彼にその全財産を司らせるに違いない……
(G)飲み、かつ食らう……人びとの映像。
(H)笑っている女たち……
 だがもしその僕、悪しき僕で、心のうちで「主人の来たるは遅れるだろう」と言って仲間を叩きはじめて、大酒飲みたちと飲み食いしだすと、その僕の主人が……
(I)思春期の僕が女を抱いて……
(L)底知れぬ深みから轟く雷鳴のもと、濁流となって溢れだす、荒れ狂って逆巻く水……の映像。
 ……予期せぬ日、思いがけぬ時に来たって、彼を拷問にかけさせ、預言者たちと同じ目に
遭わせることだろう。
(M)またも水、またも逆巻く水……
 僕はあそこで泣いて、歯噛みすることだろう。
(N)やがてあるのはじっと動かない濁りきった果てしない水ばかり。
 急速な溶暗。

       102

 オリーヴ山。野外 夜
 また夜となった。宵から松明が震え瞬いている──どこかの村祭りの歌や楽器の調べが届いてくる。
 再び語りはじめたキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト それゆえ天国は十人の乙女にも似るか。乙女たちは燈火を執って……
 前記のように使徒の移動撮影。
 使徒の想像。
(A)燈火を手に若い娘らしい軽やかさで笑いさざめく十人の乙女たち……
(B)五つの燈火を草地に重ね置きにしたまま、牧場で遊ぶ五人の乙女……
(C)笑いながら軽やかに優しくこちらはしかし油を携える五人の乙女……
 ……花婿を迎えに出かけた。そのうちの五人は愚かで五人は慧かった。愚かな娘たちは燈火を執りこそしたが油を携えなかった。ところが慧い娘たちのほうは油を小さな器に入れてその燈火に備えた。花婿が遅れたので、みなまどろんで寝てしまった……
(D)眠り込んでいる十人の乙女たち……
(映像と映像との間に一連の溶明がある)
 夜中に大声が聞こえた。
(E)乙女たちは真夜中に目を覚まされて起き上がり、駆け寄る……
「見よ、花婿だ、迎えに出よ!」
(F)燈った燈火を手に、嬉しそうに駆け寄る五人の乙女たちの映像。そして消えた燈火を手に、涙をこぼす五人の乙女たちの映像……やがて再び燈った燈火を手に、楽しそう
に駆け寄るあの娘たちの映像……
 そこであの乙女たちはみな起きてその燈火を整えた。愚かな娘たちが慧い娘たちに言った。
「あんたたちの油を分けて頂戴、あたしたちのは消えてしまったの」
 けれども慧い娘たちが答える。
「そうしたらあんたたちにもあたしたちにも足らなくなってしまうでしょ。それよりか油
売りのところへ行って買ってらっしゃいな」
 前記のようにキリストの移動撮影。
キリスト その娘たちが油を買いに出かけたあとに、花婿が到着した。そして仕度の整っている娘たちのほうは花婿と新婚の間に入り、扉は閉ざされた。
 前記のように使徒の移動撮影。
 使徒の想像
(G)抑えられて広がってゆくが恐ろしい予感を漲らせた雷鳴のもと、陰鬱で宿命的な果てしない水の広がり。
 その後になってほかの乙女たちもやって来て、
「主よ、主よ、開けてください!」
 と言った。しかし彼は答えた、
「本当に言っておくが、ぼくはきみたちを知らない……
 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト それゆえ目を覚ましておれ、きみたちはその日その時を知らないのだから。
 急速な溶明。

       103

 オリーヴ山。野外 昼
 昼になった、非常に明るい強烈な逆光。
 その絶え間ない思考の渦の中で、目を伏せるキリスト、そのクロースアップに被せて移動撮影。やがてまた目を上げる。
キリスト またこうも譬えられようか。
 ある男が旅立つに当って下男たちを呼び、彼らにその財産を託した。ある者には五タラントン、ある者には二タラントン、ある者には一タラントンをそれぞれの能力に応じて与えて出立した。
 すぐに五タラントンを受け取った者はこれを働かせて、ほかに五タラントンを儲けた。同じようにして二タラントンを受け取った者は、ほかに二タラントンを儲けた。しかし一タラントンを受け取った者は出掛けて地面に穴を掘り、そこに主人の金を隠した。
 かなり日が経ってから、これらの下男の主人が帰ってきて、彼らと清算をする。
 すると五タラントンを受け取った者が進み出て、もう五タラントン出しながら言う。「主よ、あなたはわたしに五タラントン預けたが、見よ、ほかに五タラントンわたしは儲けた」
 主人が彼に言う。
「良いかな、善かつ忠なる下男よ、おまえは僅かな物に誠実であったから、おまえには多くの物を司らせよう。おまえの〈主〉の法悦に入れ」
 二タラントンを受け取った者も進み出て、もう二タラントン出しながら言う。
「主よ、あんたはわたしに二タラントン渡したが、見よ、ほかに二タラントンわたしは儲けた」
 主人が彼に言う。
「良いかな、善かつ忠なる下男よ、おまえは
僅かな物に誠実であったから、おまえには多くの物を司らせよう。おまえの〈主〉の法悦に入れ」
 それから一タラントンだけを受け取った者が進み出て言う。
「主よ、ぼくはあんたが多くを求める男で、蒔かぬところから刈り、散らさぬところから集めるのを承知していたので心配になって、行ってあんたのタラントンを地面の下に隠しておいた。見よ、あんたの金は返したぞ」
 しかし主人が答える。
「性根の悪い、怠惰な下男め! わたしが蒔かぬところより刈り、散らさぬところより集めるのを知っていたのか? それならおまえはわたしの金を銀行に預けておけばよかったのに。そうすればわたしが帰ったときに、利子もろとも引き出せたものを」
 それゆえ彼のタラントンを取り上げて、十タラントンを持つ人に与えよ。なぜなら誰でも持てる人はさらに与えられて豊かになるが、持たぬ者はその持てる物まで取り上げられるのだから。そしてこの無用の下男を外の夜の中に投げ出せ。そこで泣いて歯噛みすることだろう。
 急速な溶暗。

       104

 オリーヴ山。野外 夕べ
 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。
キリスト さて人の〈子〉その栄光の中に全天使たちを従えて来たるとき、そのときには栄光の玉座に坐すであろう。そして彼の前にすべての人びとが集ると、彼はこれをまるで羊飼いが羊を山羊から分つように分って、羊たちを右に、山羊を左に置くであろう。
 前記のように使徒の移動撮影。
 その使徒の想像。
(A)喇叭を吹き鳴らす天使たちの群れが大群衆を真っ二つに割りながら、彼らを二つに分けて……過ぎてゆく。
 喇叭の音(バッハのモチーフ)。

       105

 オリーヴ山。野外 夜
 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。
 喇叭の音(バッハのモチーフ)。
キリスト そこで王はその右にいる者たちに言うことだろう。
「わが〈父〉に祝された者たちよ、来たりて、世の始めよりきみたちに用意された国を嗣げ。なぜならきみたちはぼくが飢えていたときに食べ物をくれ、ぼくが渇いていたときに飲み物をくれ、ぼくが旅をしていたときに宿を貸し、裸だったときに着せ、病んだときに見舞い、入牢中に訪れてくれたのだから」
 すると正しい者たちが答えて言うことだろう。
「主よ、いつきみの飢えているのを見て食べ
させ、渇いているのを見て飲ませたか? またいつきみの旅しているのを見て宿を貸し、あるいは裸なのを見て着せたか? そしていつきみの病むのを見、あるいは牢獄にあるを見て、見舞ったか?」
 そこで王が彼らに答えて言うことだろう。「本当に言っておくが、ぼくの兄弟であるこれらの、いと小さき者たちのひとりにしたことはすなわちぼくにしてくれたことなのである」

       106

 オリーヴ山。野外 昼
 明くる日となった。稲妻と雷鳴と吹き降りの一日だ。
 前記のようにキリストのクロースアップに被せて移動撮影。
 喇叭の音(バッハのモチーフ)
キリスト それから王はその左にいる者たちに言うことだろう。
「呪われた者よ、ぼくを離れて、悪魔とその手下どもに用意された永遠の火の中に入れ。なぜならおまえたちはぼくが飢えたときに食べ物をくれず、渇いたときに飲み物をくれず、旅のときには宿を貸さず、裸なのに着せず、病のときも入牢中も訪れなかったのだから」 
 すると彼らも答えて言うことだろう。
「主よ、いつきみの飢え、渇えるを見、または旅しているか裸なのを見て、あるいは病む
か牢獄にあるを見て、助けなかったか?」
 そこで王が彼らに答えて言うことだろう。「本当に言っておくが、これらのいと小さき者たちのただのひとりにでもしなかったことは、すなわちぼくにしてくれなかったことなのである」
 こうしてこれらの者は去って永遠の刑罰を受け、しかるに正しい者たちは永遠の生命に入ることだろう。
 非常に長い沈黙。
 オリーヴ畑の中に腰を降ろしたキリストの クロースアップからその全身撮影まで、後退しながら移動撮影。
 何もかも静まり返っている。平和の木々の銀色の静けさのはるか彼方で小鳥たちが囀り、働く人間たちが大声を立てている。やがてキリストはゆっくりと立ち上がり、
 パン撮影に追われながら、右手のほうに歩みゆき、オリーヴの木々の間を見え隠れしつつ遠くへ行って、ようやく立ち止まると、じっと佇んで地平線のほうを眺めている。
 バッハの「死のモチーフ」が引き裂くように爆発する。
 見よ、あの下のほうに、新しい日の澄みきった光の中にエルサレムが白じらと煌めきながら広がっている。
 全身撮影で使徒たちも立ち上がり、黙ってキリストの俄の沈黙を尊重しながら、パン撮影に追われながら、オリーヴの木々を縫い、些か怖じ気づき、いくらか距離を保ちながら師のそばへと往く……
 底知れぬ悲しみに曇った目でエルサレムを見つめるキリスト、そのクロースアップ。
 そして見よ、あそこに、その春の美しい太陽に照らされてエルサレムがまだある。
 あの町の遠い眺望をじっと見ながら、キリストがクロースアップで、かぼそい声でゆっくりと言う。
キリスト きみたちも知ってのとおり、二日後は過越の祭りだ…… そして人の〈子〉は引き渡されて十字架に張りつけられることだろう……
 苦しみに耐えきれなくなり、声も立てずに離れたところで涙をこぼしながら顔を両手で覆う使徒たちの顔をパン撮影。

       107

 会議所。屋内 昼(ヨルダン)
 祭司長や長老たちの顔々を(先の使徒たちの場合と同様に)パン撮影。
 悶え苦しむようなバッハの「死のモチーフ」が相変らず続く。
画面外のカイアファ イエスを捕らえねばならぬ時が来た。しかも詭計をもってして彼を死なせねばならん。
 大祭司の椅子に腰を降ろしたカイアファ、そのクロースアップ。
カイアファ 祭の間はならん。民衆の中に騒擾が起るやもしれん……
 カイアファのクロースアップから聖俗の権威たちの集会の全景撮影まで、後退しながら移動撮影。

       108

 ベタニアの家。野外 昼(ヨルダン)
 バッハの「死のモチーフ」が悶え苦しむように続く。
 ベタニアの夕食(慎ましい鄙びた食卓、そのまわりに腰掛けがいくつか、家の軒下に並び、キリストと使徒たちが食べている)その全景撮影から黙って食べながら、その人智を超えた悲しみに沈んでいるキリストのクロースアップまで移動撮影。
 ひとりの女をパン撮影──ベタニアのマリア──女は全身撮影で、高価な壺を両手で捧げ持ちながら、居並ぶ会食者たちの端から端まで歩んで彼に近寄る。いま彼女は彼のそばにいる、若々しくしかも母性的なやさしい顔立ち、そのクロースアップ。微笑んでいる。 
 それから神聖に近い仕草で、壺から香油をキリストの髪にそそいでは両手でそっと母親みたいな仕草でおずおずと香油を髪の間に延ばす。
 向かっ腹を立てて睨むユダ、そのクロースアップ。
 ユダの隣のもうひとりの使徒、そのクロースアップ。
ユダ なんでそんなに浪費するのか? その香油は高く売れるから、貧しい者たちに施しが出来るものを!
 びっくりして気分を損ねた女、そのクロースアップ。
 微笑んでいるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト なぜこの女を困らせるのか? ぼくに良いことをしてくれたのだ。貧しい者たちはきみらとつねに一緒にいられるが、きみらはぼくとはつねに一緒にいられるわけではない……
 彼を見つめるユダ、そのクロースアップ。
キリスト 香油をぼくの体にそそいで、この女はぼくの埋葬の仕度をしてくれたのだ。
 彼から目を逸らして伏せるユダ、そのクロースアップ。
キリスト 本当に言っておくが、世界中どこであれこの〈福音〉の宣べ伝えられるところでは、彼女のなしたことも記念して語られることだろう。
 涙にくれながら感動して微笑む、慎ましい女、そのクロースアップ。
 キリストと女のほうを見やりながら、おのれも喜びと感動に染まったかのように微笑むユダ、そのクロースアップ。やがて彼は立ち上がり、全身撮影、ついでパン撮影に追われ
つつ、会食者たちの端から端まで歩んで遠ざかってゆく……

       109

 会議所。屋内 昼(ヨルダン)
 バッハの「死のモチーフ」が相変らず続く。
 相変らずパン撮影に追われながら全身撮影で、ユダが会議所の集会の端から端まで横切って、カイアファの許へ歩いてゆく。いまはカイアファの前に立つ、彼を眺めるカイアファのクロースアップ。彼をこっそり眺めながら待つカイアファ、そのクロースアップ。ユダのクロースアップ。
ユダ 何をくれるつもりか、ぼくが彼を引き渡したら?
 カイアファのクロースアップ。
カイアファ 三十デナリオンやることにしよう……
「応諾」したユダのクロースアップ、目には喜びの光が跳ね、それは邪なというよりも神秘的な狂気に近い。そして彼の上には「死のモチーフ」が消えてゆく……
 溶暗。

       110

 エルサレム付近の場所。野外 昼(ヨルダン)
 町の城壁近くとその郊外のひと塊の貧しい家並をバックに使徒たちが全身撮影でキリストのほうにやって来る。オリーヴ畑の中、たったひとりで井戸の傍に佇むキリスト、その全身撮影。
使徒 どこがよろしいか、過越の食事の仕度をするのは?
キリスト 街中のある人の許に行って言うがよい。
「〈師〉が言う、
『わが時は近い、過越の食事をきみの許で弟子たちとする』
 と」
 免れがたいことを口にするかのように、いつになく熱のこもらない小声で消え入るように彼は話した。
 目に大きな悲しみを湛えて使徒たちは彼を見つめた。なおも話してみようとはするが、彼らは彼のあの疲れをあえて煩わそうとはしない。そして愛をこめた眼差しを長い間じっと彼にそそいだあと、背を向けて立ち去る。
 彼らは歩いてゆく。後ろ姿となって、町めざして、牝山羊と驢馬と泥と太陽の中に心を奪われてその日暮しに埋没している哀れなわずかな人々の間を歩いてゆく。彼らの後ろ姿が遠くなって、その新たな運命めざして永遠に遠ざかってゆくかのように遠ざかってゆく。
 急速な溶暗。

       111

 最後の晩餐の部屋。屋内 黄昏
 つましく質素で調度品のない部屋だが、過越の祝のために惜しげもなく飾りたてられている。
 キリストと十二人の使徒たちは馬蹄型の食卓に居並んで食べている。彼らは無言で食べている、長く痛ましい沈黙。
 ひと口ずつやっと飲みこみながら咀嚼している使徒たちをみな、ひとりずつクロースアップ。
 外の街中の遠くで人びとの声々と楽器の調べが沸き立つ。
 噛み砕き呑みこむキリスト、そのクロースアップ、やがて痛ましく微笑んで。
キリスト 本当に言っておくが、きみたちのひとりがぼくを裏切ることだろう。
 皿から頭を上げて小声で消え入るように言うペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ 師よ、ぼくだろうか?
 重い心で、なぜならおのれが裏切り者でないことをそれぞれが知っていて、仲間に裏切り者がいると考えるだけでも辱められるのを感じるので、同じ問いをくり返す使徒たちみなを、ひとりずつクロースアップ。
使徒たち 師よ、ぼくだろうか?
 ──師よ、ぼくだろうか?
 ──師よ、ぼくだろうか?
 など。
 キリストのクロースアップ。
キリスト ぼくと一緒に皿の中に手を濡らした者、その者がぼくを裏切ることだろう。
 長い間口を噤んで、それからまた相変らずひどく低い声で疲れて消え入るように、しかし絶望しきった激情によって内側から燃え上がるかのように。
キリスト なるほど人の〈子〉は逝く、彼について録されたごとくに。だが禍なるかな、その者によって人の〈子〉が裏切られる、その者は。彼にとっては生まれてこなかったほうが良かったであろうものを!
 動顛しておのれの錯乱の虜となって、その狂気がわれを忘れさせておのれもまた無垢であると思い込ませるほどであったから──わななく口許、すでに印された眼差しで問うユダ、そのクロースアップ。
ユダ ラビよ、ぼくだろうか?
 キリストはほんの束の間彼を眺めて、それから目を伏せ、聞えがたい声で呟く。
キリスト きみの言ったとおりだ。
 全会食者のおさまる全景撮影。無言。口こそみな物を噛み続けているものの、苦しみが
どの仕草、どの眼差しにも籠もっている。
 再び遠くで陽気な声々と楽器の調べが沸き立ち、消えてゆく。
 急速な溶暗。

       112

 最後の晩餐の部屋。もっとあとで
 辛く陰気な静寂の中、飲み食いを続ける使徒たちとキリストをおさめて、全景撮影。
 ひとかけらのパンを執り、前の食卓の上に置き、一心に祈りをこめて祝福するキリスト、その最大接写。
 やがてそのパン切れを千切って、使徒たち一人ずつに配りながら言う。
キリスト 取って、食べよ。これはぼくの身体だ。
 それから相変らず悲しみを湛えて無言のまま、だからこそいっそうその仕草が気高く映るのだが、杯を執ってぶどう酒で満たし、謝してみなに差し出して言う。
キリスト みなこれを飲め、なぜならこれはぼくの血、盟約の血だ。多くの人のために罪の赦しとして飛び散ったわが血である。
 言っておくが、今後は一切ぶどう樹から採ったこの汁をぼくは飲むまい、わが〈父〉の国できみたちと一緒に再びこれを飲むその日までは。
 起っている事柄の厳粛さをいっそう崇高にする静けさと悲しみに浸る会食者たち、その 全景撮影。
 急速な溶暗。

       113

 最後の晩餐の部屋。しばらくあとから
 相変らず痛ましい沈黙に閉じ籠もっている会食者たち、その全景撮影。
 いまでは不自然な悲痛な雰囲気の中で、何もかもが黙り込んでいる。
 いまキリストはゆっくりと立ち上がり、祈りに集中している。やがて聖歌を唱しはじめる。
 聖歌を唱う使徒たちをひとりずつ、クロースアップ。
 聖歌が果てると、見よ、再び会食者たちの 全景撮影、そしてキリストはゆっくりと戸口へと歩みだし、使徒たちが後に続く。
 急速な溶暗。

       114

 オリーヴ山。野外 月夜(ヨルダン)
 その夜の敵意漲る沈黙に浸されて、キリストを真ん中に使徒たちの一団が進みゆく。声をも奪ういつもの悲しみが一行の上に重くのしかかる。
 彼らは歩みゆき、そしてキリストがクロースアップで歩きながら、相変らずその果てしない悲しみに浸りつつ、また語りだす。
キリスト 今宵きみたちはみなぼくゆえに躓くことだろう。実際、録されてあるのだ、
「われは羊飼いを撃とう、そうすれば群れの羊たちは散ってしまうことだろう」
 と。だがぼくは甦ったあと、きみたちより先にガリラヤへ往ってよう……
 彼の脇に並び、純真な力に溢れて話すペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ たとえみながきみゆえに躓くとしても、このぼくは決して躓くまい!
 相変らず歩みゆきながら、その悲しみをなおさら深く顔に刻みつけながら答えるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト はっきりと言っておくが、この同じ夜の間に、雄鶏の鳴く前に三たびきみはぼくを知らないと言うことだろう……
 相変らず歩みゆきながら、気が転倒して彼を見つめるペテロ、そのクロースアップ。
ペテロ きみと一緒に死なねばならなくたって、きみを知らないとはいうものか……
 キリストは無言だ。そして一行は全身撮影、ついでパン撮影でいまはゲツセマネと呼ばれる農園に到着する。そしてそこに止まる。
 疲れと苦しみの募る眼差しをゆっくりとあたりに巡らすキリスト、そのクロースアップ。
キリスト きみたちはここにおれ、ぼくはあちらへ行って祈るから。
 向きを変えて歩きだす。オリーヴ林の中を遠のくが、やがてまた立ち止まると不可解にも当惑して引き返してくる。
キリスト ペテロ、それにきみたち二人、ヤコブにヨハネ、ぼくと一緒においで!
 そして死を誘うような月明りの中、オリーヴ林を縫って消えてゆく。
 ペテロとヤコブにヨハネは立ち上がり、全身撮影、ついでパン撮影で、彼のあとをついてゆく。
 キリストのほうを不安そうに見やる三人の使徒たちをひとりずつ、クロースアップ。
 彼に追いつく。彼は後ろ姿のまま佇んでいる。そこで彼らは恭しくうち拉がれて彼のそ
ばに数歩離れて立ち止まり、黙っている。
 だがキリストは不意に振り返り、クロースアップで、相変らず苦しみに負けたかのように彼らのほうへ数歩踏み出して、慰めと支えを求めるかのように彼らの肩に手を置く。
 このようにして長い間、無言のままおのれの裡に「悲しみと苦しみ」を抑えこんでいる。ようやくか細い震え声で話す。
キリスト ぼくの心は悲しく切なくて、死なんばかりだ。きみたちはここに止まって、ぼくとともに夜を明かしてくれ……
 彼らから離れて遠のき全身撮影でパン撮影に追われつつオリーヴの樹の茂みを抜け、空き地に出る。
 ここで彼は祈ろうとしたが、何かが祈りから彼の気をそらす。あの「悲しみと苦しみ」だ。
 そこで彼は遠くを眺める……見よ、あの下のほうにエルサレムのパノラマが開けている。地平線を満たす光の嵐が丘々の尾根に花冠を被せている。それどころかあちらからいまは風に乗って声々や楽器の調べまで聞えてくる……
 非常に遠くから楽しげな声と楽器の調べ。
 あの光り輝く悲しい人間の生活の徴のほうを虚ろな眼差しで長いことキリストは見やって聞き入っている…… 
 やがていきなり恐ろしい落胆の虜となって「地面にうつ伏せに身を投げ出し」苦しみ悶えながら叫ぶ……
キリスト わが〈父〉よ、できることならこの杯はパスさせてください……
 しかしおのれに打ち勝って両手で顔を覆いながら、
 ……とはいえ、ぼくがそう望むからではなく、あなたがそう望むならば……
 取り乱したまま、また立ち上がる。そして確信が持てずに相変らず「死ぬばかりに悲し
い心」の虜となってゆっくりと引き返し、全身撮影、ついでパン撮影で、三人の使徒を残したあそこへ向う。
 オリーヴの枝葉を分けて彼らを見る。彼らはそこに互いに折り重なるようにして無邪気な眠りの中に──しかしそれが無邪気であるだけに恐ろしい眠りの中に横たわっている。
 幻滅や苦しみと混ざりあう憐れみにかられ、落胆して長い間キリストは彼らを眺めている。
 やがて全身撮影で彼らに近寄り、揺り起す。
 眠たげに目を開けるペテロ、そのクロースアップ。
 苦みをこめて話すキリスト、そのクロースアップ。
キリスト こんなふうにきみたちはたった一時間でさえぼくとともに起きていることが出来なかったのか? 寝ずにいて祈れ、誘惑に陥らないように。なぜなら精神は仕度が出来ても、肉体は弱いのだから。
 それから再び全身撮影で遠ざかり、オリーヴ林を抜けて、死に誘うその静けさに埋もれた先刻の空き地にたどり着く。祈りに集中しようとするが、まだ出来ない。彼の心はまだ「悲しみと苦しみ」から解き放たれていない。
 再びあの下のほう、昔ながらの声々と笑い
と呼びかけ、そして楽器の陽気な調べに満ちた町の明りのほうを眺める…… 
 彼は目を伏せる。しかし何かその気を逸らすものがまだあって、また目を上げる。
 一羽のナイチンゲールの歌声が濃い茂みの静けさをそのメロディーで嵐みたいに攪乱する。キリストは軽い笑みを浮かべて、うっとりとその歌声に聞き惚れている。けれどもナイチンゲールは俄に鳴き止み、言いようのない不在感、残酷な沈滞感を後に残す。
 キリストはいまは口を噤んであの茂みを眺めながら、人生へのノスタルジアに胸を締めつけられている。やがて再び地面にうつ伏せに倒れて、切に願う。
キリスト わが〈父〉よ! この杯もしぼくが飲まずには過ぎ行かぬのであれば、御心のままになしたまえ……
 両手で涙をぬぐい、あたりを見回してまた起き上がり、オリーヴ林を抜けて葉叢を分けると……またも彼らはそこに、残酷にあどけなく寝入っていて、彼らもまた優しくその徹夜その歌声その夢の人生の流れの虜になっている……
 憐れみをこめ、長いこと彼らをじっと見つめる、そのクロースアップ。 しかし今度は
彼らを揺り起さない。黙って来た道を引き返す。再びあの空き地の真ん中に着く。彼は地
面に跪く。いまは苦しみの発作は過ぎ去った。目を上げ、天に切願するとき、彼の眼差しはずっと澄みきっている。
キリスト わが〈父〉よ! この杯もしぼくが飲まずには過ぎ行かぬのであれば、御心のままになしたまえ……
 そうして一心に祈る。彼の目の前の叢で、あのナイチンゲールが絶望しきって、なお喜びに満ちて歌う。
 その叢の上に……
 溶暗。

       115

 オリーヴ山(ゲツセマネ) 野外 夜(ヨルダン)
 叢はいまは真夜中の底知れぬ静けさの中に枝を広げている。ナイチンゲールは啼かない。
 見よ、キリストが祈りの忘我からゆっくりと甦る。そしてゆっくりと立ち上がり、オリーヴの幹の間を歩みゆき、例の葉叢を分けると……そこに彼らがいる。いまはもう熟睡しきってその疲れの無邪気な餌食となって寝返りを打って腹這いの者、背を丸めている者、また仰向けの者……
 いまではすっかり晴れやかなキリストが彼らに見惚れている、そのクロースアップ。
それからおのれに向けて呟く、まるで微笑みの陰に隠れるかのように。
キリスト いまは眠って、休むがよい…… 人の〈子〉が罪人たちの手に引き渡される時が来た……
 その無慈悲な眠りに浸る彼らを慈しみ深く、なおも長いこと見つめている。それから全身撮影で歩みでて彼らの上にかがむと揺り起す。
 キリストの最大接写。
キリスト 起きよ、往こう! 見よ、ぼくを裏切る者が近づいてくる。
 眠りからはっとして目覚め、勢いよく起きあがるペテロ、そのクロースアップ。そしてキリストを見、不意の騒がしい人声にあたりを見回す。
 騒がしい人声、足音。
 そしてオリーヴの木々の幹の向うに、銀色の木の葉隠れに角燈の輝きもどぎつくいくつ
もの影が進みくるのを見る。
 彼、そしてほかの二人の使徒もぎょっとして跳ね起きた。そしてここに驚き慌てたほかの使徒たちもキリストのまわりに集まりながら後ろを見やる。その背後には木々の幹や葉叢に見え隠れして角燈と剣と棍棒を手に手に群衆が進みくる。
 群衆がオリーヴ林に溢れる。彼らの中にユダがいる。見よ、彼が進み出てクロースアップ、ついで全身撮影でやって来ると、キリストを囲むほかの使徒たちの間に紛れ込む。彼に近寄り、キリストを抱擁する。
ユダ ラビよ、安かれ!
 そしてクロースアップで彼に接吻する。
キリスト ああ、友よ、このためにきみは来たのか?
 しかし棍棒と剣を翳した群衆がキリストに襲いかかり、彼をユダの腕から使徒たちの囲みの中からもぎとって引きずり去る。使徒たちは抗おうと出来る限りのことをする。もともと温和な上に丸腰なのだから並大抵のことではなく、雇われ連中の衣服にしがみつく。
 だが使徒たちのひとりは無垢な者の怒りにまかせて襲撃者のひとりから剣を奪い取り、そやつの片耳を切り落とす……
 あたりは争闘の嵐。なのにこんな争闘の中でもキリストはクロースアップでなおも落着き払って王のように泰然としている。
キリスト きみの剣を彼の鞘に返してやりなさい。なぜなら剣を執る者はみな剣によって滅ぶのだから……
 その使徒は血の滴る剣を手に彼を見つめる、彼のまわりでは争闘がまた沸き起る。キリストはあそこに、後ろを振り向いてなおも説き聞かせようと止めがたい彼の言葉を聞かせようとする──なのに臆病者どもが彼を引っ立ててゆく……
キリスト きみはぼくがわが〈父〉に願えないとでも思うのか、願いさえすれば彼はたちどころに十二軍団に余る天使たちをぼくに整えてくださるものを? だがそのときには、どうして〈聖書〉の言葉が成就されよう、このように起るべしと録されてあるというのに?
 その使徒は剣を地に投げ捨てる。そして引きずられてゆくキリストの後にほかの使徒たちとともに殺到しようとするのだが、一団の雇い兵たち、傭兵たちに阻まれてしまう……
 見よ、彼がクロースアップでなおもびくついている襲撃者たちの十本の腕、二十本の腕
に掴まれて引きずられてゆく、そのパン撮影。
キリスト おまえたちは剣や棍棒を手にぼくを捕らえようと出てきた、まるでぼくが山賊であるかのように。
 毎日ぼくは〈神殿〉に坐して教えを説いていたのに、おまえたちはぼくを捕らえなかった。けれどもこうしたこと一切が起ったのは預言者たちの〈聖書〉が成就されるためである……
 しかしこれらの言葉はファリサイ人たちの怒りをさらに掻きたてると同時に、使徒たちの宿命感と恐怖をも募らせる……
 頭たちに唆され、新たな人びとが新たな角燈、剣、棍棒を手に手に駆けつけて獣みたい
に怒り狂ってキリストを取り囲み、彼に追いつこうとしている使徒たちに駆け寄る……
 踵を返して逃げる使徒たち……をパン撮影。オリーヴ林に逃げ込むひとりの使徒、傴僂だ……をパン撮影。巣にひっこむけものみたいに逃げるもうひとりの使徒……をパン撮影。昔ながらの情ない人間の惨めさにうち拉がれ、盲て逃げてゆく使徒たちの一団……をパン撮影。
 急速な溶暗。

       116

 カイアファの家に向かうエルサレムの街中。野外 夜(エルサレム、ヨルダン)
 喘ぎ汗をかき息を切らしながらペテロはじっと、クロースアップで、剥げ落ちた壁に目を凝らす。目を凝らして見る、長いパン撮影でキリストが縛られて烏合の衆や数人の兵士たちの真ん中を〈上都〉の埃だらけの小路を歩いてくるのを。彼は進みきて、ペテロの前を通りすぎる。
 隠れて見つめるペテロの左右対称のパン撮影の中のクロースアップと、相変らずパン撮影、後ろ姿で歩み続けるキリスト、その後にはまるでどこかの小悪党が捕まったかのようにぞろぞろと後をついてゆく小さな行列。
 こうしてカイアファの屋敷の中に消えてゆく。ペテロは剥げ落ちた低い壁の間の隅っこから出て、汗をかきかき喘ぎながら密偵のひとりみたいな顔をしてカイアファの家のほうへ行く。
 あそこ、剥げ落ちた低い壁、舞いあがる砂埃、夜明けの荒涼たる太陽の間に野次馬の小
さな群衆が屯していて、ゆっくりと玄関に入ってゆく。
 そこでペテロはその後について入り、切なげにあたりを見回す。小窓か、それとも扉のアーチかに近寄って見ると、あの下のほう、屋敷内の中庭の奥にキリストがじっと立ち、あたりにあるのは人生の最高の瞬間の渦巻の中、年代記物語の混乱の中に権力者たちに入り交じった烏合の衆の混乱ばかり。
 声々、叫び声、呼び声、命令。
 一人の兵士が走り、もう一人が彼に続き、取消命令ゆえかのように二人とも引き返す。それから彼らは群衆と入り交じって、誰かを探すかのようにペテロの前を走ってパン撮影で通りすぎる。
 ペテロは眺める。キリストはあそこで、縛られたまま、まるでほったらかしにされたみたいに、罪を宣告する手続きの混乱の中に待っている。
 見よ、ペテロの前を兵士たちが何人か人を連れてパン撮影でまた通りすぎる。風采の浅ましい、身体的にも道徳的にも浅ましい二、三の男たちをパン撮影の中でクロースアップ。 そして一緒に「証人尋問」の手続きの場にあのならず者と権力者たちのまぜこぜが到着
する……
 カイアファのクロースアップ。
カイアファ この男に対して何か証言することがあるか?
 キリストの最大接写。
 偽証人の最大接写。
偽証人 この男は言った。
「われ〈神の神殿〉を破壊し、三日にてこれを再建せん。」
と。
 第二の偽証人の最大接写。
第二の偽証人 わたしもこの男がそうしたことを言うのを聞いた。
 立ち上がるカイアファの最大接写に被せてパン撮影。
カイアファ おまえに対してこの者たちがなした証言に、何も答えないのか?
 その正当性の晴れやかさに浸りきって、口を噤んでいるキリスト、その最大接写。
 カイアファの最大接写。
カイアファ 生ける〈神〉にかけておまえに頼むのだが、われわれに告げてくれ、おまえはキリスト〈神の子〉なのか。
 それゆえに死刑を宣告されることになる言葉を一語一語はっきりと、その至高の明晰さの中で述べるキリスト、その最大接写。
キリスト おまえがたったいま言ったとおりだ。さらに言っておこう、今日より後、おまえたちは人の〈子〉が〈全能の神〉の右に坐し、天の雲に乗って来たるのを見ることだろう。
 ヒステリックな爆発の中で両手の指関節を噛みしめ、衣裳を引き千切るカイアファ、そのクロースアップ。
カイアファ 彼は神を冒涜した! このうえまだ証人が必要だろうか? きみたちはいま冒涜の言葉を聞いた。どう思うか?
 狂信に狂った第一の祭司長がようやく轡を外されて勝ち誇る。
第一の祭司長 死刑だ!
 その言葉にキリストに詰め寄る……兵士やならず者たちの猛悪な顔々を、パン撮影の中で最大接写。
 キリスト……の最大接写に被せて移動撮影。彼に唾を吐きかける……ならず者たちの最大接写。唾を吐きかけられた……キリストの最大接写。ならず者や下男たち……の冷たい笑みの最大接写。笑いにひきつった下品な口で、叫ぶ男の最大接写。
ならず者 キリストよ、おまえを打ったのはどなた様か、当ててみな!
 ならず者どもに突かれてはびんたを喰うキリストのシーンをおさめつつ、その一方で権力者たちがぞろぞろと移動してゆく……、全景撮影。
 大広間のほかの野次馬たちの間で見守っているペテロ、その最大接写、そして彼はゆっくりとパン撮影で目に恐怖と苦しみの色を滲ませながら後退してくる……
 狂信のうねりに染まって髪を振り乱したひとりの女、下女の最大接写。この女が目にヒステリーの光を漲らせ、ペテロを睨み、彼に指を突きつけながら言い放つ。
下女 おまえもガリラヤのイエスと一緒にいた!
 気を鎮めながら彼女を眺めるペテロ、その 最大接写。
ペテロ おまえが何を言いたいのか、分らないね。
 そしてそう言いつつ門のほうへ遠のく。
 もうひとりの女の最大接写、この女も「魔女狩り」の狂気に浸され、気違い馬の目をして。
第二の下女 この男はナザレのイエスと一緒にいた……
ペテロ そんな男は知らない!
 あたりには小さな人だかりが出来、いわれのない憎しみを放つ浅ましい眼差しで彼を見やる。
一人の男 本当におまえもあいつらの仲間だ。おまえの話しぶりでお里が知れる……
 脅えるペテロの最大接写、彼は本能の教えるままにうまうまととぼける。
ペテロ 誓って……生ける〈神〉の名にかけて誓うが、わたしはあの男を知らない……
 雄鶏の鳴き声。
 あの鶏鳴の告知に……石と化すペテロ、その最大接写。怪しんで嫌な目で見る群衆の前
を通り抜けながら……外に出るペテロの全身撮影。
 雄鳥のいっそう力強い鳴き声。
 いまは彼は街道を全身撮影で歩いてゆく、やがて人けのない小路に折れ込むとパン撮影でわっと烈しく泣きだす……
 歩きながら苦い涙をこぼし続けて、いまはもう手放しで泣き崩れるペテロ、そのクロースアップ。
 溶暗。

       117

 カイアファの家。野外 昼
 見守るユダのクロースアップ。前日ペテロがそこから見守ったのと同じ小窓もしくはア
ーチから彼は見守る。大広間にはいまはわずかな人しかいない。二人の下男が掃除をしている。薄く痛ましい大気の中に烏たちの啼く声が聞える。
 烏たちの啼く声。
 見守るユダのクロースアップ。あの下のほうに、全景撮影で、前日の屋敷内の中庭に権力者たちが集まっている。今朝は整然としたものだ。みなおのれの椅子に坐って、兵士たちは離れたところにいる。そして見よ、カイアファが彼に近づく兵士の長に合図する。
 カイアファの最大接写。
カイアファ 彼は死なねばならぬ。いま彼を引っ立てて、ポンティウス・ピラトに引き渡せ。
 見守るユダの最大接写。
 全景撮影。兵士たちがキリストを独房から引き出して縛り上げ、彼らの真ん中に挟んで
カイアファの家から外へ連れ出す。その一隊は無言で、パン撮影に追われながら、ユダの前を通りすぎ、大広間を横切り、太陽の照りつける通りに出て消えてゆく。
 ぱっと両手で顔を覆うユダ、その最大接写。数瞬ののちに両手をのけるときには目は涙で震えている。それから全身撮影ついでパン撮影で──たったいまキリストが辿ったのとは反対方向に──なおも会議所に屯している権力者の一団のほうへ往く。
 烏たちの啼く声。
 彼を眺める……カイアファ、その最大接写。 取り返しのつかぬことを取り返そうと、子
供みたいにうろたえるユダ、その最大接写。
ユダ 罪のない血を売って、ぼくは罪を犯した!
 恐ろしい残酷さをこめて彼を眺めるカイアファの最大接写。
カイアファ われらになんの関わりがある? おまえが考えろ。
 全身撮影でロボットみたいにユダは銀貨を地面にこぼれ落とす。そしてロボットみたいに無言で背を向けて遠ざかる……
 カイアファの最大接写。
カイアファ これらの銀を神殿の〈庫〉に納めるわけにはゆかぬ、なぜならこれは血の価だから。
 第二の祭司長の最大接写。
第二の祭司長 その銀で壺作りの畑が買えるから、そこを異邦人の墓地として、われらはそこを「血の畑」と呼ぶことにしよう。

       118

 血の畑。野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
 陰気な畑をパン撮影。町の外れに広がり、だんだん塵で埋まってゆく野辺の中の畑。草木は育たなくなってゆくのだが、なおあちらこちらに相変らず見事な見捨てられた木々が数本その無用の見事な枝振りを晒している。
預言の言葉 そして彼らは銀貨三十枚を取った。それは売り渡された者、イスラエルの子らによって値が付けられた者の価である。そして彼らはこの銀で壺作りの畑を買った、〈主〉がわたしに命じたように。
 預言の言葉があの堪えがたい畑の静けさの中に響きわたっている間に(いまはもう「預
言者の曲」の伴奏はない、それだけにいっそう恐ろしい)、ユダが泣きながら歩みきて 全身撮影で涙をこぼしながらおのれのまわりを見回す、クロースアップ。 剥き出しの畑
が再びその生き残った木々とともに俯瞰撮影で映し出される……
 やがて彼は全身撮影で一本の木に近寄り、そしてそこで、全身撮影のまま、抗しがたい死の激情の虜となって、狂わしい仕草で、一瞬のうちに、なすべきことをし遂げてしまう。そして彼は首を吊って、震えながら垂れ下がっている。

       119

総督府。屋内 昼(ヨルダン)
 ポンティウス・ピラトのクロースアップ。
ポンティウス・ピラト ユダヤ人の王というのはおまえか?
 キリストのクロースアップ。
キリスト おまえの言うとおりだ。
 一斉に告発の叫び声を上げる祭司長や長老たちをパン撮影。
祭司長たち (告発) (?)
 無言のままのキリスト、そのクロースアップ。
 ポンティウス・ピラトのクロースアップ。
ポンティウス・ピラト どんなに多くのことについて彼らがおまえを告発しているか、聞えないのか?
 その慈しみの籠もった遠い目を告発者たちに転じて、なお無言のキリスト、そのクロースアップ。
 呆れて彼を見つめるポンティウス・ピラト、そのクロースアップ。
 呆れて見つめながら立ち尽くすピラトを真ん中に法廷全体を映し出す全景撮影。一人の下男が彼に近づいて小声で告げる。
 話す下男とピラトのクロースアップ。
下男 あなたの奥さまがわたしを遣わして言う、
「あの義人に口出しは無用。今日あたしは夢の中で彼ゆえにひどく苦しんだ」
 下男が遠ざかる。
 法廷、そして中央にピラトをおさめて全景撮影。
ピラト 今日は過越祭だ、毎年の過越祭のように、おまえたちの望む囚人をひとり釈放しようと思う。おまえたちは誰の釈放を望むか、バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか?
 法廷の奥のならず者たちの疎らな群れ…… その全景撮影。祭司長や権力者たち……の全景撮影。大声を立てる群集の全景撮影。
ピラト 二人のうちどちらをおまえたちは釈放して欲しいのだ?
群集の声 バラバだ!
ピラト では、キリストと呼ばれるイエスはどうするのか?
群集の声 十字架につけよ。
 キリスト……のクロースアップ。ピラトの クロースアップ。
ピラト しかしなんの悪事を彼は働いたのか?
ほかの群集の声 十字架につけろ!
 遺憾に思い、むっとした無言のピラト、そのクロースアップ。
 立腹し、両手を洗う仕草をする全身撮影で ピラトをおさめて全景撮影。
ピラト この義人の血についてわれは罪なし。おまえたちがあたるがよい……
 口を噤んで凶暴になったならず者たちの群れ、その全景撮影。
群集の声 彼の血はわれらとわれらの子らに降りかかるがよい!
 一隊の兵士たちがキリストを引っ立てて外へ連れ出す、パン撮影で(必要だが重要ではない不快なことみたいに迅速に、あたりにはわずかな人びとしかいなくてまるで非合法みたいにこっそりと執り行われたあの裁判の浅ましい混乱の中で)

       120

 総督府の中庭。野外 昼(ヨルダン)
 パン撮影で真ん中にキリストを挟んで、ローマ軍の兵士の一団が中庭に出る。そこである者はキリストにマントを着せかけ、ある者は手に葦をもたせ、またある者は茨を少し取ってきて輪に結び頭に被せる。そしてテーヴェレ川の岸辺からやって来たひとりが「抜け目ない男」の辛辣さと無礼をもって彼を笑い物にする。
兵隊 ああ、ユダヤ人の王よ、安かれ!
 一同は彼をしばしあちこち叩いてから、唾を吐きかける。やがてまた彼からマントと葦を取り上げ、彼を外へとパン撮影で押し出してゆく(何もかもほんのわずかの間に起った
ことであり、取るに足らぬ一エピソード「植民地主義者」の兵営での千ものエピソードの一つに過ぎず、年代記物語の瑣末な出来事にすぎない……)

       121

 ゴルゴタへと向かうエルサレムの小径。野外 昼(エルサレム、ヨルダン)
 総督府から刑場まで彼を中庭から外へ、パン撮影で、連れ出す。四、五人の兵士たちと馬に乗った百卒長だ。二、三人の雑役夫が十字架を運んできて、支え担ぐようキリストに渡す(こうしたこと一切が相変らず迅速に、人目を忍ぶかのように行われる。それは当局ができるだけ非公開で片づけてしまおうとする諸々の執行業務の一つにすぎない)
 路上にはいつもの野次馬、ならず者、ヒステリックな女たちの群集が待ちかねていて、あの小さな行列の尻尾につく。キリストとその小さな行列は汚い場末の石灰を撒いた泥濘の小道を、見すぼらしい家並の間を通ってゆく。キリストは十字架の重みの下でよろめく。すぐそこにずんぐりした若者が、きっと野良仕事の帰り道に違いない、誰でもよい通行人がいる。
百卒長 おい、おまえがこの十字架を担げ……
 この若者としたら従うほかはない。そうして、パン撮影に追われつつ、小さな行列は下水溝の間の小径を這い登ってゆく。
 キリストは疲労し尽くして、まさに失神しそうだ、そのクロースアップついでパン撮影。
 ひとりの兵士が彼に近づいて、そのクロースアップついでパン撮影、水筒の飲物を彼に
やる。キリストはそれをたった一滴口にしただけで、衰弱しきって、水筒を兵士に返し、 パン撮影でまた歩み続ける。
 町の外れに聳えたつ高台の汚い灰色のあちこち禿げた頂を移動撮影。行列はそこに到着
する。
 十字架が地面に横たえられ、イエスが釘で打ちつけられて、十字架が高く立てられる。すべてが素早く、ほぼ無表情になされる、わずか数カットのうちに(全景撮影一、それに全身撮影三、四のうちに、屈んだ兵士たちがキリストの両手両足に釘を打ち込み、もう一つの全景撮影で十字架が高く擡げられて立てられる)
 十字架が立てられると、撮影レンズは野次馬の人だかりの中で、黙って骰子を転がす三、
四人の兵士たちをフレイミングする。勝った者が満足顔で十字架の足許に残されたキリストの衣裳を拾い上げて丸める。それから視線を高く上げる。十字架に釘で打ちつけられたキリストの半身撮影、捨て札に「この者はイエス、ユダヤ人の王」とある。
 怒りと苦しみの叫び声が聞えてくる。
 ゴルゴタの丘の全景撮影。ほかの二人の受刑者がやはり護送の小隊と野次馬の小さな群れを引き連れて登ってくる。彼らの十字架がキリストの十字架の足下に横たえられて、二人の受刑者がその上に押さえつけられ、彼らの獣染みた喚き声の中、釘で打ちつけられる。
 溶暗

       122

 ゴルゴタ。野外 昼(ヨルダン)
 いまは十字架が三柱とも立っている。空をバックにキリストと二人の大泥棒のクロース
アップ。
 全景撮影。いま荒涼たる光の中に、あたりにはやや人だかりが増えている…… 見上げている群集を短く俯瞰撮影。人込みにまみれてヨハネと、アリマタヤのヨセフ、それにマリアたちの顔もちらと見える。*
 最初の恐ろしい痙攣の餌食となるキリストと大泥棒たち、そのクロースアップ。
 十字架の足下で、見上げる一団のならず者の顔々、そのクロースアップ。
ならず者 神殿を破壊して三日で再建するおまえ、おまえ自身を救ってみろ、もしおまえが〈神の子〉なら〈十字架〉から降りてこい!
 苦しみに失神するキリスト、そのクロースアップ。
 溶暗。
*訳註 原文はle Marieだから、まずベタニアのマリア、母マリアの二人がいたことは確かだが、しばしばベタニアのマリアと同一視されるマグダラのマリアはもちろん、クロパの妻マリアもそこにいたことだろう。刑死人の傍で嘆く身内もそのまま十字架に架けられることの多かった史実から、マリアたちがそこにいたとは考えがたいとなす者もあるが、むしろ彼女たちにしてみれば、その場その時にキリストと同じ死を死ぬことは本望であったことだろう。

       123

 ゴルゴタ。野外 黄昏
 夜の空をバックに、三柱の十字架をおさめて全景撮影。
 その足下にいつもの小さな人だかり、その パン撮影。ヨハネ、マリアたち、アリマタヤ
のヨセフ、みな悲しみに沈み、脅えて、無言である。
 死の痙攣に見舞われている三人の磔にされた者たち、そのクロースアップ(どんな磔刑もこの映像ほどには苦しみの堪えがたい即物性を伝えはしないことだろう。見ることを堪えがたくするほどの恐るべき自然主義)
 宵闇の中を下男を引き連れ、小人数で動く権力者たち、そのクロースアップ。
権力者 他人は救って、おのれ自身は救えない。イスラエルの王なのだから、たったいま十字架から降りてみよ、そうしたらわれらも彼を信ずるものを! 神を頼んでいるが、彼を慈しむのなら神は彼を解き放つはずだ、
「われは〈神の子〉である」
 と、彼は言ったがゆえに。
 口舌につくせない苦しみを味わって、苦しみの中に自失し、声も眼差しも無くした……ひとりの大泥棒、そのクロースアップ。
 苦しむべきは悉く苦しんでしまったのに、なお憎しみの力は残って、キリストを罵るもうひとりの大泥棒、そのクロースアップ。
大泥棒 (罵り) (?)
 見るに堪えない肉体的な苦痛に襲われたキリスト、そのクロースアップ。
 溶暗。

       124

 ゴルゴタ。野外 夜
 いまでは夜の闇に包まれて真っ暗な空をバックに、三柱の十字架の全景撮影。あたりに
はわずかな人たちと監視の兵士しかいない。人間の可能性の極限に達したキリスト、そのクロースアップ。骨と皮ばかりになり、血と汗の膿に覆われて、胸と喉を震わす喘ぎに揺さぶられている、と、そこから戦慄の叫びが迸りでる。
キリスト わが〈神〉、わが〈神〉よ、なぜぼくを見捨てたのか!
 十字架の下に残ったわずかな人びとをパン撮影。
ならず者(皮肉に) こいつはエリヤを呼んでるぜ!
 心をうたれて憐れみをこめて彼を見つめる一人のローマ軍の兵士、そのクロースアップ。
 それからこの兵士は全身撮影で海綿を取って水桶に浸し、そこに酢を注ぐ。ついでその海綿を葦の棒で刺して、キリストの唇に近づける。しかしほかの兵士たちが、酔っていた
のかもしれないが、彼を押し退ける。そこへ一人のならず者が割って入って、相変らず酷く皮肉に言う。
ならず者 ほっとけ、エリヤがやつを救いにくるかどうか見てみよう。
 断末魔に喘ぐキリスト、そのクロースアップ。彼は不意に「大きな叫び声」を発して、それからは死の間際の盲た闇の中で身じろぎもしない。
 夜明けの光の中のエルサレムをパン撮影。
 地震の地鳴り。
 崩れ落ちる壁や家々のディテール。
 地鳴りの身の毛もよだつ繰り返し
 地震によって揺り動かされて口を開ける墓穴、そして骸骨や腐った死骸が転がり出る…… 聖人たちの出現…… 恐れ戦いて街中を彷徨う人びと。
 最後の地鳴りがゆっくりと消えてゆく。
 死んだキリスト、そのクロースアップ。
 十字架の足下の兵士たちをパン撮影、彼らは震えながら「別人の顔」をして彼を見上げ
る。
百卒長 本当にこの人は〈神の子〉だった!
 アリマタヤのヨセフ、ヨハネ、マリアたちをパン撮影、彼らは跪き、われを忘れて祈る。その一心の祈りの中に恐怖と希望が混ざり合う。そして哀れな人びとの眼差しで見上げる……空をバックに死んだキリストを、クロースアップ。
 溶暗。

       125

 総督府。屋内
 ピラトを見つめながら歩みだすアリマタヤのヨセフ、そのクロースアップ。全景撮影から孤立した全身撮影で映し出されるピラトは、ローマの権力者たちに囲まれて立っている。
ヨセフ わたしはあなたにイエスの屍を請いにまいり……
 憐れみを見せるピラトのクロースアップ。
ピラト おまえに渡すべし。
 急速な溶暗。

       126

 ゴルゴタ。野外 昼
 進みゆくヨセフのパン撮影、その後をマリアたちと数人の若者が続く。女たちは長くて
白い羅紗を翳している。
 十字架に吊された三体の屍をおさめてゴルゴタの全景撮影。
〈十字架〉の足下まで進みゆくヨセフとほかの者たち、そのパン撮影。
 降架をおさめる全景撮影。 若者たちが梯子をもたせかけて登り、女たちは白い羅紗を広げて、それが風に鼓動する。
 急速な溶暗。

       127

 埋葬の地。野外 昼
 墓に向かって進みゆくヨセフとほかの者たちの一団をパン撮影。若者たちが白い羅紗に
包まれた遺体を支え持ち、女たちはその後を 一心に祈りながら歩み来る。若者たちが死体を墓穴に運び入れる間、女たちは跪いて祈っている。それから若者たちは大きな岩を転がして墓穴を塞ぐ。女たちはその前で身じろぎもせずに通夜に入る。

       128

 総督府。屋内 昼
 ヘブライ人の権力者たちが全身撮影ついでパン撮影で総督府の中を歩みゆく。
 対ローマ協力者たちに囲まれて、彼らのほうを見やるピラトを移動撮影。彼らが前に来る。
 カイアファのクロースアップ。
カイアファ 主よ、われら思い出すに、かの詐欺師は生きておるときに「三日後に甦る」と言っていた。それゆえ命じて三日目まで墓を見張らせたまえ。弟子どもがきて死体を盗み出し「死人の間から甦った」などと民衆に言い触らさせないように。そんなことになれば、この最後の欺きのほうが前のものより害は甚だしいことになる。
 苛立つピラト、そのクロースアップ。
ピラト おまえたちは番兵を有している。行って、おまえたちの出来る限り番をするがよい。
 踵を返すカイアファ、そのクロースアップ、ついでパン撮影で、遠のいてゆく。
 溶暗。

       129

 埋葬の地。野外 昼
 街の暮しの他のどの日とも同じある一日のエルサレム、そのパン撮影。貧しい家並、太陽、動き回る遠くの小さな姿たち、人々の交わす声々、笑い、歌声……
 遠くの声々、笑い、歌声
 だがこちらの下のほう、埋葬の地では、パン撮影に追われて、見よ、女たちがまだ真新
しい墓に供えに香油やバルサムを携えてくる。いまでは習慣となってゆくその苦しみに浸りながら、彼女たちはそそくさと歩みくる。
 ずっと近くで声々、笑い、歌声が弾け、やがて風に運ばれるかのように消えてゆく。
 兵隊たちがその前に屯している墓を移動撮影。兵隊はみな若く、彼らにとっては起ったことなどはまるで問題ではなく、彼らの顔々は健康で笑っている。ひとりが笑いながら伸びをして、軽く口笛を吹きはじめる。
 女たちはパン撮影、全身撮影で墓に近寄り、跪き、無言で祈りはじめる。
 石塊によって閉ざされ、静まり返る墓を見つめる女たち、その最大接写。 と、見よ、
墓の上に、地鳴りが爆発する。
 地鳴り。
 恐れ戦いて目を覆う女たち、そのクロースアップ。
 地鳴りは消えてゆき、やがてそこから聖なる喜悦に溢れるばかりの楽曲が流れくる(モーツァルト)
 墓の上には「稲光みたいに光り輝く、雪みたいに真っ白な衣裳を着た」〈主の天使〉がいる。
主の天使 恐れるな! おまえたちが磔にされたイエスを探していることは分かっている。彼はここにはいない、彼が言っていたように、彼は甦ったのだ。さあ、来て、その横たわっていたところを見よ。見たら速く行って、その弟子たちに告げよ、
「彼は死人のうちより甦り、きみたちに先立ってガリラヤへ往かれた。そこできみたちは彼を見ることだろう」
 と。
 見よ、われはおまえたちにこれを告げた。
 走って墓地を後にする……一団の女たちを パン撮影。
 喜びに満ちて走る……マグダラのマリアの クロースアップに被せてパン撮影。
 喜びに満ちて走る、もうひとりのマリアの クロースアップに被せてパン撮影。喜びに満
ちて、自然のままに喜びに溢れて走る女たち、彼女たちよりもこんなにも大きな聖なる出来事の巡り合わせにからめとられて翻弄された端役でしかない慎ましい姿たち…… そして見よ、彼女たちがうつ伏せに地面に倒れ込む。
 女たちを一人ずつクロースアップ。喜びと聖なる畏れによって大きく見開いたその目で、彼を見つめる女たち。キリストは、全身撮影で、微笑みながら、彼女たちを見つめている。
 全身撮影で女たちは彼の足下でその足をかき抱いている。
 キリストのクロースアップ。
キリスト 畏れるな、行って、ぼくの兄弟たちにガリラヤへ往くように知らせておくれ。あちらでみな会えるのだから。
 溶暗。

       130

 カイアファの家。屋内=屋外 昼
 モーツァルトの敬虔に陽気な音楽が続く。
 墓の番をしていた兵隊たちは感激して、パン撮影で、カイアファの家へ入る──中庭へ、なにしろ今日はいつもと同じ、日々の暮しのただの一日なのだ。大きな祭か、それとも大
きな災難のあとかのように人生が凍結されてしまったのだから。そして彼らは控えめに楽しげに進みゆく。中庭ではいまは少年や給仕たちが笑いながら、ボール遊びをしている。
 さてここに全景撮影で、少年たちの走るのや楽しげなわめき声の背後で、呼び戻されて
駆けつけ、兵隊たちが権力者たちに口々に話している。彼らは虚ろな墓穴のことを、身振りを交えながら話し、物語る。
 カイアファの最大接写。
カイアファ おまえたちは言うのだ、
「彼の弟子たちが夜やって来て、われらの眠っている間に彼を奪っていった」
 と。もし総督がこれを知っても、われらが彼を宥めるから、おまえたちが困ることにはならない。
 こう言いながら、全身撮影で、彼らに何枚か銀貨をやる。若い兵隊たちは銀貨を掴むと、驚いてみな幸せだ。やがて彼らはパン撮影に追われて全身撮影で、出てゆく。みな幸せで金を分けながら中庭を横切って、その中庭でこそキリストの受難が始まったのだが、そしていまはそこで下賤で陽気な少年たちが遊んでいる。
 溶暗。

       131

 オリーヴ山。野外 昼(ヨルダン)
 使徒たちのグループが、全身撮影ついでパン撮影で、数軒の貧しい農家をバックに山めざして進みゆく。そうしたあばら屋の前でも太陽の下で襤褸を纏った幼い少年たちが遊んでいる、まるでその動きでモーツァルトの楽しげな音楽をダンスのリズムにして奏でているかのように見える。
 モーツァルトの楽しげな音楽。
 少年たちは数匹の小犬たちと一緒になって大声を立てながら遊んでいる。中にはオリー
ヴの木々から葉枝を毟りとって、そうした葉枝を翳し翳し使徒たちのまわりで一種のサラバンド舞曲を踊る少年たちもいる。これらの者たちを背後に残して、パン撮影の終りに一行は山肌を登ってゆく。
 信頼し、切望して……黙々と登ってゆく使徒たち、一人ひとりをパン撮影の中でクロースアップ。
 厳粛なところは一切なしに現れるキリスト、その移動撮影。彼はあそこ、木々の間、燕たちの歌声の中にまるでいつもそこにいたかのようにいる。そして使徒たちもまた、信頼に溢れて彼のまわりに肩を寄せて集う。まるでそれは〈主〉の出現ではなくてひとつの出会い、彼らの兄弟や師とのたくさんの出会いと同じただの出会いでもあるかのように。
 親密な底知れぬ喜びの感覚にまかせて話して聞かせるキリスト、そのクロースアップ。
キリスト あらゆる権力は天上でも地上でもぼくに与えられた。それゆえきみたちは行って、すべての民衆を改宗者となし、かれらに〈父〉と〈子〉と〈聖霊〉の名によって洗礼を施し、ぼくがきみたちに命じたすべてのことを守るように教えよ。そして見よ、ぼくはいつもきみたちと一緒に、世の終りまで共にあるのだ。
 彼のまわりに身をひれ伏して祈る使徒たち、その全身撮影。
 相変らず高らかにあたりには聖なる喜悦に溢れる音楽が鳴り渡っている。
 やがてゆっくりと彼らは身を起こし、パン撮影に追われつつ、また山肌を下ってゆく。笑顔で軽やかに歩みゆく彼らにも音楽の舞踏のリズムが乗り移ったかに見える。いまは、パン撮影に追われて、一行は再び村を横切る、その埃と太陽の下を。その前では少年少女たちが祭の最中だ。使徒たちは後ろ姿で遠ざかってゆく。そして少年たちは一行のまわりを、優しく陽気に飛び跳ねながら回っている。
 オリーヴの葉枝を翳して揺り動かしながら、優しく走ってゆく……少年たちをパン撮影。
 オリーヴの葉枝を翳して揺り動かしながら、陽気に走ってゆく……少年たちをパン撮影。(続く)